43 頭の中は彼のことばかり
薫くんが帰ったあと、私はすぐに自分の部屋へと向かい、ベッドに寝転んだ。ぬいぐるみを抱きしめ、さっきまでここに薫くんがいたことを思い出していた。
薫くん……
そんなはずはないのに、布団の中は、まだ薫くんの温もりが残っているような気がして、思わずシーツを手の中に握り込んだ。
そうしていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
すごいな……。
薫くんの言う通りだ。
自分の部屋に、薫くんがいたと思うだけで、なんだかここが、安心できる空間になった気がする。
もう二度と、薫くんがここへ来ることはないだろうけど……。
それでも……薫くんが置いていってくれた“安心感”は、この部屋にしっかりと残っていた。
二人でベッドに座り、おしゃべりを楽しんだあの穏やかな時間。薫くんの優しい笑顔、優しい声。それから温もり……。
それを思い出すだけで、乱れた心が落ち着いてくる。
「葵?大丈夫?」
部屋のドアの向こうで、パパの声がした。
私は急いで飛び起き、自分の部屋から出た。
今は……パパをこの部屋に入れたくなかった。
「ちょっと怠いけど平気。下でテレビ見ててもいい?」
「いいよ。今日はパパが夕飯を作るからね。ゆっくりしてなさい」
薫くん……ちゃんと帰れたかな。
1階に行くと、窓に近づきカーテンを少し開け、外を眺めた。
積もり始めてる……。
私はスマホで遅延情報を確認した。
どうやらまだ完全に止まっているわけではなさそうだった。
薫くんにメッセージを送りたいけど、パパに気がつかれるかもしれないと思い、やめておいた。
ソファに座るとテレビをつけ、ぼんやりとただ眺めていた。午後6時台に流れているニュースは、グルメ特集をしていたようで、美味しそうなお店が次々と紹介されている。
……あ……この前、薫くんと一緒に行った洋食屋さんだ。ハンバーグと、オムライスが人気のあのお店。
私はその時のことを思い出していた。
二人で料理をシェアして、薫くんからはイヤリングをプレゼントしてもらって……。
思い出しただけでも、心が温かくなる……。
「どうしたの?そんなに幸せそうな顔して」
パパはホットココアを2つ手にしながら、隣に座ってきた。
幸せそうな顔……。
「テレビで美味しそうな料理が、たくさん出てたから」
「ははっ。葵は食いしん坊だな。もうお腹減ってるの?」
そういえば、お昼を食べ損ねていた。
薫くんとの時間が楽しすぎて、すっかりと忘れていた。
「うん」
「じゃあこれを飲んだら作るよ」
「ありがとう」
「そういえば、最近外に食べに行ってないな。今度どこかに行こうか」
「うん」
前までは、楽しいと思っていたパパとのお出かけ。
だけど今は……純粋にそう思えなくなっていた。
思春期?反抗期?
今まで私にはそういうものがなかったから、今更遅れてきているのかもしれない。
私は学校にも行っていないから、私の世界はこの家だけ。パパだけ。だからそんなものが、今まできていなかったのかも。
だとしたら、この違和感は普通のこと?
前にテレビで、“娘がパパの服と一緒に洗濯をしたがらない”なんてのを見たことがあったな。私はそんなことはないけど、でも、この違和感は思春期や反抗期の類なのかもしれない。
もう一度立ち上がると、窓の外を見た。
大粒の雪が、しんしんと降り続いていた。
パパが作ってくれた夜ごはんを食べ終わると、私はスマホを持って浴室に向かった。髪を洗い、体を洗うと、ゆっくりと湯船に浸かった。
スマホを確認すると、薫くんからメッセージが届いていた。
『帰り際、不安そうな顔をしてたけど、何かあった?』
また私の心配……
『大丈夫だよ。ただ焦ってただけ。それより薫くんは無事にお家に着いたの?』
『着いたよ。葵ちゃん、あの表情は焦ってるだけではなかったよ?不安そうにしてた』
話題を変えたつもりだったのに、戻されてしまった。
『心配かけてごめんね?でも本当に大丈夫だから』
『わかった。もし今後、何かあったらちゃんと僕を頼って?』
薫くんはきっと、いいお医者さんになるんだろうな。こんなふうに、患者さんにも向き合って、寄り添うんだろうな。
私はふと、薫くんの夢のことを思い出し、そんなふうに思った。
『いつもありがとう』
私には、薫くんがいる。
そう思うだけで、とても心強かった。
来月はバレンタインデーか。
今までは、パパにしかあげたことがなかったけど、今年は薫くんにもあげたいな。この前はクッキーだったから、カップケーキとかはどうだろう?
でも、きっと当日はあげることができないだろうから、前倒しであげちゃう?そうするとパパに怪しまれちゃうかな?なんで何もない日に、お菓子を作ってるんだって……。
こんなことなら、普段からお菓子を作っていればよかった。
“練習”って言ったら、パパに信じてもらえるかな?
薫くんは……また喜んでくれるかな……?
次はいつ会えるかな。
少しだけでもいいから、会いたいな。
会いたい…
会いたい……。
そう思った数日後、薫くんからのお誘いがあった。
前に会ってから、たったの1週間しか経ってないのに、もう会えるだなんて……。
『今週の土曜日なんだけど、2〜3時間でいいから会えないかな?』
薫くんから、そうメッセージがきた。
この辺りの病院は、土曜日は大抵午前中のみの診察だ。だけどパパの病院は、土曜日の午後も診察をしている。
……だから……
薫くんに会うことができる──




