52話 初代ドラグマン
竜化した夫の全身を覆っている、闇色の泥――アレに触れたらマズい気がする。
しかしドラグの方へもっと近づかなければ、声が届かない。
「あと1メートルでいいから、もっと近づいてください!」
みんなで作った畑を踏み荒らす夫に向けて、手を伸ばしたが。私を抱えてくれているアレスターは、飛翔するコウモリたちの背を伝ってこの場から遠ざかろうとする。
「奥方殿、ムリじゃ!」
「でも、私が止めないと……!」
こうして争う間にも、彼は自身の衝動を制御しようと、必死にのたうち回っていた。
【異形の翼EX】
やはり、あの変貌ぶりは、彼の不穏なスキルのせいなのだろう。
「おいおい何だよこの騒ぎ!」
半壊のホテルから飛んできたのは、メイド服姿のレヴィンだった。朝の賄いづくりの手伝いに行っていたのだろう。
彼女が視界に入った途端、勝手に発動したままの右目が熱くなった。
【スキル:魔借り】
「あっ……!」
表示されたダイアログを目にした瞬間、頭の曇りが晴れた。
そうだ。
ドラグの暴走が彼のスキルによるものだとしたら、それをレヴィンの【魔借り】で一時的に奪ってしまえばよいのではないか――。
「レヴィン、ちょっとこちらへ!」
「はぁ? こんな時になに」
暴れる黒竜を制御しようとするオーク族、そしてドラグの修行を見ていたはずのジュードを見守りながら、作戦を話すと。
「やってみるけど」、とレヴィンは渋々頷いてくれた。
「成功したら、グロウサリア家のメイドは辞職させてもらうからな!」
「成功したらじゃな。ほれ、まずはやってみせよ」
グロウサリア家の執事の了承を得たところで、レヴィンはどこからともなく和傘を取り出した。
あれは――遺跡で彼女と対峙した時、雨を呼んでいた「神器」。
「『昇天』――」
傘が広がると、晴天に雲が広がりはじめた。レヴィンは青白い唇から冷たい息を吐き出し、黒い炎を打ち消す雨を作り出している。
そして一瞬で髪を濡らすような雨に紛れ、ドラグに近づいていった。
しかし――。
「……っ!」
スキルを奪う彼女の目が、妖しく光った瞬間。
その光を、黒竜の身体を流れる闇ドロが跳ね返したのだ。
「レヴィン……!」
「クソが……何だよこのガードの固さ!」
両目を押さえながら撤退するレヴィンの背に、巨大な尻尾が迫る――。
「レヴィン危ない!」
とっさの言葉に、レヴィンは目を見開いた、が――間に合わなかった。
鈍い音とともに落ちていく彼女へ、届くはずもない手を伸ばした、その時。
「情けないぞ、第六神官!」
地面に叩きつけられる寸前の彼女を抱えたのは、ジュードの屈強な腕だった。
「オッサン……」
ジュードは何も言わずに微笑み、ふわりと浮くレヴィンから手を離した。その手にメリケンサックを嵌めた彼は、強く地面を蹴ってドラグに向かっていく。
「シオン領領主のドラゴンよ! 貴様の強さ、認めよう!」
あの戦闘狂、よく見たらドラグの異変に目を輝かせている――。
それでも彼は、半壊の施設と焼けた畑を振り返って、静かに目を閉じた。
「だが……己の力に呑まれては、元も子もないぞ」
ジュードの声色が変わった途端。
彼はさらに強く地面を蹴った。
尻尾を振り乱す黒竜に向けて、弾丸のように飛んでいく。
しかし――。
まるで残像のように見えるオーク族の神官を、黒い尻尾が叩き落した。
「ジュード様!」
あの神官を、簡単に跳ね除けてしまうなんて――。
言葉が出ない間にも、ジュードは軽々と立ち上がった。輝くような笑顔を浮かべながら。
「竜人っ、改めて強いな……!」
「楽しんでる場合じゃないからな、オッサン!」
やはりあの脳筋オーク、戦闘を楽しんでいたようだ。
そんなジュードにため息を吐いたレヴィンは、「こうなったら」と、どこかへ飛んでいく。
「レヴィン……?」
神官たちが闘い、オーク族がサポートし、エルフ族は防御を張っている――さっきから私は、それを見守ることしかできない。
しかしアレスターが言うように、私が行ったところで足手纏いにしかならない。
「こんなの、いったいどうしたら……」
そんな場合ではないのに、両目の奥から涙が込み上げそうになる。
前が、見えない――。
「ドラグ……」
祈るように呟いた、その時。
気高く響く咆哮が、雨雲を裂くように轟いた。
「今のは……?」
地上のみんなが、空を見上げている。
その視線の先を追うと――ドラグとよく似た、しかし彼よりもずっと大きな竜が、雲の切れ目から差し込む光に照らされていた。
竜族の神官、初代ドラグマン――。
彼は獲物を定めたハヤブサのように急降下し、ドラグに向かって落ちていく。
瞬く間もなく大小の黒竜が衝突し、あたりに突風が巻き起こった。
「ドラグ様……!」
砂煙で前が見えない。
アレスターの細腕にしっかりと抱えられる間、目を閉じることしかできなかった。
ようやく辺りが静まり返り、目を開くと――。
人の姿になった夫が、滅茶苦茶になった畑に倒れていた。緊張で張り詰めていた胸が、さらに嫌な音を立てる。
「……あ、アレスター」
「うむ、行ってやれ」
地上へ降ろしてもらい、泥の消えたドラグへ駆け寄る。すぐに胸へ耳を当てると、弱くも確かな心臓の鼓動が聞こえてきた。
「……良かった」
生きてる――。
しかしドラグの頬には、落ちた衝撃で傷ができていた。それに、いつも以上に身体が冷たい。
「起きて! ねぇ、ドラグ……!」
『グルルル』
背後から、巨大な獣が喉を鳴らす音が響く。
「えっ……?」
振り返ると同時に、黒い巨大なツノが目の前を通り過ぎた。
竜族の神官にして、初代ドラグマンが、倒れた夫の胸に鼻先を擦り付けている――いったい、何をしているのだろうか。
『我が子孫は、深い呪いを受けているようだな』
「呪い……?」
『この者の翼にある「傷」のせいで、本来持つ力が身に余るほど強大になっているのだ』
まさか、それが【異形の翼】の正体――?
初代ドラグマンは、『同族を癒す』という息吹でドラグの傷を消していく。
でも。目に見える傷が消えただけでは、心のざわめきは治らなかった。
『うむ。この俺が直々に教えてやる他なさそうだ。力の使い方を』
「力の使い方……?」
答えを待たない間に、ドラグの瞼が動いた。
「ドラグ様!」
「僕、は…………」
起き上がりかけた頭を、しっかり腕の中に抱きしめた。
「……エメル」
そうして胸の内で、「良かった」を噛み締めていると。私の身体ごと起き上がった彼は、いつもより少し弱い力で抱きしめ返してくれた。
「ごめん……」と呟きながら。
「いったい何があったのですか?」
「それが……」
ドラグはジュードとの修行中、あることを願ったという。
それを願いながら、より強大な力を求めた結果――あの闇の泥が現れた、と。
「自分でも、分からないんだ……どうしてあんなことが起きたのか」
言うべき、だろうか。
彼の異質なスキルについて、彼本人に。
「ドラグ様、実は……」
意を決して口を開いた、その時。
地の底から響くような音に、声がかき消された。
「今のは……?」
「今度は何だべや!?」
ようやく一息つけたオークたちも、再び立ち上がり警戒している。
そんな中、初代ドラグマン――もといガチ推しが、私の背中に高貴な鼻先を擦り付けてきた。
『嫁御よ、俺は腹が減った』
ドラゴンの腹の音。そう判明して、周囲はホッとしているが。
「わ、私……に、触っ……え?」
ダメだ、落ち着けエメルレッテ――今は倒れている場合ではない。
推しの熱が残る背中から意識を逸らそうと、破壊された施設や踏み荒らされた畑を振り返った。
とりあえず今は、スタッフたちを安心させなければ。
「アレスター、とりあえずお屋敷の厨房を使って、ランチの準備をしましょう」
「ぼ、僕もアレスターを手伝って……」
「ダメです! ドラグ様はお部屋で寝ていてくださいませ」
できればドラグの側にいたいが、スタッフたちを落ち着かせるのも私の役目だ。
ぼったくりタクシーのせいで客がいなかったことが、不幸中の幸いだった――厨房は食事を作れるスタッフに任せ、私は安否確認と心のケアに回ることにした。
「この度は、夫がご迷惑を……」
「なーに言ってんだべ!」
「多少驚いたが、シオンで竜が暴れることなど珍しくもない」
オークとエルフたちは、この事態を笑って流してくれた。
普段は賄いを作ったり、私たちを支えたりするドラグの姿をみんな知っているからか、ドラグのしたことを責めるものは誰もいなかったのだ。
しかし――。
「あの引きこもりに、まさかあんな力があったとは……いいか、領主代理」
「しっかり見張れ」、と言うナノの意見はもっともだった。そして彼をはじめ、ドラグがまた暴走するのでは、と疑念の声もあるにはある。
「……暴走なんて、もうさせませんわ」
あの時何もできなかった私に、確信を持ってその言葉を口にすることはできない。
「奥方殿! お主の好物、魔魚の丸焼きが完成したぞ」
アレスターやオークのみんなに手伝ってもらい、昼飯が完成したものの、食欲がない。セイレーンたちが獲ってきてくれるあの魚の毒、とても痺れて美味しいのだが――。
食堂の隅で壁にもたれていると、巨大魚の丸焼きを抱えたレヴィンがふわふわと飛んできた。
外にいる初代ドラグマンへ、これから昼食を持って行くのだという。
「ボクあのジジイ苦手だから。アンタは気に入られてたみたいだし、いいでしょ?」
「え……私が一緒に行くのですか!?」
ぼうっとした頭が一気に覚醒した。
「超理想推しドラグ様」の見た目をした初代ドラグマンに話しかけるなんて、とんでもない。
「目が合うだけで身体が爆散します!」
「はぁ? あのジジイにそんな能力あったっけ」
いいからついてこい、と巨大魚の皿へ一緒に乗せられてしまった。
推し――もとい初代ドラグマンは、屋敷の裏庭でのびのびと日光浴をしている。
「あ、あの……しし失礼いたします。ららランチを、お持ちいたしました……」
緊張のせいで、声が小さかったのだろうか。初代ドラグはあくびをしている。
「失礼いたします! ど、ドラグマン様!」
「はぁーあ、これだから調子狂うんだよな。おいジジイ! 飯だって!」
ようやく私たちに気づいた初代ドラグマンは、細めていた黄金眼を大きく開いた。
『おお、飯か。これは美味そうだ』
「へっ……?」
よだれが頬に滴り落ちる。
生暖かい風とともに、巨大な牙が迫る――。
「おいボケ! そいつはエサじゃないっ……チッ!」
レヴィンが助けてくれたことで、何とか危機を免れた。
が、まさかこの竜――。
「こいつ、あの吸血鬼以上の年増なんだよ。耳が遠くて、こっちの声は大体聞いちゃいないんだから……ん?」
今、私は震えていた。
恐怖ではない。
推しの老後を間近で見られる、悶絶の幸福――感動にうち震えていたのだ。
「はぁ……? キョーカは竜族なら何だっていいわけ?」
『そうか。貴様がワチのよく話していた「キョーカ」か』
頭上に影がかかり、ふと顔を上げると。
老いてもなお美しい推しが、こちらを見下ろしていた。
「ゔっ。この竜、顔とツノがいい……って今!」
キョーカ。
元の世界の私の名が、初代ドラグの口からこぼれた気がした。
やはりワチは、自分が転生者だと知っている。そして、それを神官たちにも共有しているのだ。
「その、ワチく……神王様って何者なのですか?」
『…………腹がいっぱいだ。馳走になった』
今のは「聞こえなかった」のではなく、明らかに流された気がする。
初代ドラグは翼を広げ、クリスタル族の山の方へ飛び立ってしまった。
「……レヴィン?」
期待を込めて、レヴィンを振り返ったものの。彼女もワチに口止めされていると言う。
「『エメルさんには今、シオンを再興させるって使命があるんだから。余計なことを言って惑わせないでね?』……だってさ」
「ですが貴女たち、私のこと普通に『匡花』って呼んでいますわよね?」
「あー、うん。なんか神王様が当たり前に呼んでるから、どっちが今の名前か分かんなくなった」
ガバガバ神官だな――。
でもレヴィンは、それ以上教えてくれなさそうだった。
やはり、ワチ本人にもう一度会うしかない。
そう決意した、その時。
火花のような赤い粒子が、背後から漂ってきた。
「あらまぁ! 『エメル村』が大盛況だって聞いてきたら、瓦礫の山じゃあないの、後妻さん」
このねっとりした美魔女ボイスは――。
「ゲルダ……!」
お気に入りの真紅のドレスに身を包んだ、燃える赤髪の雌竜人。そして彼女の隣には、相変わらず筋肉の主張がうるさい金色の竜、ロードンが控えていた。
ドラグのトラウマ2点セット。
この状況では胃もたれしそうな顔ぶれだが、今の私にできることは――彼らに毅然とした態度で向き合うことだけだ。
久しぶりの言葉の殴り合い、受けて立とう。
「あら、何のご用でしょう! 年季の入った前妻さん?」
次回:ぼったくりタクシー会社社長・前妻ゲルダと直接対決する転生後妻。
一方、
『ちょっと散歩に付き合ってくれないかな?』
まだ明かしていない大切なことを伝えるため――。
夫竜は妻を背に乗せ、星々の瞬く夜空へ飛び立つ。




