第8話 君の名は? 秘すれば花か、知らぬが仏か!?
正体不明の天使が、屋敷正面に乗り付けていた馬車は、なんと公爵家よりも豪華で、一回り大きな代物だった。
わたしの出立を待っていた我が家の馬車と、二台並んでいたんだから比較に間違いはない。公爵家の馬車に繋がれた白馬が、所在なさ気にモジモジしてる気がするわ。対して天使の馬車に繋がれた馬は、不敵な主人と同じく、ツンと鼻先を上げた居丈高な佇まいね。馬の怪しく黒光りする青毛も、天使の油断ならない腹黒さとマッチしてるみたいだし。
「る……ルチルお嬢様、このお方は一体?」
「わたしだって知らないわ! 家令のあなたも知らないの⁉」
馬車の扉を開けて、エスコートすべく手を差し出した天使を前に、わたしと家令は大慌ての小声での相談中だ。
知らない人の車には乗らない。そんな前世での鉄則は、この世界でも有効だと思う。けど、名前すら知らない天使は、わたしがついて行くのが当然と言わんばかりの悠然とした様子で、こちらに余裕の笑顔を向けて来る。
「とにかく、名前も知らない不審者と、馬車の密閉空間に入るなんて危険な真似は、絶対に嫌なの! わたしはうちの馬車で行くからっ!!」
何故か動きの鈍い家令に頼るのは諦めて、必死で主張したわ。
にしても、普段はちゃんと仕事する家令が首を傾げ、目を眇めつつ天使の馬車をじっと見詰めて、「え? は? まさか」なんてブツブツ言いながら顔色を悪くしていっているんだけど。何その嫌な予感しかしない反応!
「ご令息、もしや貴方は——」
「僕の身元は明らかにしない方が、君たちのためだと思うよ」
言い掛けた家令を笑顔で黙らせた天使に、わたしは心の警戒レベルを、更に引き上げた。
ヒュアツィンテ王国が誇る、精霊使いシャレードの血筋を引き継ぐ三大公爵家のひとつ『グランフィルド家』。その公爵令嬢であるルチルの外出は、領地内とはいえ郊外の林ともなると、馬車を操る馭者一人を伴って気軽に行くわけにはいかないわけで。
とは言っても、豪奢な馬車が連なり、身分を隠した黒ずくめの騎馬護衛を前後左右に配置した隊列を組んだりもしないわ。当主でもない、ただの後妻の娘を乗せた馬車のお伴は、せいぜい侍女と護衛が一人づつ程度のもの。
なのに、現状は物々しいソレよ。
あぁ、また領民がポカンと目と口を大きく開いて見ているわ……居た堪れない!
「ルチルお嬢様、一体これは何が起こっているんでしょう⁉」
馬車の中。屋敷を発って暫くの無言時間を送った後、堪えきれなくなったのだろう——いつも冷静な表情を崩さない侍女が、切羽詰まった声を上げた。わたしと向き合って腰掛けた侍女と護衛の二人は、さっきからずっと落ち着かない視線を、窓の外に向けている。
「なんでも、明らかにしない方が、わたしたちの身のためらしいわ。デメンテル伯爵令息様を、良い様に扱える存在ってことしかわからないけど……。警戒するには充分な情報よね」
先程の遣り取りを伝えれば侍女はサッと顔色を変え、添えた手で口元をそっと隠しつつ声を潜めて話し出す。
「と言うことは、伯爵家よりも上の……で御座いますか?」
護衛も思うところがあったらしく、眉間に皺を寄せた難しい面持ちで言葉を続ける。
「周りの騎士たちの身ごなしも、相当な使い手のものです。公爵様のお眼鏡に適った私の能力を卑下するつもりはありませんが、それでもひとりひとりが、私よりも遥かに上の技量を持っていると分かります」
ならば、と侍女が大きく頷く。
「高貴な身分のお方の中には、稀有な力を持つゆえに狙われることを警戒して、自身を護る力に乏しい幼少期は、存在を秘することがままあるとか。
勇者の能力を色濃く継承しておいでた数代前の国王は、貴族学園に通う年齢まで、存在を厳しく秘匿されていたと聞き及んでおります」
「わたしと年齢の変わらない子供で、伯爵家のエリオッツ様よりも上の振る舞いが出来る高位な家門なら、そこのご令息を、お父様の執務を補佐するうちの家令が知らないはずはないわ。ということは……よ。身分か能力が特別な子供ってことになるわね?」
わたしの言葉に、侍女と護衛も深刻な面持ちで黙り込む。
「厄介ね」
そう呟けば、二人が控えめに頷く。キラキラ天使の素性こそ、未だはっきりとはしない。けれど平穏に人生を全うするため、一般人に迷惑をかけない程度に更生したいわたしには、関わり合いになりたくない特別感溢れる存在だということは解った。
「お屋敷へ引き返しますか?」
気遣わし気に尋ねる侍女に、わたしはそっと首を横に振る。
「ううん、行くわ。うちでは、お義姉さまと婚約者のエリオッツ様が久し振りのお茶会をしておられるはずですもの、邪魔したくないわ。それに何より、今日はどうしても外せない用事があるのよ、雑木林に。
だからあの天使様は、そっと静かにやり過ごしましょう」
今からわたしが向かおうとしているのは、キラキラ天使にはとても似付かわしくない、ジメジメ鬱々雑木林だ。存在を秘され、大切に育てられた良いところのお坊ちゃまなら、そんなところにまで付いて来るはずはない。
移動の間だけ我慢すれば、あちらが嫌がって逃げ出すに違いないと――その時のわたしは、天使の執着を甘く見積もっていたわけよ。




