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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
???
34/34

進展


 心地よいオルゴールの音が鳴る。やわらかな音色とともに、目蓋の裏が明るくなっていく。タイマー付でライトが緩やかに点灯したためだ。


「……ん」


 遊子は、大きく腕を上げ、伸びをする。まだぼやけた視界に時計がうつっている。時間は六時半、いつも通りだ。これから、禊を兼ねてシャワーを軽く浴び、着替えて食堂に向かう。食事を終えたら、部屋に戻り学校へ行く準備をする。

 

 遊子は寝台から起き上がり、着崩れた浴衣を直す。木綿製のそれは汗の吸収もよく着心地もよい。

 遊子は洗面台へと向かい、寝ぼけた自分の顔と対面する。


 そこには、年相応の少女の顔がある。目が少々きつめで、細面の少女だ。もうそこに、似て非なる青年の顔はうつらない。


(完全に私は遊子になったんだ)


 もう過去の自分、真人という存在にとらわれていない。それが、今見える鏡の中の姿として現れている。


 遊子は水を出すと顔にぱしゃりとかけて目を覚ました。






「たまには一緒に食べよ」

 

 午前の授業を終え、昼食の時間になるなり現れたのは、沢渡だった。購買のパンを持っている。


「うん」


 今日は、朔也もおらず一人でいつもの鳥かごの元温室で食べようと思っていたところだ。断る理由はない。


「じゃあ、屋上いこうか」


 元気な沢渡に逆らう術はなく、遊子は彼女に引っ張られるがまま屋上へと向かった。






 屋上といっても、この学校ではただの屋上ではない。屋上庭園というのがふさわしい。校内では中庭の温室に次ぐ、人気スポットだ。案の定、庭園のベンチはいっぱいだったが、脇の芝生はあいていた。屋上に芝生を定着させるのは大変だろうな、と遊子はくだらないことを考えながら、芝生の上に座る。制服が汚れないように、沢渡の座る場所にハンカチを置いてやる。


「へへ、なんだか紳士みたいだね」


 沢渡はへらへらと笑いながらハンカチの上に座った。


「そう?」


 遊子は、寮の食堂で用意された重箱を開き、つまみはじめる。同じ寮にいても、沢渡は弁当を頼んだことがないらしく珍しそうに見ている。


「食べる?」

「食べる」

 

 遊子の言葉に沢渡は頷く。煮しめを一つつまんで、微妙な顔をした後、ペットボトルのお茶を飲み干した。


「よくこんなのが食べられるね」

「大人の味だから」


 遊子は和食で育ってきたため、むしろクリーム系のどぎつい料理が苦手だ。逆に沢渡の場合、昆布の味のよさがわからないのだろう。弥生寮の料理人は実に料理が上手い、沢渡がおいしくないと思うのは味覚が子どもだからとしか言いようがない。贅沢をいえば、もう少し甘さを控えめにして、濃口醤油より白だしを使って料理してもらいたい、と言った細かい不満は遊子にもあるが。


 食事を続けながら沢渡は食べる以外の口の使い方も忘れない。遊子は、別に話さなくても彼女が勝手に話し続けてくれる点で、気まずい雰囲気はない。元々、そういう明るい子だったのだな、と遊子は改めて思った。最初、面倒くさそうに話を聞いていた自分を思いだし恥ずかしくなった。


 沢渡は自分の昼食を全部腹におさめたところで、じっと遊子を見た。


(な、なに?)


 遊子がごくんと出汁巻卵を呑みこむ。


「ねえ、東雲ちゃん。もしかして、彼氏できた?」


 ちゃんと口の中のものを呑みこんだあとでよかった。でなければ、噴出していたところだろう。遊子は、いきなりの言葉に思わず咳き込んだ。


「な、なんで。い、いきなり……」


 動揺は隠しきれず、遊子はオレンジジュースを持つ手が震えた。


 沢渡が手を顎に当てながら言う。


「だって、最近ちょっと女の子っぽくなったというか、丸くなった感じするし。前はちょっと、とっつきづらい気がしたんだけど。上手く言えないけど、何か重荷が抜けた感じ?」


 非常に曖昧だが、実に鋭い言葉に遊子はあなどれないと思った。これが、女の勘というものだろうか。きっと、昼飯の誘いは口実でこれが本題なのだと遊子は思った。


「あと、プロムのあとで東雲ちゃんちょっとした話題になってたし」

「……その話はやめて」


 きっとその時の衣装がよほど奇抜だったのだろう。変な恰好でうろうろしていたら、それは目立つことだろう。


「ええ、なんで?」

「なんででも」


 沢渡はそのことについて話したかったのか、少し頬を膨らませる。どこか幼げな行動をする少女だ。


「じゃあ、かわりに東雲ちゃん、誰と付き合っているのか教えてよ」

「そんな人いません」

「うそ」

「本当」


 本当にいないから仕方ない。

 しかし沢渡は諦めきれないようでじっと遊子のほうを見る。


「本当の本当にいないの? ちょっと気になる人とか、それでなくとも、逆に、この人私に気があるなあ、っていう人とかは?」


(そんな質問をされると)


 遊子は嘘が苦手である。沢渡と眼をそらそうとするたびに、沢渡は遊子の目を追いかける。遊子は観念したかのようにつぶやいた。


「気になるのならいないこともない」


 形はどうであれ、気になることには違いなかった。


 だれだれ、と沢渡が身を乗り出してくる。

 遊子はばつの悪そうな顔をしながら、当たり障りのない内容を口にする。


「弟みたいだと思ってたんだけど」

「えっ? 年下?」

「それも、ちょっと違うというか。いや年上だけど弟みたいな、なんというか」

「うわっ、年上なのに甘え上手なの? すごく意外、東雲ちゃんの相手が!」


 遊子としては、まだそれが恋愛感情のそれではないとわかっている。もちろん、今後も発展する可能性もわからない。ただ、相手のことを考えると、責任を負わねばならぬところがあるのでは、とも感じなくもない。


 沢渡がきらきらとした目で遊子に次々質問を投げかけてくるので、遊子は当たり障りのないことを選びつつも、答える羽目となった。


 沢渡は聞きたいことを一通り聞き終わると、ふむ、と腕組みをした。


「東雲ちゃん、なんか聞いているといつのまにか相手に流されちゃいそうだよね」

「……なりそうで怖い」


 本当に遊子は怖かった。それが何を意味しているのかいろんな意味で怖かった。


 沢渡は鞄の中からポーチを取り出すと、その中からなにかをとりだした。


「東雲ちゃん、これあげる!」

 

 ぎゅっと、遊子の手に握らせる。


「えっ? なにこれ?」


 遊子は見慣れぬものをじっと観察しようとするが、「だめ、ここでじっくり見ちゃだめ!」と沢渡に怒られた。


「これ、なにかあったときの最低限の予防策だよ。いくら年上といっても相手が責任あるかどうかなんてわからないから」

「責任?」

「そう責任。相手に任せず、自分のことはちゃんと自分で管理すべきだと思うの」


 沢渡が鼻息を荒くして力説する。


「わかった?」

「う、うん」


 遊子は生返事のままもらったものをポケットの中に突っ込んだ。


「どうしようもないときは、相手にちゃんと渡して使ってもらうことが大事。それくらい本人が持っているのがエチケットなんだけど」


 とりあえず大事なものなのだな、と遊子は思った。


「あっ、もうこんな時間だ」


 沢渡が時計を見るとほぼ同時に予鈴が鳴った。遊子たちは急いで弁当を片付けると教室へと帰った。






 放課後、一応開かずの間のほうへ向かってみたが、そこには誰もいなかった。基本、朔也がいなければ、ここに集まる理由もない。それなのに、なんでこんなところまで来たのかといえば、もしかしたら昼休みの沢渡の言葉のせいかもしれない。


 ちゃんと向き合わなくてはいけない。そんな気持ちが遊子の中に芽生えていた。


 残念とともにほっとする自分に気づきながら、遊子は階段を下りていく。開かずの間、と言われる教室がある場所だ。普段、あまり人が通る場所ではない。


 かつかつと自分の足音が響く中で、いつのまにか足音がもう一つ増えていた。

 独特のすり足に似た足運びに遊子は覚えがあった。

 その足音が真後ろまできたとき、遊子は振り返ろうとしたが、それはできなかった。


 背中の後ろに大きな身体があった。少し白檀の香りが残っている。いつもなら、落ち着く匂いのはずが、今は、驚くしかない。


「いきなり、な、なんだ」


 少し声を上ずらせながら遊子は言った。背後にいる幼馴染に対して。

 ここ最近、この青年の行動に対して驚かされてばかりで困る。実に困る。


「ここなら見えないからちょうどいい」


 総一郎は遊子の身体を後ろから抱くと階段の踊り場の隅に座り込む。放課後、人通りは少ないがいつ誰が通るかわからない。そう思うと落ち着けるわけがない。


 ぎゅっと腹を押さえこまれ、うなじに総一郎の吐息を感じる。遊子は唇をぎざぎざに歪め、猫のように頭をすりつける青年をどうにかしようとしたが、身体が上手く動かなかった。


「……誰か、きたらどうする」


 高鳴った心臓の音を聞かれないように、と遊子は平静を装うのに、総一郎はそんなの知ったことではない。


「なんとでもなる」


 総一郎は簡単に言ってのける。


「私が気まずいんだ」


 遊子は呆れた声を出した。呆れの中に気恥ずかしさが混じっていることは絶対悟られてはならないと思いながらも、自分の身体に回る総一郎の腕をぎゅっと握る。しかし、彼の腕は離れる様子もなくむしろ力強くなっている。


「……俺にこうされるのが嫌か?」


 いつも不機嫌な声しか出さないはずなのに、今は少しだけすがりつくような甘えた声だった。耳の裏からささやく声で遊子は、何とも言えない気分になる。


「昔はよくこうしてただろ?」


 むしろ遊子がよくやっていた。家族の誰よりもかまってくれる相手は、総一郎だった。


「昔は昔だ」


 遊子は口にする。今は立場も違う、性別も、年齢も違う。


「そうだな、昔とは違うな」


 総一郎は、遊子の言葉を肯定した。一方で矛盾にも思えた。まるで、その肯定を待っていたかのような口調だった。


「今の俺にどうすれば慣れる?」

「……」


 総一郎の問に遊子はうつむくしかない。よくわからない。遊子にはまだわからない。慣れる、という意味は、総一郎を異性として見るという意味だろう。遊子にとって、総一郎はまだ弟みたいなものだ、その弟に対して恋愛感情など抱くとは思えない。でも、一方で、いま抱きすくめられていることに心臓をばくばくさせていたりもする。


 本当に自分がよくわからない。


 そんな遊子の気持ちを知ってか知らずか、総一郎は小さくため息をついた。


「いくらでも待ってやる、待ってやるから……」


 消え入りそうな語尾は最後まで聞き取ることができず、そのままどれだけ経っただろうか。遊子の心臓の音がようやく抱きすくめられる状況に慣れようとしたころ、総一郎の手が緩んだ。


「だいぶ暗くなったな」


 帰るか、と総一郎が言った。

 遊子は先ほどまで巻き付いていた腕のぬくもりを感じるように、もしくはかき消すように自分の身体を掻き抱く。


 それを見て、総一郎は少し寂しげな目をした。


「悪い、まだ、私には……」


 遊子はうつむく。目の前の青年に悪いと思う。彼は、遊子のせいでずっと縛られて生きてきたのに、遊子にはその恩を返せることもできない。ただ、待ってもらうしかない。


「仕方ねえよ。そんなもんならそんなもんだ」


 うつむいた遊子の頭に大きな手のひらがのった。なだめるように柔らかく遊子の頭をたたく。


「俺も悪かったよ。少し焦ってたみたいだ」


 生意気な三白眼からずいぶん素直な謝罪が聞こえた。そういえな、昔は今ほどひねくれた性格じゃなかったな、と遊子は思い出した。


「早く帰るか」

「ああ」


 遊子は、鞄を肩にかけ直し、総一郎の横を歩く。まだ少しどきどきしているが、きまずくなかった。元々、遊子と総一郎は頻繁に口を開くタイプではないので、会話は話題がない限りあまりしない。

 でも、遊子は珍しく、総一郎と話を続けたかった。


(いきなり朔也さまの話とか嫌がるかな?)


 話題としては一番妥当だが、もしかしたら、仕事と離れていたいのかもしれないと思えば口に出しづらい。

 どうしようか、と遊子が思っていた時、ポケットからかさっという音がした。


(あっ)


 遊子は、ポケットに昼、沢渡から貰ったものを入れていたことを思い出した。ポケットから取り出すと、


「総一郎、これ、どう使うか知っているか?」


 薬の包装のようなものを彼に見せた。中にはなにか、丸い輪郭のものが入っている。遊子には初めて見るものだった。


「……」


 総一郎の動きが止まった。


「あれ? どうした?」


 遊子の問いかけを無視し、総一郎は、目を血走らせたまま、廊下を直進した。壁に突き当たると、そのまま頭を打ち付けた。


「おい、どうした!?」


 遊子は幼馴染の唐突な行動が理解できず、彼の行動に慌てることしかできなかった。


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