第47話 腹黒誘惑魔王の放つ必殺技、天使のキスを阻止する者は⁉
天使の唇の感触は、持ち主と同じ執念深さで、しつこく額に居座り続ける。
「ルチル、僕の初めてを奪うなんて、君はなんて罪深いんだろうね」
「えっ!? は? あのっ、その節は失礼をっ」
静かに告げられた事実に、慌てて頭を下げようとするけれど、額をより強くラファエルの首元に押し付ける羽目になっただけだった。
「ふふ、何勘違いしてるのさ。頭突キッスのことだよ?」
「ずつき……っよりもっ! ラフィー!?」
「うん?」
「貴方、正気に戻ったの!?」
言いながら、ラファエルの瞳を確認すべく顔を上げようとするけれど、何故か見ることが出来なかった。半歩後ろに下がるとか、上体をラファエルから離して仰ぎ見るとかの些細な動作が悉く邪魔されて、斜め上を見るだけの動作がひどくやりにくい。
しかも、ラファエルの頬に当てていた両手は、彼と密着しているのと、上げた腕ごと抱え込まれているせいで、外すことが出来なくなってるし!
そう、わたしが驚愕と羞恥で気が遠くなった一瞬の間に、ラファエルは、わたしの肩に置いていた手を、後頭部と背中に回してガッチリ抱え込む姿勢に変化させてたのよーーー!!
「ラフィー!? 近いってば」
「だって、ルチルは手を緩めると離れちゃうでしょ? それがよーく分かったから」
なんだろう、堕天使な羽根は消えているはずなのに、僅かに見える彼の口元に浮かんでいるのは、魔王みたいな黒い圧の乗った笑みなんだけど。
って言うか、翼よ! どこ行ったの? 消えた?
距離を取ることはできないけど、ただ上に腕を伸ばすなら出来そう——。
「えいっ」
短い気合の言葉と一緒に、ラファエルの頬に当てたまま固定されていた腕を、真上に向けて突き上げる。
思惑通り、あっさりと頭上での腕の動きは確保出来た。ラファエルとはゼロ距離になったけど、今は腕の可動領域確保が大切だ。それから自由になった腕を彷徨わせ、彼の肩から背中にかけて這わせた手で翼を探す。視界は塞がれているから、そこは手探りで確認するしかない。
ここ? このへん? さっき見たのは、この辺だったわよね?
「ん、んん゛っ……ルチル?」
微かな咳払いと共に、ラファエルが狼狽えた声を出したけど気にしない。だって、ラファエルのせいで見えないんだもの。仕方がない。
「よし! ないわ!」
「ルチル嬢こそ有り得ないでしょう!」
安堵の声を上げたわたしに、エリオッツがすかさず突っ込みを入れて来た。
「え? なんで?」
「だって、ですよ!? 公爵令嬢であるルチル嬢が、公衆の面前でそんな破廉……」
「エル?」
首を傾げるわたしに説明しようとしたエリオッツだったけど、にーっこりと口角を上げたラファエルに止められている。
「ルチル、僕の想いに応えてくれてありがとう」
殊更大きな声で降ってきた柔らかな言葉と一緒に、後頭部の拘束が緩んで、ラファエルの顔全部がやっと目に入る。
「僕の最愛」
なんて、聞いたことない甘ったるい言葉を紡ぐ桜色の唇を、ボンヤリと眺める。
えーっと? 一体ソレは誰のこと?
って思ってたら、天使の顔が目の前にっ!
ごっ
「「っ、痛っ」」
今度はちゃんと狙っての額同士のカウンターを決められた。揃って悶絶の声を上げるけれど、意外に頑丈な天使は拘束の姿勢を変えてくれない。
「ふふふっ、やっぱりルチルは面白いね。色仕掛けでも、流れでも、僕の思惑に乗ってくれないなんて」
諦めたように思える言葉は、額同士をくっつけたままの姿勢で告げられる。
「ラフィー? 往生際が悪いですわ。ここはわたしの頭突きの勝利を素直に認めて、離れるところじゃありませんの?」
自由になっている両手で、ガッチリと美麗な顔面を挟み込み、眼前から引き離すべく力を込める。——けど、超至近距離を保ったまま、美形が離れてくれない。
「ぐぬぬぬ……」
「ふふふ」
「ああああぁっ!! もぉおぉぉおっ! 見ていられませんっからぁぁぁあぁっっ!!」
直ぐ側で大絶叫が響いた。
声の主は、乙女……ではなく。
乙女のように顔面を両手で覆い、嫌々と首を左右に振りつつしゃがみ込んだ青年貴族エリオッツだ。
ポーズと言葉と立場のあまりのチグハグさに、馬鹿げた攻防を忘れて見入ったのは仕方がない。
その気持ちは、目の前の腹黒誘惑魔王も一緒だったみたいで——
天然癒し系エリオッツが、珍しく『公衆の面前での破廉恥行為阻止』と云う、お目付従者らしい役割を果たしたお陰で、わたしとラファエルは一時休戦したのだった。
◇◇◇
木苺のヴェールで闇獣たちを退けた騒動から、ひと月――
襲撃の舞台となった王都礼法学園では、武装した兵士らによる巡回警備の頻度と規模が縮小され、次いで大量に投入された研究者らの出入りもすっかり落ち着いて、定点記録の観測員数名が定刻に構内に姿を見せるだけとなっていた。
とは言え、未だ講義は再開されておらず、学園に隣接する学生寮も未だ閉鎖中。ほんのひと月前まで、溌溂とした貴族子女の声や姿に溢れていた学園は、静けさに包まれている。
『闇獣襲撃に晒された学園生らは、強い精神的ストレスを受けたのだから、静養が必要』
事後処理に訪れた国王直属の兵団長や、闇獣被害対策の専門家らが、そう揃って助言した為の当然の対応ではある。が。
「もうもうもうっ! 想い出しただけでも胸がドキドキして来ますわっ」
「後光が射すって本当に有りますのね。あの光景を間近で見られたなんて僥倖……、今でも信じられませんの!」
「色々経験してきた自負はあったんだ。それなのに、初めてだったんだ……。美しいご令嬢の姿を見ても、崇高すぎて溜息しか出ないなんてこと」
学園から解き放たれ、街や自分の領地へ戻った学園生や教師たちは、興奮交じりに各々の体験を語った。
それには、恐怖体験の語り部とは違う『熱』が籠もっていた。
そう。例えるなら、推しを布教する活気に満ちたもの。
居合わせた者らは激しく同意し、被害を音に聞くだけだった者たちは好奇心に瞳を輝かせる。
『精霊使いシャレードの再来、セラシア・グランフィルド公爵令嬢』を讃える噂が、王国各地に広がっていた。




