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明日の自分が残したメッセージ  作者: なは


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8/15

変容するメッセージ

 院生の名前は木島きじま

 薬品管理の責任者であり、教授の研究データを最も深く知る人物だ。

 僕は彼をマークすることにした。

 教授が薬を飲んでから数時間。今のところ教授の体調に異変はないらしい。講義も通常通り行われている。

 だが、メモの内容が変わった以上、死の危険は去っていない。


『死因は心不全。薬の飲み合わせによるショック死だ』


 つまり、教授が「次に何かを口にした時」が危ないのかもしれない。あるいは、時間が経ってから効果が出るタイプの遅効性の相互作用か。

 どちらにせよ、猶予はない。

 僕はその足で大学の図書館に駆け込み、医学部コーナーで薬剤の専門書を読み漁った。

 静まり返った館内で、ページをめくる音だけが響く。焦燥感で文字が滑る。

 教授が常用しているのは、不整脈を抑えるためのβ遮断薬だ。これと劇的な副作用を起こす組み合わせは……。

 専門用語の羅列に目が回りそうになりながらも、僕は一つの可能性にたどり着いた。

 特定の降圧剤や、あるいは研究室にあるような化学試薬との反応。

 そして、研究室で入手可能な薬品リストと照らし合わせる。

 木島なら、薬品庫の鍵を持っている。どんな劇薬でも持ち出せる立場だ。

 管理の甘い大学の研究室。そこは、殺人者にとって最高の調理場だ。


 夕方。研究室に忍び込むチャンスが訪れた。

 教授は定例の学部会議で席を外し、学生たちも三々五々帰宅し始めている。

 木島も、実験器具を片付けて出て行ったのを確認した。

 僕は周囲を警戒しながら廊下を歩く。誰もいない。

 静かに研究室のドアを開けた。

 夕日が差し込む室内は、昼間とは違う静寂に包まれている。

 埃が光の中で踊っている。薬品のツンとした刺激臭が鼻をつく。

 僕は息を潜めて侵入した。

 薬品庫の鍵は閉まっているが、そこは事前の調査済みだ。お昼の騒ぎの最中、木島が鍵を鉢植えの下に隠すのを目撃していた。杜撰な管理だが、誰も疑っていない証拠だ。


 鍵を開け、独特の薬品臭が漂う中に入る。

 冷房が効いた庫内は、ひんやりとしていて不気味だ。

 棚には無数の試薬瓶が並んでいる。劇薬、毒物、可燃性物質。

 在庫リストを確認する。

 やはり、ある特定の薬品――カリウム製剤――だけ、記録よりも減りが早い。

 これを摂取すれば、心停止を引き起こすことができる。病死に見せかけるための常套手段だ。


 そして、教授のデスクを調べる。

 引き出しの中に、予備の薬瓶が入っていた。

 教授が昼間飲んでいたのと同じラベル。

 僕は震える手で蓋を開け、カプセルを取り出した。

 その中に混ざっているカプセルの一つだけ、微妙に色がくすんでいるものが見つかった。

 肉眼ではほとんど分からないレベルだが、スマホのカメラで拡大してライトを当てると、カプセルの継ぎ目に違和感がある。一度開けて、詰め直した痕跡だ。

 刻印の製造番号も、よく見ると削り取られて書き直されている。


「これだ……」


 証拠を見つけた。

 このカプセルを飲めば、心臓が停止する。病死として処理される完璧な計画だ。

 教授が次に薬を飲むタイミングで、すべてが終わる。

 だが、なぜ木島はこんなことを?

 優秀な院生が、恩師を殺す理由は何だ?

 デスクの引き出しの奥から、一枚の写真が出てきた。

 それは、数年前のものだろうか。若い頃の木島と、教授が笑顔で肩を組んで写っている写真だった。

 二人とも、研究の達成感に満ちた良い表情をしている。

 裏には『共同研究の成功を祝って』と書かれている。

 だが、その写真はクシャクシャに丸められ、さらに赤いマジックで『泥棒』と殴り書きされていた。

 紙が破れるほどの筆圧で。


 研究の盗用。

 それが、動機か。

 アカデミックな世界では決して珍しくない闇。

 教授は木島の研究成果を自分のものとして発表しようとしていた。あるいは、既にしてしまったのかもしれない。

「君の研究は私の指導があったからこそだ」

「学生の名など出しても誰も見ない」

「私の名前で出せば、君にとっても箔がつくだろう」

 そんな言葉に、木島は絶望し、憎悪を募らせていったのだろうか。

 尊敬していた恩師に裏切られ、研究者としてのプライドを踏みにじられた恨み。

 だとしても、殺人が許されるわけじゃない。


 その時。

 背後でカチャリとドアの鍵が閉まる音がした。

 心臓が凍りつく。

 思考が停止する。誰もいないはずだった。

 逃げ道は塞がれた。


「……やっぱり、君か」


 ゆっくりと振り返ると、そこには木島が立っていた。

 逆光で表情は見えない。だが、その手には、重そうな実験用のモンキーレンチが握られている。

 鈍く光る金属の塊。

 表情はない。能面のような顔で、ただ静かに僕を見下ろしていた。

「勘のいいガキは嫌いだよ。なんで部外者の君が、そこまで嗅ぎ回るんだ?」

 彼の無機質な瞳には、僕という人間を「排除すべき障害物」としか見ていない冷たさがあった。

 そこには、理性の光など微塵も残っていない。ただ、深い闇だけがあった。


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