34 おいで
「香水買ったの?」
……さっきまでぬいぐるみを抱いていたから、匂いが私に移っちゃったんだ。
「……この前、買い物に行った時に、香水屋さんに入ったら、試供品をくれたの」
「ははっ。また試供品を貰ったの?葵は可愛いから、店員さんもついついあげたくなっちゃうのかな?」
私はパパから離れると、薫くんから貰った試供品の香水を、バッグから取り出しパパに見せた。
「いい匂いだね。気に入ったなら、パパが買ってあげようか?」
……それは絶対に嫌。
この香りは、薫くんと私の二人のものだから。だからパパに買ってもらうと、それが台無しになってしまう気がした。
「ううん。大丈夫」
「本当?欲しいなら買ってあげるよ?」
「たまたま貰ったものだから、もし買うならちゃんと選びたいし」
薫くんから貰ったのが、試供品でよかった。じゃなかったら、何も言い訳ができなかった。
額にじんわりと汗が滲む。
パパはまた私にハグをした。
「……16歳になってから、出かける時はメイクもするようになったし、今ではこんないい匂いまでさせちゃって、本当に大人っぽくなったね」
パパの手が……背中を撫で始めた。
やっぱり……撫でられたところがゾクゾクとしてしまう。
「はぁ……葵……可愛い可愛い、パパの葵……」
……パパ……?
「あ、そうだ。ママが使ってた香水があるから、それを葵にあげるよ」
「ママの……?」
「うん。捨てずにずっと取っておいたんだ。たまにね、パパその匂いを嗅いで、ママのことを思い出してたんだ」
ママの匂い……私は知らない。
パパは私から離れた。
「葵が生まれてから、ママは香水をつけていなかったから、葵は知らないよね?」
「うん」
そんなことを話しながら、二人で階段を下りると、パパは寝室へと行き、ひとつの香水を手渡してきた。
「これだよ。嗅いでみて?」
私はキャップを外し、香水瓶を鼻に近づけた。
これがママの匂い……。
そう思うと、知らないこの匂いをとても愛おしく感じた。
「どう?」
「うん。いい匂い」
「よかった。それ、葵にあげるよ」
「でも……パパの思い出でしょ?」
「たまに葵がつけてくれたら、パパはそれで十分だから」
「わかった。ありがとう」
その後は、二人でスマホを眺めながら夜ごはんを選び、それが届くと二人で食べ始めた。パパはママの話をたくさんしてくれた。
今日は家庭教師の日だ。
いつものように勉強を教えてもらい、休憩の時間になると、私と雫ちゃんは用意しておいたお菓子をつまみながら、ホットココアを飲み、会話を楽しんでいた。
「葵ちゃんの初恋っていつ?私の周りは、だいたい幼稚園の時とか、小学生の時って人が多いんだけど」
初恋……は、薫くんだから……。
でも言えない。
「まだなんだ」
「えー、そうなの?」
「うん。雫ちゃんは?」
「私も周りと同じで幼稚園の頃かな」
「そうなんだ。どんな子?」
「お父さん」
……お父さん?
私は目の前のマグカップを手に取り、ココアを飲みながら雫ちゃんの話を聞いていた。
どうやら小さい頃、雫ちゃんは“将来お父さんと結婚する”と言っていたらしかった。
それを聞いて安心した。お父さんのことが大好きで、まだ恋も知らない女の子がよく言うやつだ。
私が雫ちゃんにそう言うと……
「え?違うよ?本当にお父さんのことが好きだったよ?」
「……え……?」
「私の周りにも、そういう子いたよ?」
うそ……だよね?私のことをからかってるのかな?
「またまたぁ」
「本当だって」
雫ちゃんは真面目な顔をしてそう言った。
「でもお父さんには、お母さんがいたからさ、諦めたの」
父親を恋愛対象として、本当に好きだったの?
何それ……
気持ち悪い……。
あ……私今、なんてことを……。
雫ちゃんは本当にお父さんのこと好きだったのに、それを気持ち悪いと思うだなんて……。
それからも雫ちゃんは、当時の気持ちを話していた。“どこどこが好きだった”とか、お母さんと仲良さそうにしているのを見ると、“やきもちを焼いた”だとか……。
私は何ひとつ、共感ができなかった。
ある日の夜、湯船に浸かりながら薫くんとメッセージのやり取りをしていた。
『またお昼に、薫くんの病院に行きたいんだけど、何かいい方法はないかな?』
『嬉しい。また会いにきてくれるの?』
『行けたら行きたい』
『色々と考えてみるから、ちょっと時間ちょうだい?あ、このままメッセージは続けるからね』
薫くんも、考えてくれる……嬉しい。
しばらく他愛もないことでやり取りしていると、薫くんは質問してきた。
『スーパーとか、日用品の買い物をする時、いつもどのくらい時間がかかってる?』
急にどうしたんだろう……。
『ゆっくりとすることもあるから、30分から2時間近くの時もあるよ』
近くに大きな100円ショップがあるから、そこに行くと、ついつい色々と見てしまって、時間がかかることがある。
『会える時間は少ないけど、僕がタクシーを用意するから、それでおいで?電車だと遠回りになっちゃうから』
『それだとクレカの記録が残っちゃう』
『だから僕が用意するって言ったんだよ?』
それだと……お金がかかっちゃう……。
電車だと、数百円で行けるのに。
これだと、私がわがままを言ってるみたいだな。
少しのぼせそうになったから、私は浴槽の淵に座った。
『お金がかかり過ぎるよ』
『僕が葵ちゃんに会いたい』
胸がときめいて……胸の奥がトクンとして……しばらくはそのメッセージから目が離せなかった。
『葵ちゃん?僕が会いたいから来て欲しい。タクシーを使えば往復50分で済む。だけど電車を使うと、徒歩も含めて往復1時間以上かかっちゃうでしょ?』
甘えちゃって、いいのかな?
『本当にいいの?』
『いいよ。おいで』
嬉しい……。
薫くんに……会える……。




