第40話 精霊使いシャレードと、キラキラ乙女セラシアの虚構の強さ
黒い靄がはっきりとした形を持った。
闇獣は、キノちゃんの言葉で表現するなら単純に「恩知らず」。
前世おかあさんがWeb小説で書いていたのは「人々に災厄をもたらす堕ちた精霊」なんて抽象的な説明だけで、未だはっきりと形状は表現されていなかった。
だから今、黒い靄でしかなかった彼らがしっかりと姿を取ったとすれば、それはわたしの創造力が仕事をしちゃったことに他ならない。
『 きぃぁー っ きゃ っ きゃっ きゃ ! 』
学園一帯の空気を震わせ、居丈高な笑い声が、不安定に間延びして響き渡る。
哀悦の混じり合うピエロの面立ちに猛禽類の嘴を付け、ベネチアンマスクの派手な装飾さながらの紋様に彩られた顔面が、人ではあり得ない大口を開けて笑い続ける。
胴体は、ギラギラと光る装飾の散りばめられたローブに覆われ、そこから生物として成り立たない細さの真っ黒な手足が突き出ている。人の背丈の半分ほどしかない、禍々しくも激しい主張を体現した存在が、統一性のない群れとなって空中に浮かぶ。
学園生らの登校が、これからピークを迎えようかという時刻。居合わせた生徒らは、忽然と現れた不可解で悍ましい生物に怯え、逃げ惑う。
「何だ!? 化物の襲撃か!?」
「早く校舎内へ!」
「誰でも良い、とにかく先生方に連絡をっ!!」
叫び、泣きつつ、初めて目にする異形に怯えて駆ける生徒は、その存在の名をまだ知らない。
「生徒たちは最寄りの建物内へ! そこから動かず、教師の到着まで静かに待機してください!!」
騒ぎを聞きつけた教師達が続々と校舎内から現れ、迅速に生徒達を避難させて行く。
だが、粛々と生徒らの安全確保行動を助ける教師たちも、奇声を上げつつ空中を戯けて飛び回る存在には、未知なるものへの恐怖が滲んだ視線を向ける。
「くっ、何だ!? こんな化け物見たことないぞ」
「だが、この重苦しい感覚と、奴等が纏った黒い靄は……。間違い無い、闇獣だ!」
「あんな姿の闇獣なんて、見たことないですわ!!」
「私は嘗て一度だけ闇獣と対峙したことがあります! 確かにアレは、あの時の異形の獣の姿とは違う……。けど、あの時と同じく、崩れた精霊の気配を纏っています!」
闇獣——
その言葉が、教師ら大人たちの口から出始めると、生徒らの間にも不安の波紋が広がると同じく、闇獣の呼称が認識されてゆく。
「闇獣だっ! 闇獣が襲って来た!!」
あっと言う間に辺りには、闇獣の名を恐怖と嫌悪を纏って呼ぶ声が溢れた。
「ルチル! セラシア嬢も早く校舎の奥へ避難するんだ!!」
珍しく微笑の消えた天使が、強い力でルチルの手を引いて、玄関の奥へと誘導しようとする。
「セッ……セラシアもっ! にげ、逃げないとっ」
鞄を振り回して、飛び交う闇獣を牽制していたエリオッツが、微動だにせず僅かに眉を顰めて空中を見上げたままのセラシアに呼び掛ける。
「お義姉さま」
わたしも、ラファエルに引かれた手にそっと逆の手を添えて押し留め、セラシアの隣で足を止めた。
「ルチルさん。避難してちょうだい、コレはわたくしが出る筋書きですわ」
いつもの柔和な表情を掻き消し、凛とした眼差しを空に向けて、セラシアがキッパリと宣言する。有無を言わせない、絶対的な確信に満ちた言葉。けどわたしは間を置かず「いいえ」と否定を返す。
「お義姉さま、そうじゃないです。もう、とうの昔に筋は変わっています」
迷いなく言い切ったわたしに、ようやくセラシアが動揺に惑う瞳を向けて来た。真っすぐに見詰めれば、彼女は困惑を言葉に乗せて返してくる。
「けど、闇獣を何とか出来るのは精霊使いの素養のある者か、余程武力と精霊魔法に秀でた者なのよ? それは変わらない事実よ。前々世からアレらを知るわたくしなら、対処が分かるわ」
嘗て、この地に跋扈する闇獣たちを退けた精霊使いシャレードと、勇者オズは、何も二人きりで戦った訳では無い。セラシアの言う通り、武力と精霊魔法を能く使う者たちと力を合わせて、人間以上の脅威の能力を持つ闇獣を退けたのだ。
けれど、わたしはそんな過去の事だけを言っているんじゃない。
「お義姉さま、お忘れですか? この世界の本筋は未完。あらすじは詳細まで語られず、世界の流れを大まかに伝えるに留まっておりますのよ」
言えば、セラシアは『キミウタ』未完のまま儚くなった前世を思い出したのか、表情に翳りが帯びた。だからわたしは敢えて大きく笑みを作って、セラシアに断言する。
「何より、あらすじのみならず、本筋までもが認める我儘義妹のわたしが、その我儘を遺憾無く発揮させていただいておりますから。とうのとうに、おかあさんの物語は改変して、ひとり歩きをはじめておりますの。娘のわたしと同じく、ですわ!」
ひゅっと息を飲んだセラシアが、わたしを大きく見開いた目で捉える。
そう、見て欲しいのは今のわたしだ!
「知ってますか? わたし、可愛い毒キノコ精霊キノちゃんとお友達にもなってるんです。おかあさんが想像もしていなかった、成長をしてるんです!」
『そうにょー! 可愛いキノなのにゃっ』
わたしの言葉にすかさず反応したキノちゃんが、上機嫌で目の前に飛び上がり、クルクル空中を舞い踊って光りの粉を振り撒く。キノちゃんの姿が見えないセラシア達にも、光は見えるのだろう。わたしを取り巻く華やかな光に周囲がざわつく。
「まぁ……。ルチルさんったら、言うようになって」
呟く様に言ったセラシアの鼻頭は、どこか赤らんでいて、そっと顔を背けた先から「スンッ」と鼻を啜る音が聞こえる。
「セラシア! ルチルっ! 大丈夫か⁉」
校舎の奥へ避難する生徒の流れに逆らって、教師の制止を聞かずに凄まじい勢いで駆け寄ってくる姿があった。
両眉を跳ね上げた険しい表情はいつも通りなのだけれど、それが怒りからではなく心配を表現した不器用な表情なのはもう分かっている。
「兄上、国にとって大切な御身は、このような混乱の場に出てこられてはなりません!!」
「黙って見ていることなどできん!」
すかさずラファエルがミカエルを押し留めようと動くが、真っ直ぐセラシアに視線を向けたミカエルは駆け付けた勢いのまま彼女の側へ寄り添う。
「怪我はないか!? 無茶はしていないな!?」
「大丈夫ですわ。わたくしが、精霊使いとしてとても優秀なのは今世も同じようですから。ミカエル様も王城では、わたくしに集まる精霊の光と、数々の奇跡をご覧になられておりますでしょう? なんとかなりますわ」
ツンと顎を突きだして、何体もの闇獣が飛び交う空に顔を向けたセラシアは、柔らかな笑みを浮かべる。煌めく瞳で、逆境に立ち向かう姿は、正しくヒロインだ。眩しすぎる。
けれど、今のわたしは分かっている。セラシアはもとより、シャレードも思うまま精霊の能力を使える訳じゃない。シャレードとオズの武勇だって、たまたま、精霊たちの「礼返し」が闇獣退治だっただけなのだ。
意志の通じない精霊らが、花畑作りを選択しても、ちっともおかしくなかった。
精霊らの気まぐれが、人間にとって、運良く都合の良いもので——つまり、語り伝えられる伝説の二人の「強さ」はまやかし。
偶然の「礼返し」の賜物。
――頼りにするには、あまりに頼りない現象なのだ。




