31 ため息の意味
昨日はあれからパパに、薫くんに獲ってもらったぬいぐるみを見せた。「こんな大きいの、よく獲れたね」と、優しい顔で言っていた。
これできっと、パパはもうこのぬいぐるみに興味は持たない……と思う。
私はそう想定して、ぬいぐるみに香水を振りかけた。乾いたのを確認すると、そっと抱きしめてみた。
薫くんの匂いだ……。
落ち着く……。
それと同時に、胸の奥が熱くなるのも感じた。
昨日は幸せだったな。
またあんなふうに薫くんと……。
しばらくそうやって、ぬいぐるみを抱きしめてから、私は机に向かって勉強を始めた。
ふと窓の外を見ると、今日は曇りだった。
薫くんも今日、この曇り空を見たのかな?
スマホを手に取り、天気予報を確認する。
今日はこのあと雨か……。
本当はお日様の匂いが好きだから、外に洗濯物を干したいけど、今日は乾燥機で乾かそう。
シャーペンを手に取ると、また勉強を始めた。
しばらく勉強に集中していると、スマホが震えた。すぐに手に取り確認すると、薫くんだった。
私は勉強を中断し、ベッドに座ると、ぬいぐるみを抱えながらメッセージを確認した。
『具合悪くなってない?昨日、もしかして無理させちゃったんじゃないかって思って』
心配してくれてたんだ……。
『大丈夫。体調も平気だよ』
『それならよかった。昨日は楽しかったね』
『うん。すっごく楽しかった。お出かけをして、あんなに楽しいって思ったの初めてかも』
すぐに既読がついたのに、返事はなかなかこなかった。
忙しそうだな……薫くん……。
私はメッセージアプリを閉じると、時間を確認した。
12時30分か……。
私はぬいぐるみを抱いたまま、そこに顔を埋めた。
薫くん……
声が聞きたい……
するとスマホが震えた。
私はそれをすぐに手に取り、メッセージを確認した。
『今電話できる?』
私はすぐに通話ボタンにタッチし、リビングに向かった。
「もしもし」
『……』
あれ?
薫くんの声が聞こえない。
私は耳からスマホを離し、画面を確認した。ちゃんと通話は始まっていた。もう一度スマホを耳に当て、声をかける。
「薫くん?」
『……悶絶してた』
「え?」
悶絶?
『葵ちゃんがあんなこと言うから……』
え?あんなこと?どんなこと?いつの話?
「ごめんなさい。なんのことかわからない……」
怒ってるの?
『……自分でわかってないんだもんな……』
今度はため息を吐きながら、呟くようにそう言っていた。
胸が痛くなった。
私、何かやらかしちゃったんだ……。
「ごめんなさい……午後も頑張ってね……」
私はそう言って、電話を切ろうとした。
『葵ちゃん。さっきメッセージで送ってくれたこと、声に出して言ってくれない?』
「え?」
『最後に送ってくれたメッセージ』
なんて送ったっけ……。
スマホを耳から離すと、スピーカーにし、操作をしてメッセージの確認をした。
あ、そうそう。
「すごく楽しかった……」
『その先も』
「……あんなに楽しいって思ったの、初めてかも……」
『はぁ……』
え?
『僕も……あんなに楽しかったのは初めてだよ』
怒ってない……?
「……本当?」
『うん。すっっっごく楽しかった』
「……」
『だから葵ちゃんにそう言ってもらえて、すごく嬉しくて悶絶してた』
「……悶絶……」
『そう。くぅぅぅってなる感じ?わかる?』
くぅぅぅっ……
「……クッションをギュッとしたくなる感じ?」
『そうそう』
「……足をバタバタさせたい感じ?」
『そう。僕、今それになってたの』
今まさに私はそれになってる。
『……葵ちゃんは、今までにそうなったことある?』
たくさんある……。
「……ある……」
『……誰に……?』
「……薫くんに……」
『他には?』
「他に……」
『僕以外には?』
……薫くん以外には……
「ない……」
『……』
私は胸がはち切れそうになって、スマホを隣に置くと、ソファに置いてあったクッションを抱きしめた。
通話は、さっき画面を確認した時から、ずっとスピーカーにしたままだった。
薫くんは、また何も言わなくなってしまった。
どうしたんだろう……。
『……昨日会ったばかりなのに、もう葵ちゃんに会いたくなってる』
やっと薫くんの声が聞こえた。
「……私も……」
しばらくまた、沈黙が流れた。
『お昼はもう食べた?』
「まだ」
『ちゃんと食べるんだよ?』
「うん」
『それじゃあ、また連絡するね』
もう切っちゃうの?
『ちゃんと連絡するから』
「はい……」
『そんな寂しそうな声出さないで?』
そう言われた時、薫くんの優しい顔が浮かんだ。
「うん。ごめん」
『またね』
「午後も頑張ってね」
そうやって、電話は終わった。
さっきまで2階にいたから、リビングはエアコンがついていなく、冷え切っていた。
そんなことに気がつかないほど、私は薫くんとの電話に夢中になっていた。
靴下を履いているのに、つま先が冷たい。手の指先も冷たくなっていた。
なのに……
私の心はとても温かかった。
──……え……?
今パパはなんて言ったの……?
それはパパが休みのとある日。
初めて見るクレジットカードを手渡された。
「次からこれを使って?」
「……新しいカード?」
「そう。これね、パパのスマホに、リアルタイム通知がくるんだ」
「リアルタイム通知?」
するとパパは説明してくれた。
使うたびに、文字通り“リアルタイム”でパパに通知がいくシステムのようだった。
待って……リアルタイムって……
今までは“いつ”、“どこで”カードが使われたとしかわからなかった。だけど今度は時間まで?しかもリアルタイムに……?
こんなんじゃ……前よりも身動きが取りづらくなっちゃう……。
パパは普通だったから、私を疑ってカードを新しくしたわけじゃないんだと思う。
だけど……
これだと……嘘をつくのにも、今まで以上に慎重にならないと、辻褄が合わなくなってしまう……。
これからどうしよう……。




