39 無言の会話
お昼に、薫くんと電話をしていた。
部屋から、あのぬいぐるみをリビングに持ってきて、それを抱きしめながらソファに座っていた。
普通に話していると……
『何かあった?少し元気がないような声をしてるけど。もしかして具合悪い?今無理して電話してる?』
体調はいい。
ただ……昨日のことが頭から離れない。
パパと一緒にお風呂に入ったからといって、別に触れられることはない。本当に、ただ一緒に湯船に浸かって話すだけ。
だけど私は、どうしてもそれに慣れることができなかった。
「ううん。大丈夫だよ」
『本当に?それじゃあ、また不安になっちゃった?』
「なってないよ?」
『僕はまだ、この前葵ちゃんに会えて浮かれてるのに……』
薫くん、浮かれてるの?
『ごめんっ。今の忘れて?心の声がうっかり漏れ……いやいやっ、違うっ。今のも忘れて?』
「ははっ」
慌てる薫くんの姿を想像すると、私はついつい笑ってしまった。
『もう……なんか最近、葵ちゃんには格好悪いところばっか見られてる気がするな』
「そんなことない。薫くんはいつもかっこいいよ」
『本当?僕、気持ち悪いことばっか言ってるよ?』
「ううん。今まで薫くんがくれた言葉は、いつも私の心を軽くしたり、温かくしてくれてるよ?」
『……』
薫くんは黙ってしまった。
どうしたんだろ?
私はぬいぐるみの匂いを嗅いだ。
落ち着く……。
『葵ちゃん』
「はい」
『僕も同じだよ。僕も心が温かくなるよ』
嬉しい……
思わずぬいぐるみを抱く腕に力が入った。
「うん……」
『あ、昨日はどうだった?院長、あのボールペン喜んでた?』
昨日のことは……話したくない。
「うん。喜んでた」
『葵ちゃんは?何か貰った?』
「……」
言いたくない。
「……パジャマ」
『……葵ちゃん?昨日何かあったの?』
「ううん。何もないよ。それより薫くんはどうだった?昨日は」
『……何があったの?』
「何も。ただチキン食べて、ケーキを食べただけ」
『ならいんだけど……僕はね、いつも通り。僕にとってクリスマスは、葵ちゃんと会ってたあの時間だけだよ』
そのあとは、また他愛のない話を楽しんだ。
もうすぐ年越しか……。
来年はいつ、薫くんに会えるのかな。また何か理由を考えておかないと。
病院も休みに入り、パパと過ごす時間が増えた。だから薫くんと、電話をすることはできなかった。
寂しい……
会いたい……
声が聞きたい……。
パパはまた、休み中に一緒にお風呂に入ろうと言ってきた。
私は……
それを断れなかった。
そうやって心が乱れるたびに、私はぬいぐるみを抱きしめ、匂いを嗅いで自分を落ち着かせていた。
このぬいぐるみと、この匂いがなければ、私は自分を保てられていなかったと思う。
薫くんに獲ってもらった瞬間に、このぬいぐるみは大切なものになったけど、今となっては宝物になっていた。宝物であり、お守りだ。
これがないと……落ち着かない……。
今日はひとりでお風呂だ。私はホッと胸を撫で下ろした。
もう年は明け、パパの仕事も始まった。
『明日のお昼、電話できそうだったらしよ?』
やっと……薫くんの声が聞けるんだ……。
『うん。薫くんの声が聞きたい』
『僕も、葵ちゃんの声が聞きたい』
薫くんも……
前までは“会いたい、会いたい”と思っていたけど、たった1週間、声を聞けないだけで、こんなにも恋焦がれてしまうだなんて。
今はただ、薫くんの声が聞きたい……。
『嬉しい』
私は素直にそう言った。
『でも声を聞いちゃったら、今度は会いたくなっちゃうんだろうな』
何このやり取り……
ずっと胸が小さく跳ねている。
『うん。たぶんそうなっちゃう』
『僕の声を聞きたいと思うのはなんで?』
なんで……
『安心するから』
本当に、薫くんのあの優しい声は、私のことを安心させてくれる。
返事がくるのに、数分時間がかかった。
『いいこと思いついた。今から電話するから、出てくれない?葵ちゃんは一切話さなくていいから。僕が勝手に話したり、質問したりするから、葵ちゃんは“はい”なら1回、“いいえ”なら2回、マイクの近くを指で叩いてくれない?』
すごい……。
それなら、薫くんの声が聞ける。
『わかった』
私がそう返事をすると、すぐに電話がかかってきた。すぐに通話ボタンをスライドさせる。
『こんばんは。ちょっと1回、マイクの近くを1回叩いてみて?』
私は言う通りにした。
『おっけ。ちゃんと聞こえる。葵ちゃん、最近はどう?不安に思ってることはない?』
マイクの近くを1回、指で“トン”とした。
『よかった。不安を抱えてなくても、僕の声を聞くと安心するの?』
私はさっきと同じ返事をした。
『ふふっ。嬉しいな。僕も同じだよ。葵ちゃんって、可愛くて優しい声をしてるから、癒されるし、安心する』
嬉しいな。私も、薫くんの優しい声が好き。
胸がずっとドキドキとしていたから、のぼせないようにと、浴槽の淵に座った。
立ち上がった時にお湯が揺れ、私に纏っていたお湯がチャポチャポと静かに湯船に落ちる音が、浴室の中に響いた。
『……もしかして、今お風呂?』
私は指で返事をした。
『そっか。この前、そう言ってたもんね。まだまだ寒い日が続くから、ちゃんと温まってね』
こんな感じで、私たちは“会話”をしていた。
久しぶりに聞いた薫くんの声はやっぱり優しくて、胸の奥の方にしまい込んでいるパパとの違和感までもを、優しく包み込み、私を安心させてくれた。




