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ただ、一輪の花を  作者: 詞乃端


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15/15

彼女の知らない彼らの話『王の鞘の手の中にあるもの』

 主君に神器(じんぎ)で殴られた。


「――お前は何をやっているんだっ!」


 力一杯(なぐ)られたものの、あるのは頭の痛みと衝撃だけで、損傷はない。

 彼が常時行っている、気功術による身体強化のおかげでもあるが、そもそも今回用いられた鈍器は医神の(つえ)ゆえに、触れたものを(いや)すから。

 攻撃力という意味では効果がない医神の杖の打撃だが、それでも殴らずにはいられなかったのだろうと、彼は、片手で顔を覆って深々と溜息をつく主君を見ながら思う。

 つい先日妻にすることにしたアリアに同意を得る方法が、諸々(もろもろ)の意味で問題しかないとは辛うじて認識しているが、彼に後悔はない。

 ――アリアを喪う前に合法的に手元に置く手段として、彼が思いつく限り最も手っ取り早かったので。

 殴ってもなお反省の様子が一切ない彼を見て、主君の眉間(みけん)(しわ)が深くなった。


「ヘンアン、そもそも、どうしてお前はここまで彼女に執着しているんだ?」


 主君に今更ながらに問われ、彼は目を(またた)かせた。

 彼にとっては自明の理でも、そう言えば、主君には伝えていなかか。


「アリアにしか、たちませんので」

「……は?」


 そう彼が口にした瞬間、主君の目が死んだ。


 ……端的に言い過ぎたかもしれないが、彼にとっては、己の欲望の対象になるのが――生殖可能な異性と認識できたのがアリアだけであるのは本当だ。

 彼は、姿かたちこそ人族そのものではあったが、――自分と同じように、目が二つ、口が一つ、耳が二つで、四肢を持ち、直立する動物が自分と同種であるという認識が極めて薄かった。

 彼は、何よりもまず王鞘(おうしょう)であり、主君に侍り、――いつか、神器に()まれた主君を(しい)することが存在意義である。

 己を王鞘であると定義付ける自意識の強さと、他者とあまりにもかけ離れた精神の在り方ゆえに、彼の人族に対する同族意識は皆無に近い。


 ――そんな彼が、そもそもどうして娼館なんぞに繰り出したかと言えば、当代の王鞘として次代を残すことにうっすら危機感を抱いたせいだ。


 先祖代々親兄弟間での殺し合いが頻発する家系ではあるが、彼にも、己の血を次代へ繋げなければならないという義務感は存在していた。

 ――己の次代以降の神器使いをも案じる、主君の憂いを払うためにも、彼は、真正の『殺戮の覇王』を討ち得るその血を残さねばならない。

 そして彼は、己の性欲を意識したことはなかったものの、処女と童貞同士の初体験は高確率で大惨事、と結論に至るくらいには、戦場での雑談にて悲喜こもごもを耳にしてきたのであった。

 それに、かつての王鞘の中には、家畜の繁殖と同じように死刑囚の(はら)を使って子をなした者もいたのだが、彼は、戦場で恋人を守り切れなかった主君に、そんな有様を見せたいと思えなかった。

 そんなわけで、まずはとりあえず予習実践あるのみかと、彼はひとまず歓楽街の娼館を回ってみたものの。

 ……うっかり失念していた(おのれ)の先祖代々及び戦場・業務中での悪評やら、自身の陰気さやらなんやらのせいで、彼はどこの娼館でもことごとく拒否・出禁をくらい、途方に暮れかけた頃にアリアにあたったのである。


 ――当の本人に自覚はないが、多少なりとも巫覡(ふげき)としての素養を有する彼女は、地神の眷属(けんぞく)でもある神域の番人たる彼が、初めて知覚できた同種の雌(・・・・)だ。


 初体験云々(うんぬん)以前に、彼女以外に子をなせると思えた相手はいなかったから、彼は彼女を手元に置くための手段を選ばなかった。




 望んでしまったのなら、しっかりと(つか)んで、絶対に手を離してはだめよ。

 手を離せばもう、――奪われるだけだから。




 母ではなく、王鞘であり女であった先代の、数少ない彼のための忠告は、ただの事実だ。


「……それに、アリアだけは、私の子を産んだ後もそばにいることができるのです」


 今まで伝える必要がなかったから、彼が言わなかった事実に、主君の顔から表情が抜けた。


 大災を喰らう、大凶星。

 近しいものに災いをまき散らす星を負うと言われる彼は、確かに、己が招く破滅に一つ心当たりがある。


 ――どうして、かつての王鞘は、子を得るために死が確定した者(死刑囚)の胎を使ったのか。


「アリアは、私の子を産んでも壊れませんから」


 そう言って自分が無意識に微笑んでいたことに、彼は気がつかなかった。



 ◆◆◆



 眠りは、繰り返す死と評した誰かがいたらしい。

 だから、気絶以外で意識の断絶を経験したことのない彼は、死の疑似体験の数は少ない。


 どこまでも明瞭(めいりょう)な意識の中、彼は腕の中の呼吸音と温もりに、目を閉じながら感覚を向けていた。

 どこかかしら欠けのある一族である彼の、その生の引き換えになったものは、眠りの安寧であった。

 なお、不眠に伴い、削れるものの回復が他人よりも緩やかであるため、彼が自分なりに諸々(もろもろ)の最適化を行った結果が、ひたすら陰気、という周囲の評価である。


「――ん」


 肌を合わせた後、そのまま眠り込んだ妻が身じろぎした。

 初め、身を丸めるようにして寝ていた妻の身体からは、今は余計な力が抜けている。

 彼女が眠っている最中にうなされる頻度も随分(ずいぶん)と減ってきたなと、彼はなんとなしに考えた。


「……ヘンアン……」


 妻に寝ぼけた声で呼ばれ、彼はうっすらと目を開いた。

 夢ううつな様子の妻は、大概ぼんやり状態の時の記憶がないが、それでも寂しさを感じさせたくはなかった。

 半分夢の中にいる妻は、いつもの釣り目が垂れていて、無防備な印象を受けた。


「……こどもがね、できたらね、……わたしがいなくなったあとも、そばに、いてあげてね」

「――ああ」


 多分、妻はこの会話を覚えていない。

 けれど、彼はしっかりと(うなづ)く。


 誰が知らずとも、自分だけは記憶に刻む。


 彼が、妻の頭をなでれば、彼女の呼吸が深くなっていった。

 深い眠りに再び沈み込んだ妻の頭に、彼はそっと(ほお)を寄せる。


 ――彼女は、彼の子を産んでも壊れずに済む。

 それは本当。

 彼を始めから疎まなかった彼女となら、幸福な家族のふりができると、幸福な家族を目指して努力ができると、そう彼が感じたことも本当だ。


 ……でも。

 おそらく、自分たちは、出会うのが遅すぎたのだ。


 アレクサンドリアの最高戦力であり戦略級兵器でもあった彼と主君が戦場に出なければ、雲霞(うんか)のごとく敵軍が押し寄せた『聖戦』の戦線を押し上げられなかったし、『聖戦』を終結させることなどできなかったけど。

 最高権力者の主君と次席である自分が目を光らせていれば、起こらなかったはずの国内の乱れは、いくらでもあったけれど。

 アリアに出会ってようやく気付いた彼が、責任者に歓楽街の風紀を叩き直させても、全部がとうに終わっていて、全てが今更だ。


 瞳を動かせど、彼から見える範囲の妻の肌に、傷痕(きずあと)など残っていない。

 だが、王鞘の権力を(もっ)て施せる、かなう限りの治療でも、――戻らないものは、戻らない。


 妻の吐息に合わせて、彼は(まぶた)をおろす。


 ……彼は、必要が無ければ、何も伝えないし、必要があるなら、誰だって(いつわ)る。

 ――身の内の刃を隠す、鞘の(ごと)くに。


 ――『幸福な家族』。

 そんな薄っぺらな言葉の輪郭(りんかく)など、彼は知らない。

 それでも、目指せるなら、――(あざむ)ききれるなら。

 せめてただ、自分の両手で握った二人にだけは、柔らかくて温かなうそを見せたいと、彼は思ったのだ。


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