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禍従口出

あの化け物退治の一件から、一ヶ月が経とうとしていた。


激闘の顛末を記した報告書は、ブラウニーの手からセレンへと渡っている。


しかし、かつてサナエが辿った過酷な境遇をアルプから聞かされているセレン(トークン)は、元凶であるセミラミーデの名を伏せたまま報告を上げた。


サナエさんに無用な心労を掛けまいとする配慮だろう。


もっとも、当のサナエ自身も義眼の開発に完全に熱中しており、ローラとキリヒが無事に帰還した時点で真相への興味は薄れていたようだが。


―― ウェヌス(金星)の朝。


西の地平から昇り始めた太陽が、街角を穏やかな光で照らし出していく。ふと見上げれば、青空の端にうっすらと衛星クピドーの影が浮かんでいた。


街路樹が整然と並ぶ道を、ローラは出勤のため『006部隊』のオフィスへと向かって歩いている。 体を適度に動かしながら思考を巡らせるこの時間は、彼女にとって朝の密かなお気に入りだった。


今回の件では、リジェネレイター(急速再生者)のサンプル回収、危険手当、そして成功報酬が上乗せされ、まとまった臨時収入が転がり込んできた。


年収クラスのボーナスを手にしたローラは、死線を潜り抜けた苦労や多少のわだかまりを抱えつつも、すこぶる機嫌が良い。


(今回はホクホクですねー。ちょっと奮発しておしゃれな洋服買っちゃおうかなー。それとも、ハイブランドのバッグにするのも捨てがたいよねー)


そんな浮ついた妄想に浸れる程度には、心に余裕が生まれていた。

……だが、不安の種が完全に消えたわけではない。


(セミラミーデが、まだこの星に潜んでいる……)


ローラの頭の中で、あの女は「超危険人物第一位」に君臨している。できれば二度と関わりたくない相手だ。


(奴の存在だけが唯一の懸念事項。あの女、私が会った人間の中でもブッチギリで狂ってますからね……。今回の作戦失敗で、おとなしく撤退してくれていればいいんですけど――)


払いきれない懸念を胸の奥に押し込め、職場へと足をすすめる。周辺は住宅街からオフィスが混在する総合地区へと差し掛かっていた。


登校中の子供たちの元気な声が響く。ここはアーサ・ブカブ街。豊潤な緑と穏やかな空気に包まれた、ティエンフー地域でも特に安全な一帯だ。


最近はティエンフーの中心街や地方都市のアウター(郊外)に出張することが多かったため、この街の治安の良さが身にしみる。


巨大な変態も出ない。麻薬中毒者がうろつく姿を見ることもなく、銃口を突きつけられることもない。 硝煙の臭いも、へばりつく血の痕跡もないのだ。


(いけない、いけない! 折角取り戻した平穏なんだから、もっと積極的に今を満喫しなきゃ。変な思考のドロ沼にはまるのはナシ!)


「あー……なんて優雅な街なのかしら~♪」


思わず声が漏れ、その場でスカートの裾を翻してクルリと一周回ってみせる。通りすがり住民からクスクスと微笑ましい視線を向けられたが、気にも留めない。


(いいのです。平和は噛みしめてこそ価値があるんだから。ボケられる平和って本当に素敵!)


軽やかなステップを踏みながら、本社の守衛の横を通り過ぎる。


「おや、ローラさん。今日は随分とご機嫌ですね」

「まーねー!」


パッと手を振り返し、愛嬌を振りまく。


出勤後、ローラの最初のルーティンは『006部隊』の支援室へ寄ることだ。ギークたちの研究状況を覗き込むと、今朝も机を囲んで図面や資料を突き合わせ、喧々諤々の議論を交わしていた。


(……ガラクタみたいなパーツが順調に増えてるなぁ)


それがローラの率直な感想だ。正直、あれらが何の役に立つのかは事務職の彼女にはさっぱり分からない。


続いて二階の研究室へ顔を出す。 たまにサナエさんが、ギークと共に早朝から籠もっていることもあるが、今日は誰もいなかった。 

先ほど階下で議論していたのが全員なのだろう。


部屋の隅には、006案件のトークンがハンガーに立て掛けられていた。 すでに実戦稼働できるのではないかと思えるほど形になってきている。


前作に比べてコンパクトかつスマートなシルエットに引き締まっていたが、それでも圧倒的な存在感だ。


何より、前後左右に配置された生々しい光学センサーが全部で七つ。まるで異形の化け物を連想させ、少し不気味でもある。


「ここにもいないかー」


最後にサナエの執務室のドアをトントン、と叩く。


『どーぞー』


中から聞き慣れた軽快な声が返ってきた。


ドアを開けると、いつもの光景が広がっている。せっせと室内を掃除しているセレンと、デスクで端末を操作しているサナエさん。


「到着しましたー。サナエさん、経費精算の書類、最終確認大丈夫ですか?」



--- 執務室の日常


執務室のソファーに腰掛けたローラは、タブレット端末に視線を落としながら、経費や予算、開発品などの進捗データをチェックしていく。


彼女は一応秘書も兼ねており、サナエが作成したデータの最終検品も重要な仕事だ。 セレンが手際よく淹れてくれたお茶を一口すすむ。


彼女はそのまま無駄のない動作で部屋の掃除を再開していた。人間型のサポート機というのは、つくづく便利な存在である。


「取り敢えず、数字に問題はなさそうですね。経理へ送信しておきます」

「ありがとねー。まぁ今回も006部隊の運用で大金が飛んでいったからねぇ」


「ほんとですよ! 事務方を前線に放り出すなんて、あきらかに職務範囲オーバーです!」

「でも、006部隊の管轄領域からは逸脱してないでしょ?」


ありていに言えば、現在のローラの立場はかなりグレーゾーンだ。上からの意向次第でいくらでも便利に使われてしまう危険を孕んでいる。だが――。


「それに、成功報酬もガッツリ出たんでしょ? 相当な額だって聞いたわよ」

サナエがニヤリと笑いかけてくる。


報酬体系もまた通常のラインから外れている。

「命がけの給料アップなんてお断りですよ!」


「確かにね。化け物相手のバトルなんて命を張る仕事だもの、お疲れ様。それにしても、自己再生する怪異なんて、もはや生物兵器の領域よね」


「ホント勘弁してください。荒事専門の部隊が対応すべき案件であって、デスクワークの私が首を突っ込む現場じゃありません」


「まあそのおかげで、社長から直々に感謝状が届いているわよ。 こっちもアームの制御データが順調に溜まって、今はプログラムの更新作業中。怪我の功名ね」


「キリヒさんの多腕式コンバットスーツですか?」


「そっ。プロジェクトもかなり進んでるわ」


サナエが手元の端末を操作すると、ローラのタブレットへ進捗データが転送されてきた。ローラが遠征に出ている間、サナエが怒涛の勢いで進めた成果だ。


・人工筋 軽量型パワードスーツ 80%

・006案件 “過酷環境下 可動トークン構想”70%

・高性能光学センサーの開発 70%


「……流石のスピード感ですね」

数字を見たローラは素直に感嘆の声を上げた。


「まーね。ちなみに今は、試作006案件の生産ライン構築を進めているところ」

「えっ? まだ“過酷環境下 可動トークン”の本体は完成していませんよね?」


「大枠の設計は固まっているのよ。“試作品段階でいいから生産ラインのベースを確定させろ”って、社長直々の命令だからね。従うしかないでしょ。


今はロボティクス製造部門と擦り合わせ中。もう試作機自体は出来上がっているんじゃない?  実際、トークンの修正項目もいくつか上がってきているし」


「あ! だからこの工作機械の一群の請求項目があるんですね。べらぼうな金額が出てきたから何事かと思いましたよ!」


「本来なら製造部門の予算で落とすべきなんだけど、あっちも年間予算がカツカツらしくてね。“開発計画の枠で持ってくれ”って頼まれたの。 もちろん社長の決済済みよ」


「筆頭直属だからできる機動性ですね……さすが。でも、何かそんなに急ぐ理由でもあるんですかね?」


「さぁ? 『とりあえず走らせてみよう』っていういつもの方針じゃない? それに、ローラだけに苦労させるわけにはいかないし、こっちもガツガツ働かないとね」


サナエの言葉には、事務方のローラを過酷な現場へ送り出したことに対する、わずかな罪悪感が滲んでいた。とはいえ彼女は組織の筆頭だ。


自ら前線へ乗り込むわけにはいかないのも事実である。 ローラとしても、ここで遠征の愚痴をぶちまけて彼女に余計な気苦労をかけさせるのは本意ではなかった。


「……まぁ、私は後方支援でしたから。一番体を張ってくれたのはキリヒさんです。ところで、私がいない間、開発以外で何か動きはありました?」


さりげなく話題を切り替える。


「そうねぇ。特に大きな動きはないけど……ああ、アーサ・ブカブ社の経営陣内部で政争が本格化し始めているらしいわ。 


現社長派が圧倒的有利なんだけど、反対勢力がなんとか崩そうと画策しているみたい」


サナエさんが社内政治の話題を振る。


「あの社長に挑みますか――負ける姿がまったくイメージできませんけど」

ローラが応じる。


「普通に考えれば勝ち目はないわね。 といういか、あの社長、後ろ盾とかないのね」


「ええ。 完全な実力主義のたたき上げですからね。 といっても何をしたのかは知りませんけど」


「その為か、彼を制御する人間がいないのね」


「あーまー」

ローラは社長の周囲にいる面々を脳裏に浮かべ、なんとなく納得して話を続ける。


「たしかに、古参じゃなく新参のトップ。 だから彼の場合『後援』というより『仲間』と呼ぶべき人間が多いですね。 


しかもその仲間たちが、揃いも揃って出世欲が皆無なくせに、仕事をやらせると恐ろしいほど優秀な感じですね」


「へー」

サナエさんもローラの社内事情を物見遊山的に聞いている。


「だからこそなのかもしれません。 反抗勢力側の連中も、軒並み社長に弱みを握られているか、恩義や借りがある人ばかりですかね」


「えぐい構造ね……」


「ですね。 先の“先住民のコールドスリープ”の一件で、反社長派のホープだったメトワも社長派に取り込まれちゃいましたから」


「そんな状態で、よく歯向かうわね」


「まー、形だけのパフォーマンスでしょう。 今後の社長争奪戦を見据えて“ここに反体制派が存在する”ってアピールだと思いますよ」


「勝ち目のない負け戦に付き合うのも大変ね」


「社長もそれを分かった上で泳がせているんでしょう。 お互い茶番だって理解した上での劇といったところですかね。 組織にはガス抜きも必要ですから」


「なるほどー」


手元の書類をすべて確認し終えたローラは、ソファーの上で大きく背中をそらして伸びをした。

「っくーーーっ」


可愛らしくない声を漏らしながらローテーブルのお茶で喉を潤すと、思い出したようにサナエへ言葉を向ける。


「社長で思い出しましたけど、例のアスカ郊外の入植地って、その後どうなったんですか?」


「ああ、あったわねー! あの件の被害者ね。 どうなったのかしら? 」

サナエさんが、ぼんやりと記憶をたどり始めている。


『その件であれば、確か社報に掲載されていました』

セレン(トークン)が会話に入って来る。


「へー。 社報ねー」

サナエさんの呟きの後、セレン(トークン)が、サナエさんとローラのタブレットに電子データを転送してくる。


画面を開き、記事に目を通す。


「へー、ディルバト地区ですか……って、ここどこですか?」

「アスカの郊外って聞いてるけど……ちょっと本人に聞いてみようかしら」


サナエはデスクの固定通信端末を操作し、コール音もそこそこに回線をつないだ。


*** ☎ 通話開始 ***


≪……どう? 調子は?≫

≪……≫


≪えー、いいじゃない。世間話する権利くらいあるでしょ?≫

≪……≫


≪コールドスリープから解放された人たちがどうなったか気になってね。集落の正確な場所はどこなの?≫

≪……≫


≪“自分で調べろ”って?  減るもんじゃないんだから教えなさいよ! あなた自身が現場に行ってるんでしょ?  社報の写真で良い笑顔で写ってるじゃない≫

≪……≫


≪撮影用?  知らないわよそんなの。 場所を教えなさいってば≫

≪……≫


≪了解。人事部からデータを回させるのね。ありがと≫

≪……≫


≪現場の社員との交流も大事でしょ?  じゃあねー≫


*** ☎ 通話終了 ***


ブツッ、と一方的に通話を切るサナエ。


ローラは手元の社報を二度見した。掲載されている写真で笑顔を浮かべているのは、言わずと知れた我が社の頂点――社長(クァドラット)その人だ。


ということは、今の通話相手は……。


「あのー……サナエさん。今、誰に電話してたんですか?」


「ん? 社長よ。“現場に行ってるんだから場所くらい教えなさい”って言ったの」


「……」


「“私の貴重な時間を奪うな”とか言ってたけど、社員とのコミュニケーションも社長の大事な仕事でしょ! まったく、器が小さいんだから。あ、近いうちに人事から詳細データが届くって」


(ああ、ヤバい。焚きつけたのが私と分かったら、また上司から説教されるパターンだこれ……!)


頭を抱えて青ざめるローラを他所に、サナエの端末へメッセージの受信音が鳴響いた。

「あら、来た、来た。 仕事が早いわねー」


端末に表示されたマップを確認し、サナエが顎に手を当てる。


「へぇ、車両を使えば日帰りで行けそうな距離ね。……最近、私どこにも外出してないのよねぇ」

「私は命がけの長期出張から帰ってきたばかりですよ!?」


サナエの瞳に怪しい光が宿るのを見て、ローラは悟った。次に彼女が口にする言葉が、手に取るように分かってしまう。


「あー……もう! 聞かなきゃよかったーーー!」

(せっかく、安全な本社で穏やかな時間を過ごせると思ってたのに――!)


「あらっ! ローラったら、私の心が読めるようになったのね!」

「なわけないじゃないですか! ……まさか、私も現地に行くんですか?」


「当然! 同行しなさい。護衛としてキリヒとブラウニーも連れて行くわ。 セレン。 明日、キリヒたちをここに呼んで! 計画を立てるわよ! 」


『了解いたしました』


「ローラもね! 」

「……わかりましたぁ……」


平穏なひとときは、たった一言の気まぐれで容易く崩れ去る。

ローラさんの受難(日々)は、続く。


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