第15話 嫌がらせその② 屋敷の尖塔の天辺にはためく一張羅 1
『ぱわぱわ乙女っ、野苺ジャム入りの紅茶と、たっぷりホイップクリームとジャムのかかったシフォンケーキが欲しいにょっ!』
今日は、朝から姿を見ないと思っていたキノちゃんが、花瓶に生けた薔薇の上に、元気良いおねだりの声と共に姿を現した。
「ふぁっ⁉」
驚きのあまり妙な声を上げてしまったわたしに、侍女や講師の怪訝な視線が集中する。それもそのはず、今のわたしは、私室で語学教師とマンツーマン講義の真っ最中だったのだ。物語通りのルチルでしかなかった時にサボっていたツケが回って来て、難解すぎる講義内容に尋常でない集中力を必要としていたんだけど、そこにキノちゃん襲来よ。驚くでしょ。
「ルチル様? 如何なさいましたか?」
細い眼鏡の蔓を、こめかみに当てた左手でクイッと持ち上た、神経質そうな中年教師がムッと顔を顰める。
「はぁーえ、いえっ、この隣国語を実際に発声してみたら、どんな感じかしらぁって気になったんです」
「だとして、今の発声は、彼の国の言語ではあまり聞かれない音ですね」
「あ、いえ! えーっと、確か精霊の奇蹟を現す単語の発声に、さっきの音があったかと」
焦りに焦って、記憶をとことん掘り返してようやく朧気に浮かんで来た単語に、奇声の責任を被ってもらうことにした。
『ぱわぱわ乙女、びっくりしただけだにょ』
そんなわたしの浅はかな考えは、この短い付き合いでもお見通しなキノちゃんが、胡乱な視線を向けて来る。けれど、この部屋にいるわたし以外の人間——教師と侍女には、キノちゃんの姿は見えていないし、声も聞こえていないから、素知らぬふりを決め込む。
「何てことだ……確かに、あります」
動きが予測不可能なキノちゃんに全身で警戒していたわたしだったが、その間にも隣国語の辞書をバラバラと勢い良く捲っていた教師の手がピタリと止まる。更には、本に向かっていた視線が、信じられない感情を抑えきれない様子でわたしに真っ直ぐ焦点を結んだ。
「素晴らしいです、お嬢様!」
次いで発せられた言葉は、驚愕と歓喜が圧縮されて弾けた爆発力のあるもので、殊の外大きく響き渡った。
ボソボソ嫌味ったらしく話すだけの教師かと思っていたけどこんな大きな声も出るのねーなんて思っていたら、今度は遠くからパタパタと足音が響いて来る。
「まあまあ、何ということなのかしら! 聞き違いではないわよね、ルチルが素晴らしいって、聞こえましたわよっ!」
甲高い声は知った声だけれど、いつも聞いている叱責のトーンとは違う。足音の勢いを止めずに、部屋の前までやって来た声の主の正体は、すぐに知れた。
「先生ぇっ!? 今、ルチルのことをお褒め頂きましたわよねっっ」
頰を高揚させて、どこか泣き出しそうな笑顔のお母様が、淑女の行いギリギリの早足で飛び込んで来たのだ。
「はい! 半信半疑で単語を確認した私の愚かさが、本当に申し訳なくっ……! 自身の至らなさに、改めて向き合わせて下さったルチルお嬢様には、感謝も併せてお伝えしたい!」
「それほどに! あぁ、なんて喜ばしいのでしょう!」
「はい、私もルチルお嬢様への語学講義を行わせていただき、はや四年……これまでは、自身の力不足ばかりを痛感させられる日々でしたが、まさかこのような日が来るとは!」
感動に打ち震えるお母様と、教師の熱さよ。いや、何なら部屋の隅に控えている侍女も、目頭を押さえているし、扉の影からこちらを覗いてる護衛は大きく目玉をひん剥いて落ちそうね。
えっと……大人達をここまで驚愕させるなんて、むしろオリジナルのルチルは何をしてきたのよ。いえ、して来なかった……ってことね。
「ルチル! 今日は、先生から初めてお褒めいただいた記念に、ドレスを買いましょう! いえ、宝石の方がずっと使えるわね、宝飾店主を呼びましょう!」
「いえいえ、お母様っ!? 大袈裟過ぎやしませんか!?」
お母様たちの喜び方が凄すぎて、気が遠くなりかけていたわたしだったけれど、商人を呼ぶ話にまで飛躍して、ようやく我に返れたわ!
苦し紛れの返答が、運よくヒットした褒美が重すぎるのよ。お母様ったら、ルチルに甘いとは常々思っていたけれど、本当に甘いっ!
しかも、公爵令嬢としての役目を果たすために、他の高位貴族の家でも当然行っている勉強をしているだけなのよ。まあ、ルチルはサボっていたみたいだけど⋯⋯子供なら仕方のないことよね。たまたま中身がそうじゃないわたしが表に出たから、ちょっと興味が湧いてみただけで。
とは言え、それが宝石に化けるのは、甘やかしすぎだわ!
けどまぁ……悪役とは言え、娘のわたしを想ってくれる気持ちは、ちゃんと母親の優しさに溢れているのよね。気持ちがほわんと温かくなってるわけで。
忘れかけていたけど、親の温かさって鬱陶しくも、有り難いものだったわね。
『乙女よ、そろそろわっちからの、礼の返しを聞くにょ。ちょうど、その者がおるしにゃ』
郷愁に浸る時間をくれない精霊は、いつも何も叶えていないのに『礼』の先取りをしてバクバク食べている借りを、さっさと返したいらしい。
「べつに、無理に慌てて返さなくても良いのに」
『恩義に篤いわっちら精霊は、貰った礼を返さないと、力が堕ちるにゃ。堕ち過ぎると知性なく本能に支配された闇獣になるのにゃ。闇獣になるのは恩知らずの精霊にゃ』
声のトーンを落として、深刻な雰囲気を醸し出す毒キノコは、本気で闇落ちを危惧しているらしい。
『だからさっさと、わっちの話を聞くにゃ! 礼返しさせるにゃ!』
必死なキノちゃんには悪いが、毒キノコな風貌のお陰で、今ひとつ危機感が伝わってこない。だから、聞き分けのない子供をあやす気分で——あとは、キノちゃんが見えていない周囲の人たちの視線を気にして「はいはい」と適当に答える。
『よく聞くにゃ! そこな、ぱわぱわ乙女の女親が、使用人に命じて、また、キラキラ乙女を困らせる謀をしたにゃ!』
「それを早く言いなさいよっ!」
言うや、目を丸くする一同を置き去りに、わたしは部屋を飛び出した。




