終話 二人の少女 対 夏侯惇&郭嘉 3
八丘城塞群の一の内。
兵たちとともに、夏侯惇の見る先に少女がたたずむ。地より浮かんでいるようでさえあった。しかも、いかなる手妻か、不意に現れた。
こちらの灯す松明の明かりがその上を揺らめく衣は見慣れぬものであった。太ももから下の部分、細い足があらわになっておった。
次に片方の目まぶたを指で引き下げ、何かを怒鳴る。その甲高い声が城塞内の閉じた空間に響き渡る。
挑発しておるのか? その真意を見極めるときもなかった。
彼女もろとも焼き尽くす如くの業火が立ち昇る。衣に映える松明の炎が顕現した如くであった。そして炎はみるみる広がり、こちらに襲い来る。
夏侯惇自身も含め、皆、逃げ出そうとする。ただし、場所が最悪であった。限りなく閉所に近きところである。逃げる者が、逃げる者の邪魔をすることになった。加えて、あるいは隠れ潜み、あるいは待ち伏せする敵が狙い撃つ矢が飛んで来る。夏侯惇の部隊は総崩れとなった。
少しばかりのちのこと。別の丘城塞の内。
郭嘉の部隊の先にも、その者は不意に現れた。
興味を惹かれるままに、郭嘉は兵を押し分け、近づく。すると、相手が手招きするではないか。郭嘉は嬉しくなって更に近づく。もう少し行けば、触れられるというほどの近さで、強烈な光が目をくらませ、轟音が耳を聾した。目に焼き付いた残像の中で、まばゆい光に包まれた少女がにたりと笑みを浮かべておった。
何とか目が戻ったところで、郭嘉は逃げ始める。正直、腰を抜かしかけており、よろめきつつではあったが。すると後ろから再び轟音が聞こえる。そちらだけではない。横も前も、ところ構わず光と轟音が空間を揺るがしておった。どうやら雷らしいとは分かる。しかし、ここは野天ではない。天井があるのだ。とすれば、あの少女が招来しておるのか? 敵の放つ矢に追われる如くして、郭嘉は命からがら外に抜け出るを得た。
他の丘城塞に入った部隊の者が呆然としておった。何があったと問うと、水が溢れ、おぼれかけながらも逃げて来ましたとのこと。ただ、気になることがあった。その者はまったく水に濡れておらなかった。
更に別の城塞に入った者に聞くと、天井が崩落し、土砂に埋もれかけたと。しかし、その者の鎧兜が、際立って土砂まみれという訳では無かった。
そうして己の名を呼ぶ声に振り返ると、夏侯惇が他の兵をかき分け、近づいて来る。聞けば、炎に襲われたとのこと。
「どうやら、我らはまぼろしを見せられておるようです」
「まぼろしだと。とてもそうは想えなかったが」
「元譲様(夏侯惇の字)の鎧は焦げておりませぬ」
あらためて己の姿を見た相手が答える。
「言われてみれば、確かに」
そうして周囲から声が湧く。
「空を見ろ」
「何だ。あの空の色は」
二人は釣られる如く天をあおぐ。確かにそこには黄色い空が。夏侯惇の脳裏には苦々しさとともに一つの記憶がよみがえる。潁川での黄巾との戦い。かの地でも、天が黄色に染まった。決して、忘れておった訳では無い。転変地異と言えるこの現象。ただ、忘れたかったのだろうとは想う。このようなことをなしうる者を敵とすることを恐れるゆえに。そして、我らの行いが神への挑戦という無謀としか言い得ぬものに堕すことを。
「どうして、初めてここを攻めたとき、現れなかったのだ?」
心ここにあらずのままに、そうひとりごつ。
「何です?」
理解できぬのであろう郭嘉が問うて来る。この者はあの時点ではまだ我が軍に加わっておらぬゆえ、潁川での出来事を知らぬ。
「黄天様だ」
「何ですと?」
「奴らには黄天様がついておるのよ」
郭嘉は黄色の天蓋に変じた空に点の如くの小さな人影を見出したらしく、
「あの浮かんでおる者がですか?」そこまで言って、しばし黙り込んだあと、「ここは退きましょう」
「またか」
「あれが本物の黄天様か否か分かりかねますが、いずれにしろ、敵は勇気百倍、我が軍は恐れおののき、加えて既に犠牲が大きく出ております、これでは勝機は既に失われたも同然」
「そうだな。仕方あるまい。また、孟徳にぐだぐだ言われそうだが」
「殿に進言しようと想っています。次に攻め込むなら、是非にも親征をと。簡単に討伐できる敵ではありませぬ。難攻不落と言って良いかと。殿自ら率いぬならば、とりあえず、放っておくべきと」
「放っておくのか」
「はい。袁紹の首を獲りました。次は漢軍との決戦となりましょう。ここの軍は、城塞に籠もっておるから強いのです。それは奴らも十分に承知しておりましょう。あえて地の利を捨てるは愚かというもの。しかも多大な労力を払って、自ら築いたのです。外には出て来ぬでしょう。ならば、放っておいても大過ありませぬ」




