不動産部門の門番たち
--- アーサ・ブカブ社 不動産部門 役員執務室
通された執務室は、拍子抜けするほど質素だった。 床は安価なオフィスに使われる事務用のビニールタイル。壁は飾り気のない白い壁紙が貼られているだけ。
デスクも一般社員が使うスチール製と大差がない。 応接セットも無難な既製品で、出されたお茶の香りも至って普通だ。
「……なんだか、思っていたのと違うわね」
サナエがソファーに深々と腰掛けながら呟く。
「金ピカの成金趣味かと思ったんですか?」
ローラが声をひそめて突っ込む。
「そうそう! 漆黒と黄金をベースに、ド派手で怪しい調度品が、所狭しと並べられているような?」
「それ完全に悪の組織の幹部室じゃないですか……」
ローラさんは、これから会う大物への緊張から喉が渇いているのか、出されたお茶を一気に飲み干す。
「はぁ~。 お茶菓子も出てこないんですよ。 ここは。 お金にはシビアなんですよ」
内部こそ質素だが、外部の人間から見れば、ここはまさしく「悪の根城」そのものになる。
「たしかに。 このお茶だって、私が淹れた方がずっと美味しいわ」
サナエさんが、その意見に同意する。
『淹れるのは随分と上達されましたね。その情熱を少しは家事にも注いでいただけると助かります』
セレンの冷静な突っ込みが飛ぶ。
「それとこれとは、まったく別の話でしょう!」
軽口を叩き合っていると、ドアが静かに二回ノックされ、洗練された身なしの秘書が入室してきた。
「大変お待たせいたしました」
秘書が恭しく扉を開けると、一人の男が足音もなく姿を現した。秘書は男の入室を確認すると、一礼して無言のままドアを閉める。
小太りでも痩身でもない、中肉中背の男。しかし、纏う空気が一般の社員とは根底から異なっていた。深く静かな眼光の奥に、無数の修羅場を潜り抜けてきた冷徹なビジネスマンの凄みが潜んでいる。
「やあ、初めまして。キャミャエル・サナエさん。そして、そちらはローラさんかな?」
男――アル・アスタートは穏やかな笑みを浮かべつつ、対面のソファーへと腰を下ろした。
「ええ、初めまして。アスタート役員。 こちらの部署とは今まであまり縁がなかったものですから。 急な対応ありがとうございます」
サナエも静かに相手の顔を見返す。 社内データベースで熟知している顔だ。
「さて……本日はどのようなご用件かな? 技術部門の筆頭がわざわざ不動産部門へ足を運ぶとは」
「ディルバト地区の現状を知りたいと思いまして」
「ほう。技術屋が、我が不動産部門の案件に興味を持ったと?」
アスタートの瞳の奥がスッと細くなった。薄い笑みを保ったまま、室内の空気を一瞬で押し潰すような無形の圧力をかけてくる。自らの領域を守る百戦錬磨の牙だ。
だが――ダイゴやスキュレスといった本物の怪物たちと渡り合ってきたサナエさんにとって、この程度の威圧は痛くも痒くもない。
サナエさんは何の気負いもなく、いつもの軽快な調子で会話を続けた。
「そんなところ。 現在開発を進めている高出力トークンや、新型コンバットスーツの一般利用……その実証実験の場を探しているの」
「……ナンバー案件の筆頭自らが直々に現場実験かい?」
「006案件は機動力が売りなのよ」
「なるほど。いいだろう。では、該当地域の責任者を紹介しよう。――入ってきてくれ」
アスタートがドアに向かって短く声をかける。
直後、しなりと開いた扉から一人の女性が入室してきた。
その顔を見た瞬間、ローラの顔色が劇的に変わり、ソファーの上でソワソワと身体を強張らせ始めた。
「貴女がキャミャエルさんね。……先日は色々とお世話になったわ」
「そうなの? あなたと顔を合わせるのは初対面だと思うけれど」
「あ、あわわわわわ……!」
ローラさんが、焦っている。 入室してきた女性はローラの視線に気づき、薄く口元を歪めた。
「そちらの人事部のお嬢さんはよくご存じのようね。初めまして――シャヤク・メトワよ」
その因縁深い名を聞いても、サナエは欠片も動じることなく自らの名を口にした。
「キャミャエル・サナエよ。――で? あなたは今回、どんな立場でここにいるのかしら?」
意図的な挑発を含んだ物言いに、メトワの切れ上がった瞳がさらに細くなった。室内の空気に鋭利な刃物が突き立てられたかのような、ひリつく緊張感が走る。
(逃げたい……! 今すぐここから逃げ出したい……ッ!)
ローラの悲鳴が、内心から漏れ出しそうだった。
なにこの殺伐とした空間。役員クラスの実力者が三人、無言で火花を散らし合っているのだ。 たかが一課長級に過ぎない自分がここに座っていること自体が、正気の沙汰ではない。
針の筵のような静寂の中、空気の読めない……いや、あえて破壊したセレンが平然と口を開いた。
『おや、ローラさんのお茶が空ですね。 お代わりをいただきましょう。……それと菓子類は出てこないのでしょうかと、ローラさんが先ほど愚痴っておられましたが? 』
(あわわわわ! 何を捏造してんだこのポンコツーッ!? 私がいつ茶菓子寄越せなんて言ったぁーッ!?)
ローラの叫びを余所に、アスタートは“そうか、配慮が足りなかったね”と端末を取り出し、どこかへ連絡を入れた。
破調によって緊張の糸が一瞬緩んだ隙を突くように、メトワが口を開く。
「ディルバト地区の管理開発権は、現在私に移譲されているわ。故に、あそこで何かを行おうとするならば、私の許可が必須となる……そういうことよ」
「ふーん。で、こちらの提案について、あなたは届いた資料をどう評価しているわけ?」
「開発品の一般利用……ね。具体的には何をするつもり?」
セレンがモニターを取り出し、ティエンフーとアスカ近隣の立体地図を示していく。
「現在開発中の『極限環境下可動トークン』を用いて、開墾や耕作はもちろん、建築・土木といった生活インフラの整備に投入するの。それにあの立地なら、都市間の道路インフラ整備にも絶好でしょう? アスカとティエンフーを繋ぐ流通ラインを作るなら、あそこが最も効率的なハブになるわ」
サナエが、モニター上の地図上に指で鮮やかなラインを描きながら業務内容を説明していく。
「……ふーん。 それで?」
「それだけよ。開発品の有効性が証明されれば、西部地区全体の発展にも直結するわ」
メトワの表情が冷たく歪んだ。
「なるほどね。……けれど私も役員。 何の裏もなく貴女のような人間が動くとは到底思えないけれど? ――筆頭? いや、ここでは『ヒルベルト商会』とお呼びした方がいいかしら?」
「ヒ……ヒルベルト商会!?」
ローラがガバッとサナエの方を振り返る。
「あら。ご存じだったの? 」
サナエは素性を暴かれても、痛くも痒くもないといった様子で首を傾げた。
「判明したのはつい最近よ。調査には相当な骨を折らされたわ。履歴書データは本物、経歴の整合性を洗っても一切の矛盾なし。
ただ……『重要な経歴の項目が丸ごと抜けていただけ』だなんてね。実によく考えられた工作だわ」
「ふふ、さすがね。私、嘘は一切書かない主義なの」
「ええ、確かに嘘はついていないわね。……それで? 本題の“裏”は何なの?」
「えー、教えなきゃダメー? そもそも裏がある前提で話を進めないでほしいんだけど」
「当然でしょう。 相手は惑星間貿易商……その中でも悪名高きヒルベルト商会よ。その言葉を“はいそうですか”と鵜呑みにするほど私は愚かじゃないわ。
……理由を正しく明かすなら、状況次第で全面協力してもいいけれど?」
サナエはチラリとセレンへ視線を送った。
「……セレン、どう思う?」
『そうですね……判明している以上、話してしまっても問題ないと判断します』
「ふふっ。やっぱり貴女は優秀ね」
ちょうどその時、ドアが開き、淹れ直された温かい紅茶とリフレッシュメントの焼き菓子――マーラーカオを思わせる、ふかふかとした蒸しスポンジケーキが運ばれてきた。
サナエは周囲の視線など意にも介さず、焼き菓子を手づかみでむしり取ると、大きな口で頬張り、紅茶で一気に流し込んだ。
アスタート、メトワ、そしてローラの三人が、目の前の光景に一瞬絶句する。
絶世の美女が、役員室の商談の真っ最中に手づかみでケーキを口いっぱいに頬張り、満足そうに吐息を漏らしているのだ。
サナエは空になったカップを置くと、ソファーの背もたれに深く体を預け、優雅に脚を組み替えた。
「ふう、美味しいわね。――さて、本題だけど。私たちヒルベルト商会はね、本格的にこのウェヌスへの足場を考えているの」
一転して落ちた、重く低い声。サナエの瞳から戯れが消え、底知れぬ本気が覗く。
室内が再び静まり返った。
「特にイシュタル帝国は、膨大な人口を抱える超巨大市場よ。 商売を行うにはこれ以上ない最高のロケーションでしょう?」
「……」
「巨大な市場と、安定した地域。 商売人にとってはヨダレが出るような場所。 だからこそ、私たちはこの地で揺るぎない事業基盤を確立したいの」
「ならば普通に進出すればいいでしょう。わざわざ未開の開発地域にこだわる理由がないわ」
メトワが冷たく反論する。
「もちろん、そうしたいところ。……ただし、私たちが目指す『自由な商売』にとって、帝国政府の行き過ぎた強権は邪魔なのよ」
帝国の権力を正面から「邪魔」と言い切った。この国に生きる者ならば誰もが青ざめる暴言だが、サナエには何の意味もなさない。
「だからこそ、誰の手もつていない新規の土地開発に、ものすごく興味があるの」
メトワが反論する。
「ディルバト地区……あそこに自前の拠点を築くつもり? でも、帝国政府の力は絶対よ。ティエンフーの中心部を更地にする程度の権力、彼らには易々と行使できる」
「――惑星間貿易商に認められた『不干渉の財産権』」
サナエが呟いた単語に、アスタートとメトワの動きがピタリと止まった。
「……正気か! 帝国政府を相手にそんな大見栄を切るなど、無謀にもほどがあるぞ! 」
アスタートが思わず声を荒らげるが、サナエは意に介さず肩をすくめる。
「帝国の事情なんて知らないわよ。妙な干渉をしてきたら、即座に惑星間裁判所へ提訴するだけだもの。 ちなみにこちらはテラ所属、法廷バトルになったら相当エグいことになるわよー?」
「しかし、惑星間協定よりも現地の法律もあるわ。 そんな容易に帝国意思をネジ曲げることは……」
メトワが、いまだ新規の開拓地に参入する意図を訝しんでいる。
「惑星間協定の前文は、“地域住民に配慮すること”の一文があるの。 当初からの入植者であり自分達の土地として愛着を持っている。 さらには、惑星間貿易商の管理下……納得していただけたかしら」
「……そうきたかヒルベルト商会」
アスタートが、納得したようだ。
「……ただのゴロツキかと思ったら小賢しいときましたか、本当に厄介な連中ね。 で貴女方はそこで何を企んでいるの?」
メトワの問いには、核心を暴こうとする執念が滲んでいた。
「別に大層な企みなんてないわよ。土地を発展させて安定させ、その上がりの一部を正当にいただく。投資した分の回収は当然の権利でしょう?」
「……先住民を集めた、安定した独立コミュニティでも作らせる気?」
「そんなところね。彼らが自発的かつ意欲的に働ける環境を整えるのよ。調べさせてもらったけれど、今の先住民たちはリソースを殺されて完全に放置されているじゃない? 安全で、働けば報われる環境を提供する――これってすごく重要なことでしょう?」
「加えて、進出企業としての防衛と運営権の確保……というわけか」
アスタートが捕捉する。
「まーねー。……さあ、どうするかしら?」
サナエは挑発的な笑みを浮かべ、二人の役員へ交互に視線を送った。
アスタートがため息を漏らし、メトワへ視線を向ける。
「どうなんだね、メトワ役員。 誰を開発案件に参入させるかは、君の領域だ」
メトワはしばらくサナエを睨みつけていたが、やがて短く息を吐いた。
「……分かりました。承認しましょう」
「ありがとねー! ついでに開発資金も出してもらうから、よろしくね!」
ちゃッかりと資金援助まで取り付けたサナエの言葉に、二人の役員は同時に冷めきった紅茶へ手を伸ばした。
ローラだけが緊張のあまり、目の前の美味しそうなスポンジケーキに一度も手を触れられないまま固まっている。
「……それにしても、その若さで大した胆力だな」
アスタートが呆れたように漏らすと、サナエはくすりと笑った。
「そうかしら? あなたたちなんかより、ずっとおっかない怪物たちと知恵比べをしてきたからかしらね」
メトワとアスタートの二人が同時に冷めた紅茶に手を付ける。
ローラさんは緊張で、リフレッシュメントの美味しそうなスポンジケーキも紅茶にも手が出ていない。
「商談はまとまった。……これでいいのかな?」
「ええ、その認識で構わないわ。投資資金の要求額については、手加減してもらえると助かるけれど」
「大丈夫よ! 『明瞭会計』がうちのモットーだから!」
「私からも異論はない。現場の担当役員が許可を出したんだ、好きにやってくれ」
「感謝するわー」
サナエはニコリと微笑むと、ソファーから立ち上がった。
「さて、私からの用件は以上よ。近いうちに現地へもお邪魔させてもらうから、よろしくねー。……じゃ、帰りましょうか、ローラ」
「は、はいっ!」
ガタガタと立ち上がるローラ。その時、メトワが背後から声をかけた。
「最後に一つ、いいかしら?」
サナエは足を止め、メトワに振り向く。
「どうぞー」
「貴女は……あの先住民たちをどう扱うつもり? 以前のマールス人は、先住民達を実験動物のように使い潰していたけれど」
「昔の奴がどうだったかは知らないわ。 けれど私の基本方針は“彼らに健全な日常を送らせ、元気に働いてもらうこと”よ。 継続的な経済循環の拡大こそが、我がヒルベルト商会の発展に繋がるんだから」
「……聡明ね」
「当然でしょう! 私はマールスの誇る最高の知恵なのよ! ――それじゃあねー!」
ひらひらと手を振り、サナエたちは執務室を後にした。
静まり返った執務室内に、メトワとアスタートの二人だけが残される。
アスタートはテーブルの上のマーラーカオを見つめ、静かに呟いた。
「……まったく。正解なんて、いつだって単純なものだな」
「……」
「土地開発事業の利権に目がくらんだ貴族どもに肩入れした結果が、このザマか」
「……」
「君は、次期社長の座に最も近いと言われていただろうに」
「私には……あの道しかなかった。006部隊が動いたのも、貴方の差し金でしょう?」
「さあね。だが、間違いを犯し続けている人間をそのまま放置する気はないよ。“小を捨てて大を取る”などと言い訳をし、プロジェクト・ミミアグラフに協力して貴族から開発の優先権を譲り受ける……。
本当にあの強欲な貴族どもが、その約束を守ると思っていたのかい? 無能な権力者ほど厄介な存在はないと、君なら知っていたはずだ」
「……」
「先住民が安住できる土地の開発……そのための犠牲が一万人。 残酷だが、我が社の社長はさらに膨大な数の先住民の検体をコールドスリープで抱え込んでいる。……想像はつくだろう?」
「……」
「次から次へと検体が供給され、隠し事は雪ダルマ式に増え、貴族には弱みを握られて付け込まれ……最終的に君は身動きが取れなくなっていたはずだ」
「だから……私を嵌めて告発したというの?」
「どうだろうね。だが、社長にとっても今回の事態は予期せぬ横槍だったはずだ。 まさか006部隊へ直接救援信号が飛ぶとは考えていなかっただろうからね」
「……私を救ったつもりでいるの? 見くびらないで!」
「救われたのは、一万人の先住民たちだろう?」
「……ッ」
「社長の本来のシナリオはこうだ。貴族からの過酷な要求に精神的に追い詰められた君を土壇場で救い出し、完全に自らの手駒として取り込む……。そういう筋書きだったのかもしれないがね」
メトワはフンと鼻を鳴らし、目の前の蒸し菓子を一口かじった。 上質な甘みが口いっぱいに広がる。さすがは最高幹部室に備え付けられた高級菓子だった。
「だが、006部隊のやり方……上手く転がれば面白いことになるかもしれない。助かった一万人も、それなりに人間らしい暮らしができる環境が手に入るだろう。……もっとも、君の担当案件だ。しくじらないでくれよ?」
「言われなくても、完璧にやり切ってみせるわ」
「ならば結構」
二人の間に、再び重く静かな沈黙が降り積もっていった。




