51話 異形の翼:暴走
「神王閣下ぁぁ! もうお話ししてよろしいのだな!?」
ジュードの咆哮に、ようやく確信する。
この「ワチ」と名乗った中坊ルックの少年――彼こそが、このシビュラを統べる頂点、「神王」なのだ。
「うそ……だってこんな」
子どもが、という言葉は何とか飲み込んだ。
しかし何度見たって信じられない。
「控えおろう! なーんちゃって。楽にしていいよ、みんな。レヴィンもジュードも、こっちおいで」
ワチ、もとい神王は、すり寄るレヴィンの頭を撫でている。ついでに、頬を染めてひざまずいたジュードのツノも。
神王には聞きたいことが山ほどあったのに、声が出ない。
私が転生者だと知っているのか――。
レヴィンに私が「匡花」だと教えたのは、彼なのか――。
「エメルさん」
「……は、はい!」
中坊ルックの神王が差し出してきたのは、輝く札束。100万ソロン。
開いた口が塞がらないまま、お金の放つイケナイ魅力に見惚れていると。
「領主夫人にムチャ言って、1日付き添ってもらったから。これで足りる?」
「さっ、さすがに多すぎます!」
そう言いつつも、引っ込められない手に、ワチは札束をねじ込んだ。
こんなの、元の世界ですら持ったことがない。
「それは前金も兼ねてるから、遠慮なく受け取ってほしいなぁ」
「前金……?」
なんの、と訊き返す間もなく、ワチは「資材が欲しい」と口角を上げた。
資材――それもレヴィンが最初に盗み出した、クリスタル族の「新エネルギー結晶石」とゴーレム族の「魔性ツリー」だという。
「監査官くんから話は聞いてるよ。エメルさんが協力した実験で、すんごいエネルギーできたんでしょ?」
「ええ……ですが、彼らに卸していただけるか確認しませんと」
やはり、神王がシオンの資材を欲しがっているというのは本当らしい。
でも、何のために――。
「んじゃ頼んだよ! また後で、『扉ができる頃』には迎えに来るから」
「え……?」
たくましいジュードの膝を足掛かりに、ワチは初代ドラグマン様の背中に登っていった。
「迎えに来る」、とはどういう意味なのか。
「エメルさんはオレにとって、必要な人だから……とりま領地経営がんばって!」
「ちょっと、ワチ様!」
風と砂を巻き上げ、黒竜は飛び去ってしまった。
何も聞けなかった――でも、間違いない。
あの少年、ワチは「私の元の世界」について絶対に何かを知っている。彼が神王であると分かり、確信に変わった。
「でも、今は……」
手に残された100万ソロンを見下ろし、静かに握りしめた。
資材購入の頭金で余ったお金は、ぼったくりタクシー会社の解体に使わせてもらおう。
「あーあ……ワチ様行っちゃった」
「レヴィン! 身体を持て余しているのならば、我々の特訓に付き合え!」
相変わらず熱気を纏っているジュードは、固まっているドラグを振り返った。「修行の時間だ」と。
「修行? 何のことですの?」
「ええと……」
言い淀む夫の袖を引くと、ようやくドラグは白状した。
日中と深夜、ジュードから「戦闘訓練」を受けているのだと。
「なっ! ドラグ様、そんな危険なことをなさっていたのですか!?」
「うぅ……言うと絶対止められると思って」
それで、夜どこかに外出していたのか――「飛ぶ練習をしに行く」、はウソだったわけだ。
「実を言うと、領地経営に関して俺の出る幕はない。だがシオン領領主を鍛えることには一役買えるからな!」
「『修行』はオッサンの大好物だから」
「暑苦しい」、とどこかへ飛んでいくレヴィンを、ジュードが「待て!」と追いかけていく。その後ろ姿を見送り、隣のドラグを見上げた。
「ここ最近、いつも眠そうにしていたのは、そういうわけだったのですね? 無理をなさっているのでは?」
「別に大丈夫だよ……君の方が、徹夜とかしてるだろ」
それに関しては、何も言い返せない。
ただ。
やはり彼には「そのままでいてほしい」、と思うのは、私のワガママなのだろうか。
「言ったでしょ……『領主代理の夫』じゃなくて、『領主』としてエメルの隣に立ちたいって」
「それは……大変嬉しいことですが」
薄っすら影を帯びた黄金眼に、これ以上何も言えなくなった。
ここは、成長したいと願う彼の意思を尊重するべきなのだろう。
「人生の推し」の成長を、「後方腕組みスタイル」で見守ることこそが、今の私にできること――過剰な心配はかえって迷惑になるかもしれない。
「分かりましたわ」
「……ありがとう」
ドラグの広く冷たい手が、するりと手に絡む。
小さく跳ねる鼓動を置き去りにして、夫はすぐに手を離した。
「行ってきます」
ジュードの後を追いかけるドラグを見送った後。
空いた手に残る感触を確かめながら、もう片方に握ったままの札束を見下ろした。
私もやるべきことをやらねば――。
まずは、ドラゴンたちのリクルート計画を詰める作業をしなければならない。
「キノコーヒー、飲みに行っちゃいますか!」
むき出しの現金を封筒にしまい、資料とともに丘を降りていくと。
「「あ」」
キノコ型ロッジの前でウロウロしていた青い竜と、声が重なった。
「ボロネロ? どうしてまたここに……いえ、それより」
会議に参加してくれたこの間も気になっていたが、さらに目の下のクマが酷い色になっている。
そう指摘すると、「後家も」、と指をさされた。
「私のこれは、いつものことですから!」
そう。多少の不調は「気のせい」で済ませられる。
元の世界で企画のリーダーに抜擢された頃は、オフィス寝なんてザラだったが――今は毎夜自室のベッドで寝られているのだから、まだマシだろう。
「今は、立ち止まっている場合ではないのです」
『エメル村』のグランドオープンから、もう3日。
1週間後の領地査定で30点を越えなければ、シオン領はグロウサリア家から没収されてしまう――首を傾げるボロネロに、「貴方には分かりませんわよね」と、つい悪態をついてしまった。
「……一杯奢る。付き合って」
「え?」
あのボロネロが、まともに会話をしてくれている――。
不思議な気分で、揺れる青い尻尾を追いかけていくと。ボロネロはテラス席にあぐらをかいて腰かけた。
「ここ、かわいいキノコの家がよく見える。後家も、見える?」
「あぁ、ええと……そうですわね」
このイケメン竜、やはり変人だ。
そうは思いつつも、この機会を逃す手はない。実際にブラック・タクシー会社で働いているボロネロに、リクルート計画の出来を判断してもらおう。
「――というわけで、労働環境を大幅改善した我が『エメル村』へ、皆さまをお迎えしたいのですが。いかがでしょうか?」
一通りの説明を終えると。
資料をテーブルにそっと置いたボロネロは、キノコーヒーを一息で飲み干した。
長い沈黙に、胸がソワソワと騒ぐ。
「今すぐ、そっち行きたい気分」
「では……!」
「でも」
どんなに酷い仕打ちを受けても、ドラゴンたちはゲルダを裏切らない――ボロネロは、普段からは想像もつかないような、滑らかな口調でそう言った。
力あるものに従うのが、ドラゴンの性だと。
「そんな……」
「キノコ、かわいい」
キノコ型のテーブルやイスに夢中のボロネロを置いて、丘をゆっくり登ることにした。
力あるものに従う――ボロネロの言葉が、重い頭から離れない。
もし彼が竜人でなかったならば、きっと「エメル流リクルート」の好条件を吞んでくれたはず。最初は喜んでくれていたし、決して計画が悪かったわけではない。
「はぁ……どうすればいいの」
重い足取りで丘を登っていると。暗い森の中から放たれる、紫色の光が視界の端に映った。
ここは、封じられた太古の遺跡への入り口。
アレスターが魔法で道を封じているのだったか。
「ここでドラグは……」
20年ほど前に、翼を負傷した――。
まだこの世界で目覚めたばかりの頃、アレスターがそう教えてくれた。
『思えばそれからじゃろうか、あやつが妙に暗くなったのも』
きっとドラグは、そんな自分を変えたいと願っているのだろう。そのために修業をして、私の隣に立とうと必死になっている。
「でも……」
別にそんなことをしなくても、優しく気弱な彼のままでいいと思うのに――それが彼の良さなのだから。
ドラグと初めて出会った時のことだって、今でもはっきり覚えている。
「推しモドキ」などと失礼なことを内心思っていたが、彼は戸惑う私を気遣って、ホットミルクを作ってくれた。新婚初日から契約婚を提案した非道な女に対して、諦めずに寄り添ってくれた。
『君のことを表面上の妻じゃなくて、ふつうに愛したい』
始祖の洞窟で言ってくれた、あの言葉。今でも胸に残っている。
彼は本当に、私にはもったいないくらい、恋人にするなら最高の相手だ。
よく考えれば、「推し」はあくまで画面の向こうにいるから輝いて見えるだけだ。実際の恋人にするなら、話は全然違ってくる。
「ドラグ……」
じわじわと押しが強くなってきたものの、やはりネクラなところは変わらない夫を恋しく思っていると。
身体が吹き飛ばされたのか、と錯覚するほどの爆音が轟いた。
「何の音!?」
初代ドラグがエントランスに降り立った時の、比ではない音だ。
全力で丘を駆け上がるも、胸が重い。
予想以上に疲労が溜まっているのだろうか。
目の前が青く歪み、身体の平衡感覚が一瞬なくなった。
「っ……!」
今は身体に構っている場合ではない。
重い足を駆る間にも、ガラスの割れる音や何かが崩れる音が響いている。
そして、ようやくお屋敷にたどり着いた直後――。
「……なに、これ」
丘の頂上から見えたのは、崩れかけの施設だった。木造の居住棟が、えぐられたように、半分ほど吹き飛ばされている。
飛び交う悲鳴に、身体が動かなくなった。
「どうして……」
鼓動が大きくなり、身体の重みが消えていく。
いつの間にか足が動き出していた。
「火を吹かれたら畑が焼かれる! いいか、防御魔法を一斉展開するぞ!」
臨時スタッフのエルフたちを統率する、ナノの姿がある。
そして、彼らの前で巨体を暴れさせているのは――。
「そんな……」
頭が理解を拒んでいる。
が、禍々しい闇を纏った黒竜は見間違えようがない。
「ドラグ……?」
しかし、何かがおかしい。
竜の鱗から漆黒の泥のようなものが跳ね、異形の怪物のようにうねりを上げている。
愛しい夫のはず、なのに――。
足が震える。
身体の芯が冷えていく。
そんな中、右目だけが溶けるように熱くなった。
「つっ……!」
痛みを伴い、勝手に発動した右目。
【能力鑑定】が見つけたのは、以前スルーしたドラグのスキルダイアログ――。
【異形の翼EX】
「もしかして、アレが……?」
今は考えている場合ではない。
ジュード率いるオークたちが鎮めようと動いているが、農具で応戦していては危険だ。それほどまでに、あの闇のドロドロを纏った夫の力は絶大だった。
「ドラグ……」
「領主代理」として――いや、彼の妻として、私が止めなければ。
「領主代理! 来るな!」
ジュードの制止をすり抜け、黒い炎を口から吐き出す夫へ向かっていった。
彼の炎は青緑色だったのに――やはり何かおかしなことが起きている。彼自身の意思で暴れているのではないのかもしれない。
「ドラグ様!」
竜化した彼の側に立つと。
長く鋭い鱗に覆われた首が、こちらを振り返った。
『あ……ぁ……エメル、僕……は……っ』
私のことが分かっている――自分がしたことへのショックで、感情が昂っているのだろう。
「とりあえずストップですわ! 貴方が動くと、そのドロドロが――」
言い終わらないうちに、闇の泥を纏った尻尾がこちらに向かってきた。
「わっ……!」
とっさに目を瞑った途端。
身体がふわりと宙に浮く感覚がした。
「まーったく無茶しおって!」
「アレスター……」
コウモリたちの背につま先をついたショタ執事が、空中を駆けている。その安定感のある腕の中に、身体がしっかりと抱えられていた。
助かった――が、ドラグは自分自身を制御できていないのか。
「あやつ、ワシの知らないところで無理しておったな。いわば『闇堕ち寸前』といったところか」
「闇堕ち……!?」
それは2次元で通用するオタク用語ではなく、この惨状を表した本気の言葉――それを証明するように、アレスターの赤い瞳が鋭く光った。
「どうしよう……」
神官のジュードですら手を焼くほどの力。そして正体・効果不明の闇ドロ――正直私の手に負える案件ではない。
でも――。
「ドラグを止められるのは、きっと私だけ……」
暴れながら苦しむ夫竜の瞳を目にした途端、そう直感した。
次回:夫竜とエメル村の危機に、初代ドラグマンが降臨…!
そして神官たちが、エメルを“元の世界の名”で呼ぶ理由とは?




