第37話 闇獣ぞろぞろ! 人知れず乙女を護るはキノの使命!
ぺちっ
と、微かな音が窓際のキャビネットの辺りから響いた。
『だめにゃっ』
珍しく棘々しい調子で、キノちゃんが声を上げる。
「んん? ど、したの?」
学生寮と言うには豪華すぎる私室。そこに我儘を発揮して設置してもらった簡易コンロで、今日も早朝から野苺ジャムを煮ていたわたしは、大きく首を巡らせてキノちゃんを見遣った。
ぶわり
一瞬、黒い靄の塊が視界の端を過ぎる。けれど、すぐに元の景色の色に溶けて消えた。
「んんん? ジャム、焦がしてないよねぇ」
『鍋はそっちにゃ。焦げ焦げモクモクだけこっちなんて、無いにゃ』
「だよねぇ」
『けど、もうすぐコゲコゲしそうにゃ』
「ぇえっ!?」
慌てて手元の鍋へ視線を戻せば、確かに木べらを持つ手が疎かになって、沸々と出ているアブクが見たことの無い状態になっている。
「ぎゃーーーっ」
だから大焦りで叫びつつ、必死で木べらを動かしてリカバリーを試みていたわたしは、全く気付いていなかった。
黒い不確かな形状のナニカが、わたしに近付こうとしていた――なんてことに。
◇◇◇
『恩知らずに分けるパワパワのジャムは無いにゃっ』
凛々しく言い切るキノが、再びジャム作りに没頭し始めたパワパワ乙女の背後で、長く伸ばした細い腕を、勢い良くビュンビュンと振り回す。そのまま鞭の如くしなった腕を、黒い靄めがけて打ち付ける。
ぺちっ、ぺぺぺちっ、ぺん
小気味いい音を立てて霧散し、あるいは窓から屋外へと逃げ出してゆく。
実体の無いはずの靄であるにも拘らず、キノの打撃は通った。それもそのはず黒い靄の正体は、セラシアから腹いっぱいを超えて尚貪欲にキラキラの素を盗り続け、心根のままの邪な姿——闇獣になりかけたモノだ。
元が同じ不可視の仲間であるキノだから、干渉は容易い。
「るるるら、ふふふん」
遥か昔に聞いた気がする歌を口ずさみながら、パワパワ乙女が鍋を掻き混ぜる。
キノに愛くるしい形を与えてくれたパワパワ乙女は、背後で繰り広げられている『恩知らず』退治劇には微塵も気付いていない。
けれど、それでいいのだ。
パワパワ乙女が、特別な相手との想い出を懐かしみ、温かな気持ちを込めて一心不乱に混ぜる野苺ジャムには、ちょっぴりではあるけれどキラキラの素が溶け込む。
キラキラ乙女には及ぶべくもない量だけれど、彼女のことが気に入っているキノには極上の美味なのだ。
『わっちがパワパワ乙女を守るにゃ』
呟くキノは、いい匂いを漂わせ始めたパワパワ乙女の手元に視線を遣る。先程煮立ちすぎたジャムは、もう少々の手間が掛かりそうだ。
けれど、微笑みと鼻歌と共に作られる木苺ジャムは、今日も間違いなく美味しいだろう。
『わっちの頑張りへの礼にぴったりにゃ!』
俄然ヤル気が湧き起こる。
「キノちゃーん! 大好きな野苺ジャムを美味しくするお手伝いお願い出来るかしら」
『するにゃ! キノは良い子だから先払いの礼返しもするにょ』
「なら、今作ってるジャムは、キノちゃんの礼返しへの、先払いの礼ってことになるのかしら?」
『礼返しの礼の礼返しにゃー』
「もぉ、意味がわからないわ」
『合ってるにゃ! キラキラが混ざったパワパワ野苺ジャムは、わっちもお手伝いで礼をもらって、パワパワ乙女は更にジャムをお菓子にするから、またまた作って食べるから、わっちが礼返しするにょ』
「……まぁ、キノちゃんの中で帳尻があってるならいっか」
『いいにゃ!』
返事の声と同じく、今のキノは満ち足りて元気いっぱいだ。
それもこれも、心地良いキラキラの素がスパイスとして効いた木苺ジャムと、こんなにも流暢におしゃべり出来て、愛くるしい姿を与えてくれた創造力のお陰。どれもこれもが、我儘を自称するお人好しパワパワ乙女のお陰なのだ。
だからキノはパワパワ乙女が大好きで、彼女の願いを叶えてやりたいと力を振るう。
「木苺ジャムが出来たら、今日もお義姉さまに分けてあげたいの。まぁ、呼んでは居ないけどラフィも勝手にお呼ばれしに来るだろうけどね。もちろん、キノちゃんの分もたーっぷりあるから、心配ないわよ?」
にこやかに告げたパワパワ乙女は、再び鍋に集中しだす。キノは、彼女の持つ木べらに手を添え、不思議な力で焦げないサポートをするのが日課となっている。
「みんな喜んでくれると嬉しいわ」
パワパワ乙女が自身の安寧の他に望むのは、周囲の人間の平穏だ。特にキラキラ乙女に対しては、殊更思い入れが強い。
『にょ? キラキラ乙女の周りに、また恩知らずが集まりだしたにょ』
分身体にセラシアを見張らせていたキノが、彼女の部屋周辺の異変を察知して呟く。
パワパワ乙女が不可視の仲間だった自分に毒キノコの姿を与えてくれてから、色んなことが出来る様になった。本物のキノコが胞子を散らすのと同じく、分身体をばら撒いてキノの意のままに遠隔操作し、情報を得ることは勿論、空を飛ぶことだって。
パワパワ乙女は、この世界の人間では嘗て居た試しのない想像力豊かな人間だ。キノに理由は分からないが、その想像のおかげで精霊と言葉を交わし、突拍子も無い能力を与える創造力を使えるのだろう。
『退治するにゃっ!』
だから今日もキノは、与えられた力を駆使してセラシアを助ける。
この能力を与えてくれた恩返しをするために。パワパワ乙女が憂いなく日々を過ごせる様に。
初めて声を交わした彼女は、人と関わる楽しさを教えてくれた。今ではすっかり愛着の沸く、離れられない存在となっている。こと、フワフワで、艶かで、鮮やかな色彩で、華やかなパワパワ乙女の頭は最高の場所だ。
『パワパワ乙女、わっちが力を貸すにゃっ!』
「だからこうして待ってるってばっ! けどジャムのコゲコゲは待ってくれないのよぉ。キノちゃんっ、お助けよろしく!」
『仕方ないにゃー』
本体と、分身体が別々の事をするのも、姿を得て三年が経過した今ではお手の物だ。
パワパワ乙女に急かされて、木べらに手を添えるのと同時に、セラシアの周囲を守る分身体の腕を細長く伸ばして振るい、闇獣に成りかけた靄を打ち払って行く。
こうしてルチルの気付かないところで、キノに護られた日々が続く。
一見穏やかそうに見える学園生活も、三年を過ぎた。
物語通りの主要人物——ルチルとセラシア、そしてラファエルとエリオッツも、揃って王都礼法学園の四年生。15歳になった。あの一件以来、セラシアが没交渉を貫いている二歳年上のミカエルは、最終学年を目前に焦りを見せ始めている。
お陰で、セラシアの元には庇護したいミカエルからの贈り物やら心遣いが引っ切り無しに届けられ、彼女のキラキラは否応なしに増している。
と同時に、セラシアの周辺に纏わりつく精霊が増え、闇獣に堕ちるモノも増え続けている。セラシアの大量のキラキラの素だけでは事足りず、ルチルのキラキラの素にまで目を付け独占しようとするモノまで現れ、追い払うキノの仕事も増える一方だ。
キノの小さく細い腕では対処しきれない、不穏な兆候は、既にパンク寸前にまで膨れ上がっていた——




