40 おかえりなさい
この前、お風呂で薫くんと電話をしている時、薫くんが色々と教えてくれた。
小さい頃、よく熱を出してしまって、小児科に通うことが多かったと言っていた。薫くんは通っていた小児科の先生のことがすごく好きで、将来、自分もそんな先生になりたいと思い、医師を目指したのだと。
大学病院などの大きい病院ではなく、地域密着型の、患者さんに親身に寄り添える病院で働くことが夢だと教えてくれた。
それでそのうちに、自分の病院を開業したいと……。
私はそれを聞いて素直に“すごいな”と思った。
ちゃんと夢があって、それに向かって突き進み、もうすぐお医者さんになれるんだもん。
私なんて、自分のこの体調のせいで、最初から何もかも諦めてきた。
挑戦すらしない。
なんだかこんな自分を、恥ずかしく思ってしまった。情けなくも思った。
だけど……私にも何かやりたいことができれば、挑戦してみようと思う気持ちにもなった。
少しずつだけど、薫くんとこうやって話すようになってから、私は前向きになっていると感じていた。
前のように落ち込むこともある。これからも卑屈になったり、嫌な自分になったりすることもあると思う。
でも、いつだって薫くんは私を前へと……明るい方へと導いてくれる。
今はただ、そんな薫くんと一緒にいたかった。
今日は、パパは学会かなんかで、少し遠出をしている。
私はいつも通り、自分の部屋で勉強をしていると、薫くんから電話があった。時間を確認すると午前9時30分。
パパが帰ってくる心配はなかったから、私はすぐにその電話に出た。
『ふふっ。やっぱり出てくれた』
「……どういうこと?」
『今日は院長、病院にいないでしょ?だからいきなり電話しちゃった』
そっか……この前薫くんは、パパの病院に来ていたから、パパの予定を知ってたんだ。
「薫くんは?今日仕事じゃないの?」
『うん。予定が変わっちゃってね、今当直明けなんだ』
「そうだったんだ。お疲れさまです」
窓の外を見ながら、薫くんと話していた。
今日は土砂降りだ。
雨が激しく屋根を打ちつけている。
『葵ちゃん……』
「はい」
『……今から、会いに行ってもいい?』
……会いたい……。
「……うん……」
『家に……行ってもいい?』
うちに……?
確か……パパは今日、帰りは20時頃だと言っていた。あくまで予定だけど……。
『やっぱりダメかな?こんな天気だしさ、気温も低くて雪も降りそうだし、葵ちゃんが風邪ひいたら大変だから』
どうしよう……。
『ってのは口実かも。……本当は、ただゆっくりと、静かな場所で葵ちゃんと会いたい。あ、でも、葵ちゃんの体調を心配してるのも本当だからね?』
会いたい……。
「……お腹空いてる?」
『……え?』
私は冷蔵庫の中の食材を必死に思い出していた。
「オムライスか、親子丼……鍋焼きうどん……生姜焼きだったら用意できるけど……」
『……お腹ぺこぺこ。親子丼が食べたいな』
「何時くらいに着く?」
『40〜50分後』
「わかった。待ってるね」
一瞬、パパの顔が頭によぎったけど、それよりも薫くんに会いたい気持ちの方が強かった。頭でごちゃごちゃと考えるよりも、口が勝手にそう言ってしまっていた。
私は急いで軽くメイクを済まし、ラフな服に着替えると、香水を少しだけつけた。
それから部屋に掃除機をかけ、リビングに行くと、そこも軽く掃除機をかけた。
次にキッチンに立ち、炊飯器の中身を確認する。これだけあれば足りるよね?
私は髪をまとめると、エプロンを着け、親子丼の準備をした。その他にはほうれん草のおひたしと、味噌汁を作った。
時間を確認する。あと10分くらいで着くかな?
鶏肉と玉ねぎに火を入れると、調味料を入れ少し煮込むと火を止めた。
その時──スマホが鳴った。
「もしもし」
『もうあと5分くらいで着くよ』
「うん。着いたらインターホン鳴らして?」
『わかった』
味噌汁を温め直し、ダイニングテーブルに……
いや……ここじゃなくて、念の為、私の部屋で食べた方がいいかも……。
いきなりパパが帰ってくることはないはずだけど、念の為……。
私はトレーを用意すると、そこにおひたしの入った小鉢を置いた。それから少しの漬物と、割り箸。さすがに私やパパのお箸を薫くんに使ってもらうのは気が引けるから、私は割り箸を用意した。
そんなことをしていると、インターホンが鳴った。私はタオルを手に取り、玄関へと向かうと、ドアを開けた。
「ただいま」
ただいま……。
その言葉を聞いて、また胸の奥がトクンとした。
「おかえりなさい」
ドアが閉まると、薫くんはすぐに私のことを抱きしめた。
「会いたかった」
「……私も……」
薫くんからは、あの香水の匂いがした。
「香水つけたの?」
「葵ちゃんの方こそ」
「……うん。少しだけ……」
「僕も。葵ちゃんと会えることになって、すぐにつけた」
今までずっと、ぬいぐるみに香水を吹きかけた香りを嗅いでいた。でも……今は本物の薫くんの匂いだ。私はまた前のように……この匂いを忘れまいと、薫くんを抱きしめたまま、静かに深呼吸をしていた。




