平穏の終わり
巡回旅客車両のドアが開き、三人はステップを降りていく。
“森林公園”という名の通り、そこは緑の深緑に包まれた広大な領域だった。 雑木林と原生林が美しく調和し、小高い丘や静かな沼、開けた芝生広場が広がる。
小動物たちが生き生きと跳ね回っている。 アーサ・ブカブ街の住人にとって、緑豊かな癒しの聖域だった。
そして、公園とは名ばかりで、その実態はひとつの巨大な「里山」に近い。
「何回来ても、この緑の多さには圧倒されるわね」
深呼吸をしながらサナエが呟く。
「“森林公園”の名は、伊達じゃないですからね〜!」
誇らしげに胸を張るローラ。
「いつもは手前の広場あたりで引き返しちゃうんだけど、ここから目的のお店までどれくらい歩くの?」
「そうですね〜。だいたい6,000フィール(1フィール=30cm:1.8km)ってところでしょうか!」
「結構な距離じゃない」
「ええ! 気分転換と健康には、適度な運動が一番ですよ!」
ローラが隠れ家レストランのガイド役として、軽快な足取りで先頭を歩く。サナエとセレンがそれに続いた。
端末の画面ばかりを睨みつける毎日に追われていたサナエにとって、木漏れ日の中を歩く時間は思いのほか心地よかった。
舗装されていない土の小道からは特有の力強い土香が立ち上り、頭上を覆う木々からは瑞々しい葉の香気が満ちている。
科学的な合成香料ではない、本物の「自然の空気」が肺を心地よく満たしていく。
しばらく歩くと鬱蒼とした林が途切れ、パッと視界が開ける。
目の前に広がったのは、高低差のある美しい丘陵の草原だった。 ピクニックにはうってつけのロケーションだ。
視線の先では、幼年期の子供たちが元気に駆け回っていた。ウェヌスの子供は幼少期でも身体が大きいため、一見すると学童のようにも見える。 周囲で保母たちが温かい眼差しで見守っているところを見ると、園の課外授業のようだ。
「あの仕事も大変そうね……」
サナエさんが、丘陵地を飛び回っている子供たちを見ながら呟く。
「保母さんですか? まぁ、ちびっこは留まることを知りませんからね〜」
サナエさんは言葉を続ける。
「いつもは、この辺りで終わりなんだけどねー。 この奥なんでしょ? レストラン」
「全体の10%も進んでいないじゃないですかー。この公園の広さは知っているでしょう? 」
「いや。まぁなんかーあんまり足が向かなくて」
「面白いものは、そういう人が行き難い場所に眠っているものです!」
ローラが胸を張って宣言する。
ランチの食堂が、人が行き難い場所にあっては、潰れるのではとの反論もあるが、ここは論争ではなく、緑を楽しむ場所。
サナエさんは、自分の中で浮かんだものをそのまま流す。
そんな会話を交わしていると、子供たちが遊んでいた柔らかい大柄のボールが、コロコロとローラの足元へ転がってきた。 どうやら蹴り飛ばし過ぎたらしい。
「おばちゃ〜ん! ボール投げて〜!」
無邪気な声が遠くから飛んでくる。
「……」
ローラの顔が分かりやすく引きつった。
(……このガキ〜〜ッ!!)
サナエは、隣でローラの表情を見ながら、呆れ顔を浮かべる。
ボールの持ち主である園児たちがこちらへ視線を向けた瞬間、ローラの脇に立っていたサナエに子供たちの注目が一新した。
「あーっ! 謎のマールス人だーっ!」
「マールス人! マールス人だーっ!」
「『お任せください』の人だ〜!」
「パパがファンの人だーっ!」
ディルバト地区開発の広報として、サナエが体を張って完全無料で出演したあの広告動画は、幼い園児たちの脳裏にまでしっかりと刻み込まれていたようだ。
「セレン……あんたのおかげで、変なあだ名が定着しちゃっているんだけど?」
サナエが、背後のセレンをジト目で睨みつける。
『素晴らしいことではありませんか。ディルバト地区の知名度が確実に向上している証拠です。事実、注目度は右肩上がりですよ。
アウター地区に対する負のイメージを見事に払拭しています。 無料で好印象のモデルを使い倒せるのは、最高のマージン効率です』
「本当にタダよねぇ……。私はフリー素材か何かなの?」
不満げに毒を吐くサナエ。
『我々経営陣にとっては極上のフリー素材ですね。 そもそもサナエに正式なギャラを支払う予算が、あるとお思いで?』
「……ぐうの音も出ないわね」
「マールス人さ〜ん! 写真撮って〜!」
「トークンもいるー! トークン! トークン!」
あっという間にちびっこたちに囲まれるサナエとセレン。ちょっとしたアイドル状態だ。
『これも大切なファンサービスです。投資資金回収のため、満面の笑みでお願いいたしますね』
(腹黒い……! このAIトークン、本当に腹黒すぎる……!)
一方、「おばさん」呼ばわりされたローラは、輪の外で完全にハブられていた。
(芸能人のプロデューサーって、こういう悲しい気持ちになるのかしら……。まあ、商品が売れているならいいんですけど……何か寂しいですね……)
サナエは引きつりつつも笑顔で写真撮影に応じ、保母さんたちも嬉しそうに加わってきた。ミステリアス感を出すために本名は伏せられており、芸名すらない「謎のマールス人」。
そもそも彼女の本職は科学者なのだが、人当たりの良さも手伝ってかなりの人気を博していた。
撮影会が終わり、息をついたサナエがローラの元へ戻ってくる。
「ふぅ……一仕事したわ……」
「お疲れ様です、サナエさん……」
労いの言葉をかけるローラの元へ、一人の男の子がトコトコと走ってきた。 先ほどのボールの持ち主のようだ。
男の子は小さな手を開き、ローラへ一輪の野の花を差し出した。
「おばちゃん、これあげる〜!」
「これは……何? 」
サナエが後ろからひょっこり顔を覗き込む。
「淡い花びらが4枚……『テトラペタル』ですね。この地方では幸運の象徴とされている野花です」
ローラがサナエさんに回答する。
「ボール拾ってくれてありがとう! お礼!」
男の子が満面の笑みで答える。
「……! ありがとうね。はい、ボール持っていきなさい!」
ローラは一瞬照れくさそうに頬を緩めると、優しくボールを突き返した。 自分を見てくれていた子供の純粋な善意に、僅かな感動を覚える。
「ありがとう!マールス人と――おばちゃん!」
男の子は元気よく手を振ると、友達の待つグループへと走っていった。
「……おばちゃんねぇ?」
サナエがニヤニヤしながら意地悪く囁く。
「私、サナエさんより年下なんですよーっ!? まったくもう!」
小さなハプニングを乗り越えた一行は、森林公園のさらに奥へと進んでいった。
広場を抜け、再び木々が鬱蒼と茂る林道へ入る頃には、時刻は正午近くになっていた。
太陽の光が遮られ、皮膚に触れる空気がひんやりと冷たい。 しかし、歩いて火照った身体には最高の清涼感だ。
それと同時に、林の奥から芳醇で香ばしい、最高の料理の匂いが漂ってきた。
香りだけで確信できる。この先にあるのは本物の「名店」だ。
空腹の胃袋が一気に刺激され、ランチへの期待が最高潮に跳ね上がる。
「いい匂い……!」
「でしょう〜!? これぞ隠れ家の名店ですよ! 楽しみですね!」
木々の隙間から、一軒のこじんまりとした、風情あるダイナーが姿を現した。
開店直前だというのに、すでに数人の客が列を作っている。
「いきますよ! 今日こそはサナエさんに奢ってもらいますからね!」
ローラが小走りでダイナーへ向かって駆け出した。
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絶品のランチを終え、店を出た時にはすでに2時間ほどが経過していた。
昼食時に嗜んだシードルの酔いが回り、ローラはいつも以上に饒舌になっていた。
会話の内容は、日頃の過酷な業務への愚痴に始まり、無理難題ばかり言ってくるメトワへの文句、会社全体のあり方へと広がっていく。
サナエは隣で微笑みながら、優しく相槌を打っていた。
サナエ自身もまた、重苦しい現実にストレスを抱えていたのだ。 だが、こうして感情を露わにして笑い、愚痴をこぼしてくれるローラの存在が、固くこわばっていたサナエの心を解きほぐしてくれていた。
他人との深い付き合いを億劫に感じていた時期もあった。 だが、不安な時に本音を吐き出せる存在が隣にいることが、どれほど心強いかを知る。
林の中を抜けながら、サナエは完全に酔っ払ったローラの肩を支えて歩いていた。 後ろからセレンが、静かに従っている。
「だいらいですね〜! 何で〜私が仕事一筋の人生にならなきゃいけないんですか〜っ!」
「そうねぇ」
「あのメトワさんもですよ〜! なんらんですか〜あの人〜! こっちにばかり当たってきて〜!」
だが、そのメトワに叩き直されたおかげで、バックヤード気質から今やフロントラインで堂々と交渉を張れる優秀なビジネスパーソンへと変貌を遂げつつある。
やはりローラは、努力家気質なのだろう。
『サナエ。私と交代しましょうか?』
「いいわよ、これくらい」
『サナエも大概、お人好しですね』
「そうかしら?」
『かなり時間、ほぼローラの愚痴を聞かされていただけではありませんか』
「ふふ、勤め人も大変なのよ。それに……今回の件で色々考えさせられたわ。 行動は目の前だけでなく、色々なところに波及するって……」
公園の入口にある広場へと戻ってきた。
先ほどの園児たちが、帰宅の準備を進めている。 どうやら課外授業も終わりの時間のようだ。 風が優しく吹き抜け、子供たちの楽しげな歓声が響く。
「……平和ねぇ」
『ええ、本当に――』
セレンの言葉が、唐突に途切れた。
次の瞬間――。
突如、背後で地響きのような爆破音が炸裂する。
爆風と衝撃波が、その場の全員の脇を吹き抜けていった。




