第49話 天使の箱庭
「なんだか嫌な予感がしたから来てみたんだけど正解だったね。まだルチルは、ここから居なくなろうとしているの?」
美しい微笑ではある。けれど、黒い圧の駄々洩れな王子様が、飾り柱の影からスルリと姿を表した。
寸前に寄木細工の施された腰壁の模様が動いたから、その時に王城と繋がる秘密の通路が開いていたんだろう。公爵家は王家と繋がりが深いとは言ったものの、あちこちに秘密の通路が在り過ぎじゃないかしら。
「本当にルチルは、僕を退屈させないね。片時も目を離せないな」
あくまでも軽口のテイで、微笑を浮かべるラファエルだ。通算21回目、3日振りの彼の登場に、使用人たちは廊下につながる扉の向こうへ、そっと姿を消してゆく。最後まで残っていたお母様も「まあまあ、流石は第二王子殿下ですわ。可愛いルチルちゃんを、ちゃんと理解してくださってるのね」などと大きな独り言を呟きつつ、微笑ましげな視線を向けて退出する。
闇獣の襲撃後、何度もラファエルが隠し通路を使って我が家の内部に突撃してくれたお陰で、使用人やお母様も慣れたものだ。辛うじて、護衛騎士が半分開いた扉の向こうに立っては居るけれど、二人きりと言ってもいい状況が、日常になりつつある。
「外堀から埋めるあたり、やっぱりラフィーは油断ならない腹黒権力者よね。その上で、あなたが原作通りの無慈悲な断罪王子様なら、わたしは迷わずアイスの国に行ったのに」
「なに? ルチルは僕に断罪されたかったの?」
「ううん、それは断固拒否よ! だって、断罪されるのが嫌だからこそ、平凡生活を手に入れようって奔走したんだから」
ラファエルには、学園閉鎖で自宅待機となったこのひと月の間に、この世界以外で暮らしていた記憶があることを告げていた。驚きはしたみたいだったけれど、わたしの話す内容は概ね信じてくれたみたいだ。その上で、前回彼がここを訪れた3日前――わたしは、平凡な人生を送った “ ▓▓▓ ” の世界へ帰れるものなら帰りたいとも伝えていた。
ラファエルの突撃訪問に、3日もの期間が開いたのは初めてのことだったし、話した直後の彼の反応も何処か考え込む素振りがあったから、落ち着かなかったんだけど……。今日の反応を見る限り、何か気持ちの切り替えがあったみたい。
わたしだって、ラファエルを傷付けたい訳じゃなくって、ただ穏やかに生きたいだけなのよ。そこはちゃんと強調したかったから、彼の油断ならない笑顔が見られてホッとはしたんだけど。
「ルチルの気持ちはもちろん尊重したい。けど平凡とか、平穏な生活って何だろう?」
笑顔ではあるけれと、寂し気に見えるのは気のせいじゃないわね。
「見せたいものがあるんだ。付いて来てくれるかな?」
言いながら差し出された手は、どこか緊張を孕んで、微かに震えている。
「勿論よ。ラフィーの誘いに乗らない訳ないでしょ? ラフィーは、我儘ルチルの掛け替えのない味方なんだから」
「そう、想ってくれているんだね。嬉しい」
ピンチに陥ったルチルを、いつも助けてくれたラファエル。彼の強引な部分に困ったこともあるけれど、初めて出会って「面白い」と告げられて以降、彼は基本的にルチルの味方だ。だから躊躇なくエスコートを受ければ、彼の表情の強張りが僅かに緩んだ。
「ルチルを、天使の箱庭に招待するよ。僕から君に伝えたいことは、そこに全部詰まっているから」
それでも完全に解け切らない緊張と、意味深な言葉に首を傾げる。問う視線を向けても取り繕った微笑しか返さないラファエルは、何か大きな決意を持って、わたしを『天使の箱庭』とやらに連れて行こうとしているらしい。
「そんな怪訝な顔をしないでよ。何も、ルチルを攫って閉じ込めようって訳じゃないんだから」
「んなっ!?」
「だって、そんなことをしたら今度こそ決定的に見切りを付けて、ルチルは行ってしまうよね。僕の手の届かない所へ。ルチルなら、キノちゃんの力を借りてそれが出来ちゃうでしょ」
まあ、出来ると思う。何らかの罪状で投獄されたり、監禁されたりと、意に沿わない扱いを、味方と信じるラファエルから受けたとなれば、わたしは迷わず世界に見切りをつけて、異世界へ渡るだろう。
「だからこれはお願いだよ」
わたしの無言を正しく肯定と受け取ったラファエルは、僅かに眉尻を下げて縋る視線を向けて来る。
「わかってる。わたしもラフィーの頼みだから、付いていくの」
応えれば、彼の頬がふわりと緩んだ気がした。
手を引かれて初めて飛び込んだ隠し扉の向こう側は、驚くべきファンタジーの世界でも、異世界ならではの不可思議が並ぶ場所でも無かった。
天井の低い狭い通路が緩い勾配を繰り返し、先の見えない遥か向こうまで延々と続いている。灯りがひとつも見当たらないのに、問題なく歩を進められるのは、等間隔に仄かな白い光を纏う壁が配置されているからだ。仕組みは分からないけれど、この辺りだけはややファンタジー小説の雰囲気を残していると言うべきか。
「着いたよ」
単調で延々伸びる通路の景色に、取り留めもない考え事をしていたが、いつの間にか目的地に着いたらしい。
繋いだ手を引いて、やや前方を歩いていたラファエルが足を止め、真っ白な扉をそっと開ける――
途端、光が溢れた。
木々の梢と、青々とした若葉の隙間から、足元に生い茂る芝に向かって、眩い陽の欠片が降り注ぐ。
視線を動かせば、活き活きと咲き誇る大輪の白薔薇が生垣となって連なり、前方に見える小振りながら豪奢な屋敷までの小径を成している。
傍らに設えられた淡い桃色の小花が絡まるアーチの先には、白い丸屋根の東屋が配され、その背後には水鳥が羽を休める池が陽光を反射して輝く。
何処を見ても、完璧に整えられた美しい庭園が広がっている。
一瞬息をするのも忘れて見惚れていれば、隣に移動したラファエルが苦笑する気配が伝わって来た。
「ねえ、平凡とか、平穏な生活って何だろう?」
問われた言葉の真意は分からない。ただ、整え尽くされた『天使の箱庭』について、何かを言いたいのだろう。悲しさと苦しさを押し隠して笑むラファエルの表情から、そう察することは出来る。
美しい。
とは思うけれど……。




