追起
--- 数日後
アーサ・ブカブ社の情報網は、圧倒的な精度でその真価を発揮する。 持ち込まれた盗難品の流出ルート、その取引の一旦が瞬く間に浮かび上がってくる。
盗人からヴェスパー社の末端組織へと「記録ボックス」が手渡される計画を掴むことになる。
そして現在、その情報を精査するため、執務室でキリヒとブラウニーと治安部の部長がローテーブルを囲んでいる。
「……案外簡単に尻尾を掴めたが……」
部屋の明かりを落とした執務室。青白いディスプレイの光が、治安部部長の苦々しい表情を浮かび上がらせている。
そして、同じ情報が映し出されている自身のタブレットを操作する指先には焦燥感が滲んでいた。
「情報が容易に手に入るということは、罠の可能性――待ち伏せもあるかもしれないな」
キリヒもまた、自身のタブレットを指でスワイプしながら、冷静に状況を分析する。
「その通りだ……どうする? 」
「先発部隊と支援部隊に分けての対応だろうな。 他に案があるか? 」
「いいや。 それでいこう……定石だな」
「先発部隊は俺がやる。 いいだろ? 」
「ああ。 あんた以上の人間はいないからな」
部長が手元でタブレットを操作すると、画面に移されていた地図が立体的になり、特定の位置が赤く点滅する。
「場所は、アウターの工場跡地になる」
「典型的だな」
キリヒはウンザリしたように肩をすくめたが、その予測通りの回答には納得の表情を見せた。
「ああ。 それと配置図だ。 こちらの部隊数は30名。 精鋭だ。 戦力としては、十分だろう」
「了解だ」
「ヴェスパー側の武装はこちらと変わらんが、最近トークン戦術を用いた、特攻作戦を実施しているらしい」
「トークン自爆部隊ねートークンと言っても安くないからな。 一体300万ヴィール以上だろ? 戦闘用となれば桁が上がる……中々値のはる攻撃だな」
「ああ、隊員には既に伝えてある。 ここ一番の土壇場で投入してくるはずだ。警戒を怠るな」
「了解だ」
『それについてですが、気になる情報があります』
静観していたブラウニーが、終わりかけた協議に口を挟む。
「おや、トークンがどんな情報を? 」
『先日、ローラとの会話に出ていたセミラミーデの情報がありました』
「ああ、あの本社人事部さんが言っていた奴か――それで」
『我が社に在籍していたようです。 ただし、社内規定違反と職務規定違反により解雇されています』
「あの美人のねーちゃんがねー……何者だ? 解雇となると横領か、窃盗か」
アーサ・ブカブ治安部の部長がソファの背もたれに深く体重を預け、いぶかしむ。
『正確には、社内の倫理規定違反ですね』
「倫理規定? パワハラとか? 」
『生命倫理の軽視になります』
「生命倫理だー? 一体何をやらかしたんだ? 」
彼の顔が怪訝そうに眉をひそめる。穏やかで洗練されたあの美女の容姿からは、およそ想像もつかない言葉だった。
『詳細はありませんでしたが、社内の倫理委員会を通さずの大量の人体実験を実施したようで、※1 ヤンサで甚大な被害が発生したようです。 報告書には、周辺住民の生命の軽視は、看過できないとのこと記載がありました』
「……待て待て待て。 大量の人体実験? ヤンサで甚大な被害? おいまさか、あの“ヤンサ暴動”を起こしたのは、あいつか! 」
『流石アーサ・ブカブ治安部の部長殿いらっしゃる。 察しがよろしいです』
「暴動? ああ報告だけは聞いているが。 ただの住民反乱だろ? 」
キリヒが、他人事のように記憶をたぐる。
「ああ、お前は丁度アフロディア大陸に遠征したいたから巻き込まれなかったんだよな。
報告書にはそう書かれているし、事件に関しても緘口令が敷かれているため情報が封鎖されているんだが――」
「住民じゃなかったってことか? 」
「いや住民だ――が、あれは人の形をした別物だ」
「別物? 」
「住民同士が、目的なく殺し合っていたらどう思う? 」
「……はぁ? あり得ないだろう」
部長はローテーブルに置かれた湯気立つ紅茶に手を伸ばしたが、口をつけることなくカップを握りしめた。
その視線はテーブルの一点に固まり、凄惨な過去の記憶を手繰り寄せているようだった。
「そのあり得ないことが、発生したんだ――最初はいつものような、住民反乱の制圧とのことで、ここの西方方面治安部隊が投入されるたんだ。
しかり、いつものように政府打倒などなく、何故か住民同士で銃撃戦を行っている異様な光景だった。
何かが根底から欠落しているような不気味さを覚えたが……所詮は素人の集団。 我々の正規部隊によって、事態は容易に平定されるはずだった」
部長は一度言葉を切り、温くなった紅茶で喉を湿らせると、再び重い口を開いた。
「途中から奴らの標的が、我々に向くようになり、部隊が猛攻に晒されることになった。 結果、こちらも相当の被害が発生したんだ」
「住民相手にか? 」
「ああ。 人が銃で撃たれたら普通どうなる? 」
「痛みで動けなくなるか、ショック死だな」
「しかし、やつらは銃弾を受けても動いて襲ってきたんだよ。 古い映画にでてくるゾンビの感じだ」
「……」
キリヒも信じられない顔をしているが、もちろん、この部長が嘘を言っているとは思えない。 それに、アーサ・ブカブ治安隊に相当の被害があったのも事実だった。
キリヒがアフロディア大陸からの遠征から戻って来たら多くの負傷兵がおり、あのならずもの31部隊でさえ3割近い被害が出ていた。
確かに誰に聞いても、“住民の反乱制圧だ”との回答しかなかったのが、おかしいと思っていた。
しかし、直後、キリヒは本社勤務に転属になっていたため、事件の大きさの割には記憶が曖昧になっていた。
「圧倒的な物量で死を恐れず突っ込んでくる。 時には倒れた仲間を盾にして、そして倒れた治安隊のコンバットスーツをはぎ取って突っ込んでくるんだ。
更に質が悪いのは、映画のゾンビの様に行動が、緩慢ではなく、それなりに俊敏であること。 そして、自動車や兵器が使える。無能ではないことだ。
倒した兵士の武器を用いて攻撃をしかけてくる。 一般人のままゾンビになっている感じだった。 唯一の救いは、噛まれて同族になるようなことはなかったことぐらいか」
「……なるほどな」
静寂が室内を支配する。部長は深いため息をつき、ブラウニーを見つめた。
「あの動乱を……そのセミラミーデが、あの事件を引き起こしたのか? 」
『アーサ・ブカブ社の倫理委員会の通達時期と事件の日程がかなり近いこと、更に』
「――更に」
『彼女の研究の一部が発見できましたが、その内容からも事件との関連性が強く推測されました』
「よくそんなヤバいものが、入手できたな」
キリヒは、感心する。
『006部隊です。 人事部の課長級もいますからね、アクセス権限もそれなり大きいので。 と言っても、末端の研究内容になります。 研究内容は、人の記憶のリセット化。“記憶の漂白化実験”です』
「それとあの暴動がどう結びつく? 」
『漂白された記憶の上に新しい自我を植え付ける。 例えば銃弾を恐れない、痛覚を感じない』
「可能なのか? 」
『理論上は、可能です』
「で? 奴は何で住民同士を争わせたんだ? 」
『ここからは、倫理委員会の議事録を読み込んでの仮定でしかないのですが』
「……」
「……」
キリヒとアーサ・ブカブ治安部の部長は、息をのむ。
企業間の冷徹な陰謀か、あるいは世界を揺るがすような野望か。
・
・
・
『面白そうだから』
「……は? 」
「……」
『倫理委員会の最終結論からは、その様に読み取れます。 退屈しのぎに実験で記録改ざんした住民・奴隷を争わせて、安全圏から楽しんでいた。 以上より
社内規定の 公共の福祉を遵守の項
倫理規定の 実験実施における倫理委員会の許可の項
特に、倫理員会を無視した行動は、完全に越権行為として解雇ですね』
「綺麗なお顔して、とんでもねえ狂人だな」
『おっしゃる通りです』
「下衆の思考だな。 それで? 今回の作戦にそれがどう影響する? 」
キリヒからブラウニーに質問が出る。
『先ほどトークンの自爆部隊の話がありましたよね』
「……ああ」
『そして、セミラミーデが着任した後に住民がいなくなったとも』
「……なるほど。 そう来たか」
部長が痛みに耐えるように深く目を閉じ、天井を仰いだ。
「……」
『ええ。さらに“裏”があると言った意味を考えれば、全てつじつまが合います』
「……消えた住民は、どのくらいなんだ? 」
キリヒは治安部の部長に視線を向ける。
「わからん。数十名以上とは、聞いているが」
「人による集団自爆部隊か。 ヴェスパーの後ろで人体実験か? 」
『前例はあります、否定できないでしょう。 集団自爆部隊を相手することが重要と判断します』
「難易度が随分上がるな。トークンの代わり人を使って低コスト化か? 胸糞悪い」
「作戦の再考が必要だな」
両名ともに作戦の再考に入る。 撃たれても痛覚なく襲ってくる人間への対応。
「まったく。厄介事には事欠かないな」
キリヒの僅かな愚痴が洩れる。
※1: ラクシュミ地域で2番目に大きな都市になる。




