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明日の自分が残したメッセージ  作者: なは


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9/15

デッドリー・ランチ

「あのお節介なメモの送り主は、君だったのか?」

 木島は静かに近づいてくる。ゴム底の実験靴が、床を鳴らすことなく距離を詰める。

 その手には、鈍く光るモンキーレンチが握られている。実験器具の調整に使うためのものだが、人の頭を叩き割るには十分すぎる重量と硬度を持っている。

 逆光の中で、彼の眼鏡が不気味に光った。


「いいや、違う。僕はただの受け取り手さ」

 僕は薬品棚を背にして、じりじりと後退した。心臓が早鐘を打つ。

 逃げ場を探すが、出口は木島に塞がれている。窓は3階で、飛び降りるわけにはいかない。

 武器になりそうなものは……硝子製のビーカーやフラスコくらいしかない。

「教授は僕の人生を奪った」

 木島が淡々と語り始めた。感情が欠落したような語り口が、逆に底知れぬ狂気を感じさせる。

「僕が5年かけて積み上げたデータを、奴は自分の著書として出版した。抗議したら、『お前のような無名の学生に誰も注目しない。私の名前で出せば箔がつく、感謝しろ』だとさ。あの男は、研究者としても教育者としても腐っている」

「だから殺すのか?」

「正当な報復だ。社会的な抹殺だけじゃ生温い。奴には物理的に消えてもらう。それが因果応報というものだ」

 彼の目には、確固たる信念があった。歪んでいるが、彼の中では正義なのだ。

 

 木島がレンチを振り上げた。

「君も運が悪かったな。ここで大人しくしていれば、巻き込まれずに済んだのに」

 ブンッ!

 重い風切り音と共に、銀色の凶器が振り下ろされる。

 僕は横に飛び退いて避けた。ガシャーン! 背後の棚のガラス戸が粉砕され、破片が飛び散る。

 飛び散った破片が頬を掠め、血が滲む。

「待てよ! 僕を殺せば、お前は確実に捕まるぞ!」

「薬品庫への不法侵入者が、薬品の調合ミスで爆発事故を起こした……そんなシナリオはどうかな? ここのセキュリティはザルだし、薬品の配置を知っている僕なら、痕跡を消すくらい造作もない。君は哀れな事故死者として処理される」

 彼は本気だ。

 僕を始末して、事故に見せかけるつもりだ。

 こいつは、実験動物を処分するのと同じ感覚で、僕を殺そうとしている。


 僕はポケットのメモを握りしめた。

 冷たい汗が背中を流れる。

 未来の僕。教えてくれ。どうすれば助かる?

 だが、メモは沈黙したままだ。

 いや……違う。

 薄暗がりの中で、メモの端に、新しい文字が青白く浮かんでいる。

 まるで蛍の光のような、淡い輝き。


『右の棚。三段目。赤い瓶を投げろ』


 未来からの戦術指示。

 僕は迷わず、指示された棚へと手を伸ばした。そこには赤い液体が入った試薬瓶が並んでいる。中身が何なのか考える暇はない。

 一本を掴み取り、木島の足元めがけて思い切り叩きつけた。

 パリン!

 液体が飛散し、白い煙が爆発的に広がる。

 シューッという音と共に、鼻を突く強烈な刺激臭が充満する。

 アンモニアか、あるいはもっと揮発性の高い何かか。

「ぐあっ……!? なんだこれ! 目が……!」

 木島がむせ返り、涙目で視界を奪われてよろめく。

 チャンスだ!


 僕は煙の中を突っ切り、ドアの方へと走った。

 肺が焼けるように痛いが、構ってはいられない。

 ドアノブに手をかける。

 その瞬間。

 煙の中から伸びてきた見えない手が、僕の足首を掴んだ。

 万力のような力。

「逃がす、か……!」

 執念。殺意の塊のような力が、僕を引きずり倒す。

 転倒する僕。床に強打した膝に激痛が走る。

 馬乗りになる木島。充血した目で僕を睨みつけ、レンチを振り上げる。

 その顔は、もはや人間ではなかった。復讐の鬼だ。

「死ねぇッ!」

 終わった。

 銀色の死が振り下ろされる。

 そう思った。


 バン!

 ドアが乱暴に蹴破られた。


「そこまでよ!」


 凛とした声と共に、一人の女性が飛び込んできた。

 絵里依だ!

 彼女は廊下に備え付けられていた赤い消火器を抱え、躊躇なくピンを抜いた。

 その構えは、まるで映画のヒロインのように様になっていた。

 プシューーーッ!

 ピンク色の消火粉末が、猛烈な勢いで木島に噴射される。

 視界が真っ白に染まる。

「うわあああっ!?」

 視界と呼吸を完全に奪われ、木島がたまらず僕から離れる。粉末を吸い込み、激しく咳き込んでいる。

「湊! 今のうちに!」

 真っ白な粉まみれになった絵里依が叫ぶ。

「て、手荒だな……!」

 僕はその隙に這い出し、絵里依の手を取って走り出した。


 廊下には、騒ぎを聞きつけた警備員と、会議から戻ってきた教授の姿もあった。

「な、なんだこの騒ぎは!」

 教授が目を白黒させている。

「先生! 木島さんが先生を殺そうとしていたんです! 証拠は薬品庫の中にあります! 僕を襲った凶器も!」

 僕は叫んだ。喉が焼けるように痛いが、それでも声を張り上げた。


 粉まみれで部屋から出てきた木島は、駆けつけた警備員たちに取り押さえられた。

 彼は抵抗することなく、ただ呆然と立ち尽くす教授を睨みつけていた。

 かつての恩師へ向ける、最後の眼差し。

「……僕の研究を返せ」

 その掠れた声は、憎しみよりも深い悲しみを帯びていて、誰の心にも重く響いた。

 教授は何も言わず、ただ青ざめた顔で視線を逸らした。その反応こそが、木島の告発が真実であることを物語っていた。

 事件は終わったが、後味の悪さだけが残った。


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