地上の再生、地下の殲滅
セレンによるディルバト地区の再生・開発計画のプレゼンテーションが行われる。
土地開発故にさぞかし壮大な計画があるかと思いきや、その根幹は、新しいインフラでもなく、新たな産業でもない。
イメージ戦略により地価を上げる方針になる。 キャラクターアイコンであるサナエさんを用いて、良さそうな土地、安全そうな土地のイメージを植え付ける。
潤沢な資金がない故の苦肉の策になる。
『以上がディルバト地区の再生・開発プランになります』
そう言ってセレンがプレゼンテーションを締める。
「……呆れたわ。そんな杜撰な戦略で本当に上手くいくと思っているの?」
メトワが呆れ半分に感想を零す。
『アウター地区はとにかくイメージが悪い。 故に土地の公共イメージを塗り替えてあげれば良いだけです。 立地自体は決して悪くありません。 広告戦略に長けた人材も身近にいますし、メインモデルもタダで調達できます。 これ以上ない好条件です』
そのセレンの言葉は、部屋にいた二人――サナエとローラにとって完全に寝耳に水だった。
「……」
ローラは、またしても自分が妙なことに巻き込まれつつある事実を悟り、唖然とするだけであった。
「……セレン。あんた、いつからそんな腹黒くなったの?」
サナエはあの恥ずかしすぎる広告塔を今後も継続させられる未来を察し、頭を抱えた。
『経営陣として最善策を練るのが私の役目ですから。 サナエには投下資本の回収のため、文字通り一肌脱いでいただきます。 ローラさんもプロデューサーとして、思う存分その手腕を振るえますよ』
(黒いわー。 このトークン。 本当に黒い)
『ふむ……「面白い」という感情のロジックが少々理解できました。なるほど、これは確かに一種の面白さを含んでいますね』
(性格も最悪じゃないの……!)
--- 第八区画・地下大規模下水道
下水道特有の鬱熱した悪臭と湿気が漂う劣悪な環境。
雨水を流す巨大な暗渠の一角が、彼らの密かな潜伏場所となっていた。
暗闇に包まれた通路の中で唯一電気が開通しているのは、かつて下水道工事の際に労働者たちが使っていたプレハブの休憩所跡だけだ。
工事完了後に放置されたその場所に集まっていたのは、アーサ・ブカブ街における不法侵入者――すなわち、行き場を失った違法労働者の先住民たちだった。
元々は同じ帝国領で暮らしていた彼らだったが、勝手に街を建設されて土地を奪われ、アウター地区へと追い出された民である。
「……アスタート様が、階位を下げられたって噂は本当なのか?」
「俺たちは……これからどうなるんだ?」
「後任にはメトワとかいう女役員が立つらしいが……」
「あの方だけよ! 私達の苦境を理解して庇ってくれていたのは! 」
「あの方が失脚して、俺たちに何ができるっていうんだ!」
「これからどうやって生きていけば……」
薄暗い部屋の中で、多くの先住民が激しい不安と貧困に苛まれている。 アーサ・ブカブ地域のアウターは他地区に比べて野盗こそ少ないものの、ゼロではない。
追い出されて割り当てられた土地も開墾困難な荒れ地ばかりで、生活に行き詰まった者が治安隊や他の集落を襲撃する負の連鎖が続いていた。
一方で、運命を受け入れて過酷な土地を耕し、都市部へ出稼ぎに出る者も少なくない。 その主要な出稼ぎ先こそが、アーサ・ブカブ街だった。
アスタートの手配によって『ナンバーズマーケット』で雇用され、真面目な労働によって5等市民権を獲得できた者は数知れない。
彼が失脚したということは、その唯一の希望が、閉ざされたことを意味していた。
食い扶持を失い、貧困のどん底へと突き落とされた無階位の出稼ぎ者たち。
彼らが追い詰められたその瞬間、地下道内に甲高い警報音がけたたましく鳴り響いた。
『――敵襲! 治安隊だ! 逃げろッ!!』
「くそっ、もう来やがったのか!」
猶予のない乾いた連続発砲音が地下道に轟く。恐らく見張りの部隊が交戦しているだろうか?
数十人の先住民たちがパニックに陥り、アウター地区へと続く暗い下水道の深部へ向かって一斉に走り出した。
しかし、追跡する治安隊の装備は、最新型のコンバットスーツ。 背面のスラスタージェット噴射で足場の悪い地下道を浮遊し、圧倒的な速度で距離を詰めてくる。
背後から迫る銃撃音と悲鳴が、刻一刻と近づいてくる。
殿を買って出た仲間たちは、おそらく全滅だろう。 彼らが稼いでくれた数秒を無駄にしないため、必死で悪臭の漂う暗渠を駆け抜ける。
「もう少しだ! アウター地区の出口まで出れば、奴らも追ってこない――!」
だが、湿った暗闇を抜けた直後、彼らの目の前に漆黒のコンバットスーツを纏った治安部隊が静かに立ちはだかっていた。
「ま、待ってくれ! 俺たちは非武装だ! このまま大人しくアウターへ帰るから――」
言い終える前に、全自動小銃から火花が散り、無慈悲な弾幕が彼らを呑み込んだ。しばらくして発砲音がやむと、狭い地下道には濃密な硝煙と血の匂いが立ち込めた。
≪ブラボー5より本部。対象の完全殲滅を完了≫
≪了解した。当エリアの清掃はこれにて終了だ。撤収せよ≫
≪了解≫
通信を切った隊長に、部下の一人が歩み寄る。
「隊長〜、これで本日の任務は終わりですか?」
「ああ。このエリアでの排除数が500を超えた。これ以上、無駄な弾薬と時間を浪費しても意味がないという判断だろ」
「まだ奥に残党が潜んでいるかもしれませんよ?」
「取りこぼしは織り込み済みの作戦だ。お前、この広い下水道を丸一日這い回りたいか?」
「コンバットスーツの密閉機能のおかげで臭いや感触はないですけど……できれば勘弁願いたいですね」
「だろ? それに費用対効果の問題だ。たかが先住民一人を捜索するために、100名の部隊を動かすわけにいかん」
「確かに。効率が悪いですね」
「よし、ブラボー5、撤収するぞ!」
「了解!」
黒い鉄塊たちが、残骸を残して静かに引き揚げていく。
このような惨劇が、アーサ・ブカブ街の各所で巻き起こっていた。
アスタートの降格に伴う治安隊のクレンジング作戦――それは数千の無辜の命を奪う無慈悲な狩りだった。
しかし、苛烈な弾圧が吹き荒れる中でも、泥を這うように生き残る者はいる。
目の前で家族を、仲間を、血縁を殺された者たちの瞳から涙が枯れたとき、そこに宿ったのは、絶望を塗りつぶす激しい憎悪の火だった。
この徹底的なクレンジング作戦の真の目的が何なのかは、現場の兵士にすら明かされていない。
単なる不法侵入者の排除にしては大規模であり、貴重な労働力でもある先住民を大量殺戮する合理性はどこにも存在しなかった。
反対派閥に対する見せしめか、あるいはただの治安維持の誇示か。
理由も判然としない虐殺劇は、およそ一ヶ月にわたって街の裏側で繰り広げられた。 そしてその報せは、当然のごとくアスタート本人の耳にも届くことになる。
*
1ヵ月が経過する。 006案件の執務室の大型モニターには、アーサ・ブカブ街のローカルニュースが映し出されていた。
連日報じられる「クレンジング作戦」の成果という名の惨状。
「これって……メトワさんが言っていた例の人事の余波よね」
「ええ。 あまり気分のいいニュースではありませんね……」
室内には、サナエ、ローラ、そしてセレンがいた。
「最悪ね。こんな虐殺をして、一体何になるっていうのよ」
サナエが顔を歪める。
「アスタート様への見せしめという見方が優勢ですね。報告されているだけでも、排除された人数は3,000名を超えています」
「……」
自分たちはコールドスリープの犠牲者を救ったはずだった。 だが、その裏で権力の均衡が崩れ、結果として3,000人以上もの別の人間たちの人生が容赦なく踏みつぶされている。
火星人は他者の心理や感情の機微に過敏だ。ゆえに、こうした凄惨な現実に対する共感性も嫌応なく高くなってしまう人も多い。
知らなければ幸せでいられた真実。 表層の成功に酔いしれていればよかった現実に、冷酷な裏側が突きつけられていた。
サナエの顔から、いつもの軽やかな明るさが消え去っていた。
『サナエ。考えすぎないことを推奨します。私たちが1万人近い人間を救い出したのは揺るぎない事実です』
セレンが指摘する。
「……まあ、そうね」
『私たちは神ではありません。メトワ氏も口にしていた通り、取りこぼしが出るのは必然です』
「……」
重苦しい空気を取り払おうと、ローラが明るい声を張って割り込んできた。
「さ、サナエさん! 共同研究の人工筋駆動系スーツも無事に完成したじゃないですか! それに006案件の『過酷環境下可動トークン』もほぼ完成ですよ! 研究開発は順調そのものです! 試作ラインで作られた第二世代ジャガーノートの評判も上々だって聞きましたよ!」
「……そうなの? それは良かったわ」
彼女にとっては余り興味のある話ではない様だ。
「特許料でこれからガッポリですよ! 流石です、サナエさん!」
「ガッポリねぇ……」
マールスでは、“金がない”とぼやきながら、あの寂れたテナント長屋で仮住まいをし、タツマが作ってくれた質素な料理をつついていた日々を思い出す。
彼の豊富なボキャブラリーから繰り出されるくだらない雑談に笑い転げていたあの時間に、果たして巨額の金銭など必要だっただろうか。
彼と離れて久しい。 完全な単身赴任状態の中、タツマの顔を思い浮かべるだけで胸の奥が怪しくざわついた。
「もーっ! テンション上げてくださいよ! そうだ、ランチ行きましょう! ランチ!」
サナエの葛藤を察してか知らずか、ローラが元気に提案する。
「そうね……少し気分転換しないと参っちゃいそうだし」
「もちろん、サナエさんの奢りですよね〜?」
「なんでよ、逆でしょうが。あんた一応、課長級なんだから」
「え〜! 特許でガッポリ稼ぐ予定の大金持ちじゃないですか〜!」
くだらない軽口を交わすうちに、サナエの表情に少しだけ柔らかさが戻ってきた。
執務室を出ると、金星特有の柔らかな光が差し込んでいた。今日も空は穏やかに晴れ渡っている。
「『森林公園』って知ってますか?」
「ええ、何回か散策に行ったことがあるけれど」
「あそこに、すごくお洒落な隠れ家風のレストランができたんですよ〜! たまには羽を伸ばして行きましょう!」
「そうね。行ってみましょうか」
そういって三人は、屋外に出てやってきた巡回旅客車両へと乗り込んだ。
昼下がりの半端な時間帯ということもあり、自動運転で緑色の専用レーンを静かに走る車内の乗客は、彼女たち三人だけだった。
このウェヌスに来てからというもの、命の危険に晒される場面が格段に増えた。
マールスにいた頃も数々の過酷な修羅場があったはずだが、その多くを裏で泥を被り、引き受けてくれていたのは他ならぬタツマだったのだと、今さらながら痛感する。
プロメンテ動乱をはじめ、キンメリア南北戦、そして4ヵ国大戦――。
争いにおいて、血が流れずに終わることなどあり得ない。冷静に振り返れば、自分はずっと安全な温室の中に守られていただけだったのだ。
――人を殺める、とは一体どんな感覚なのだろう。
あのコールドスリープの人質解放、その後の西方へのデータ奪取遠征もラクシュミ地域のアーサ・ブカブ社の治安隊が出動していると聞いている。
そして、命のやり取りがあったはず。
自分は「天才」と持て囃され、嫉妬され、何でも一人でできると思い込んでいた。
しかし、決定的な問題の解決、いや決着は、全部他人任せであることに気づくサナエさん。
バスの窓の外を流れていく風景は、どこまでも平穏そのものだった。 老若男女が笑顔で生きを謳歌しているこの美しい日常の裏側にも、きっと膨大な血が流れているのだろう。
「……神ではない、か」
サナエさんの口から、メトワの言葉がぽつりと漏れ出た。
『ええ。神ではありません』
隣のセレンから、容赦のない明確な音声が返ってくる。
『惑星間人類程度の存在が、他者の運命に介在できるなどと考えるとは、烏滸がましいにも程があります』
「……相変わらず辛辣ね」
『サナエは考えすぎです。これらは全て、この星の住民たちが自ら引き起こした選択と結果に過ぎません。私たちが過剰な罪悪感を背負う必要性は一切存在しません』
「……」
『それに、あなたにはまだ完遂すべき開発案件が残っています。そちらに全神経を集中してください。当初の目的を見失ってはいけません』
サナエは視線を泳がせた。
ローラは、セレンとサナエに気を使ってか、少し離れた最前列の見晴らしの良い席に座り、無邪気に窓の外の景色を楽しんでいる。
だからこそ、こうしてセレンと深い会話ができるのだ。
「そうね……やれるだけのことは、やるわ」
サナエは自分に言い聞かせるように呟き、静かに瞳を閉じた。今はこの納得を胸に刻み、前へ進む以外に道はないのだから。




