二幕 1
月宗様の腕の中で引き分けたと聞かされて、力が抜けた。
途端に不安だった気持ちや怖かった思いが押し寄せ、思わず縋り付いてしまう。
この場所から離れたくない、そばにいて欲しい、どこにも行かないで。
返事すらできなくなった私を抱え直して、陣幕まで運んでくれた。
月宗様の神前試合の控え室として使われる陣幕は白い布の円形テントで、広い内部はシンプルながらもソファーやテーブルが並んでいた。
「結衣、よく頑張ったな」
私を抱いたまま座り、バードキスの嵐が降ってくる。
キスのたびに縋り付く腕の力が抜けて行く。
「わ、私、夢中で……今ごろ震えが……」
「あとでさんざん甘やかしてやるから、涼風と昼寝でもして待ってろ」
月宗様は肩の上で船を漕ぐ涼風をそっと下ろし、バスケットに寝かせた。
————「月宗様、お時間です」
光久さんが陣幕の入り口で呼ぶ。
「今行く」
立ち上がった彼は既に真剣な顔をしていて引き留めの言葉を紡げない。
怪我をしないで。
無事に帰ってきて。
黒い袴姿の彼の背を見送る。
彼が陣幕を出た途端に割れんばかりの歓声が会場を包んだ。
涼風の眠るバスケットを膝に抱き不安な気持ちを押し込める。
ともすれば涙が溢れてしまいそうで、そのことが妙に不吉な気がした。
銅鑼の音が鳴り響き、会場の歓声が熱を帯びたものに変わる。
月宗様と笹音さんの試合が始まったんだと分かる。
見る?見ない?
見れるの?あの人が怪我をするかもしれない。
血を流すかもしれない。
八咫烏と妖狐の神格は妖狐の方が遥かに上なのに、彼は本当に無事でいられる?
ぐるぐるとした不安が止まらない。
バスケットを抱えて身を屈めてやり過ごしていると天幕のすぐ外が騒がしいのに気が付いた。
「何?け、喧嘩?」
耳を澄ませて何とか情報を得ようとしていたら、聞き覚えのある声がした。
天幕の入り口カーテンをよけて顔を出すと光久さんがすぐに私の前を塞ぐ。
「天道寺殿、先触れもなく我らが姫様へのお目通りは許されません。お引き下さい」
「敵意も害意もあろうはずもない。八咫烏の姫に一言謝りたい」
「犬が剣技で我らに勝とうやなんて、えらい見上げたお志どすなぁ。次は抜刀するで?何人で来はっても、僕一人で足りますわ。」
「雲雀、犬のご宗主に失礼ですよ。抜刀は許しますが」
光久さんの背中から覗くと、刀の鞘を恭の首に突きつけた雲雀君が見えた。
「雲雀君!!待って!!やめて!」
「……………………せやから声出したらあかん言うたやろ。馬鹿犬が」
「ゆいが俺と話したいそうだが?」
誰も何も言わず、体勢も崩さない。
恭は刀を突きつけられたままだし光久さんも私の前からどかない。
険悪な雰囲気にバスケットの中の涼風がむくりと起きて布面の下で目を擦る。
周りを見回した涼風は恭を認めて
すぐに六尺棒を出した。
「いいの、涼風、大丈夫。棒はしまって?」
渋々棒をしまった涼風が今度は恭に向かい手をかざす。
恭の足元に青い陣が組まれ、そこから銀に光る蔦が伸びて行く。
そのまま恭の腕を後ろ手に縛り上げた。
行動を抑えるための縛りではなく関節を外されるほどの力で締め上げているようで、恭が低くうめく。
「天衛をここまで怒らせる事をしたのですよ。貴方は。姫様がお止めしていなければ命は無かったかと」
「分かっている。このままで良い。ゆい…………怪我をさせてしまった事、申し訳なかった」
光久さんの背から無理やり出て恭に駆け寄るけれど、涼風は蔦を弱めてはくれない。
「良いのです!私こそあなたには助けてもらってばかりでした!あのような形で去ることになってごめんなさい」
「あぁ、むせかえるような花の匂いだな。酔いそうだ」
「??」
恭のセリフに光久さんも雲雀君も警戒を強めたのが分かった。数メートル先で涼さんが抜刀しているのまで見えて息を呑む。
「………………いや、今更だな。第一天衛、話をさせてもらった礼は獅子丸で良いか?」
ふんっとそっぽを向いた涼風がもう一度手をかざすと拘束が解けた。
「八咫烏の姫に謝罪と…………出会えた事に感謝を」
騎士の礼をして頭を下げる。
「はい、謝罪は受け取りました。恭に…………いえ、狛犬の次期ご宗主様に助けていただけた事、忘れません。どうかお元気で」
にかっと眩しいような顔で笑い、去って行く。
花嫁を得るためだったとしても、助けてもらった事は変わらない。
ちゃんと終わりにできてよかった。
恭は……狛犬の次期ご宗主さまは、私にその機会をくれたのだ。
「ありがとう、恭」
頑張らないといけない。
私は月宗様の横に立つと決めたのだから。
「行こう、涼風」




