第3話 袁紹戦3
二枚看板ともいうべき顔良と文醜を討たれたとの精神的な打撃のゆえか、袁紹軍が崩れ出すのは早かった。更には総崩れとなる。呂布の軍が横撃してくれたに違いなかった。ペロとの連絡を通じて、今朝の開戦を示し合わせており、共に動く手はずとなっておった。
呂布の烏丸勢への説得に関していえば。このときの烏丸は、大きく三つに分かれておったが、そのうちの遼東の速僕丸率いる勢力のみ帰順に応じ、他には断られたとのこと。一部とはいえ、戦うことなく、味方に引き入れることができたことを想えば、悪くない結果である。
ところで、俺と猩猩様は敵陣深くに分け入っておった。もちろん、狙うは袁紹の首である。逃げられたか? そう危惧しつつ、その姿を捜し求める。
少し高くなっておるところを越えると、袁紹軍の牙旗が捨てられ、たくさんの兵の死体が転がる中、想わぬものを見出す。
『曹』の牙旗。その近くに一人の豪奢な鎧兜に身を包む騎馬武者がおった。直観が走った。曹操か? 百%そうであるとは限らぬも、そうであれば、まさに、千載一遇。見逃す理由はない。
「猩猩様。あの派手な騎馬武者を討つ。とんでもない大物だ」
丁原様とクラン御前を助けられなかった件については、どうするべきであったか、俺なりに一つの結論を得ておった。
まず、呂布の旦那を遠ざけたことは間違いではなかった。史実の強制力については、未だ計りがたいところがあるが。少なくとも、これにより、董卓のそそのかしにより呂布が丁原様を殺すのを避けられたのは確かだ。
ただ、そこに欠けたものがあった。董卓を討つべきであった。俺たち、色物組でやるべきであった。無論、必ず成功するとは限らぬが、あのあと経験した懊悩と後悔を味合わずに済むことを想えば、試みる価値は十分にあった。
そして、今回、同じ失敗をする気はなかった。こいつは曹操かもしれぬ。ここで討つことができれば、この後に来るであろうこいつとの戦、そこで失われるであろう万を越えるかもしれぬ命を失わずに済むのだ。そして、それを上回る数の悲しみと懊悩と後悔をまぬがれられる。
共に斜面を駆け下りる。といって、俺はトップスピードではない。猩猩様に合わせる必要があった。騎馬武者の側らに一人の偉丈夫がおったからである。そいつは巨大な二股の戟をたずさえておった。誰だか知らぬが、そちらは猩猩様に相手をしてもらうしかない。
「でかい奴を頼む」そう告げると、俺は猩猩様の背後に回る。
言われるまでもないとばかりに、猩猩様は駆け下りた勢いのままに、大斧を上段から打ち下ろす。
俺はといえば、上ではなく下。俺の瞬間移動は同じ行動を取ると発動しないというわがままな奴。 俺は二人――猩猩様と敵――の下をくぐり抜けた。両者の武器がぶつかり合ったのだろう、耳障りな衝撃音が響き渡る。でかい奴がこちらを見た気がしたが、しかし、猩猩様の大斧を受けてなお何かできようはずもない。
俺は騎乗の男のアゴを下から蹴り上げる図を想い描く。次の瞬間、俺の体は空中にあった。やった。瞬間移動成功だ。足は蹴り上がり始めておった。それが騎馬武者のアゴをとらえんとした瞬間、何か巨大なものが降って来る。
俺の足はゴキッという鈍い音とともに、それにさまたげられ、しかもそれにのしかかられるままに俺は地に叩きつけられた。でかい奴だった。更にその上から猩猩様の巨体まで。どうやら、でかい奴は猩猩様の攻撃を踏ん張って受け止めずに、わざと俺の方に吹っ飛ばされたらしい。気が遠くなりかける中、
「孟徳様。急ぎお逃げください」
俺の上のでかい奴が言うのが聞こえる。その言葉に意識を呼び戻される。くそっ。やはり曹操じゃねえか。どけよ。こら。俺はそいつの下から逃れようとするが、そいつは俺に体重をかけたまま、そのぶっとい腕で俺にしがみつく。
「悪来。済まぬ。必ず助けに来る」
騎馬武者はそう告げると、ムチを当てる。
「おい。どけって」
猩猩様が立ち上がり、後を追うのが見えた。
「一人で行くな」
そう叫ぶも彼女は止まらなかった。
「畜生。何だ。お前は」
俺はジタバタするも、いかんともしがたい。相手がこちらを攻撃する気なら、まだやりようがあったが、ただただ、俺が動けぬように、上から乗られ、体を密着され、更に腕で固められては、どうしようもない。
俺は頭を切り換える。こいつは典韋だ。悪来とは曹操が彼に付けた二つ名だった。確か、昔の馬鹿力の武将にちなんで。
曹操が自ら言ったごとく、必ず助けようとするに違いない。こいつだけは逃がさねえ。なので、途中から、俺もまたこいつにしがみつき、敵味方二人してしがみつき合っておる妙ちきりんな姿で、やがて後方から追いついた味方の軍――そこには全軍を指揮しておった盧植もおった――に見出されることとなった。
俺に追わさぬという目的を達したゆえか、典韋はさして暴れることなく、漢軍の兵により俺から引きはがされ、後ろ手にしばられた。その際、うめき声をあげておったことと胸を手でかばおうとしておった。どうやら、俺の蹴り足を受けて、肋骨を痛めたらしい。その状態で俺を抑えつけておったのか。痛くない訳がなかろうに。まったこいつの主想いのほどが知れる。曹操にすれば、己が子より可愛いかもしれぬ。
ようやく、俺は状況を盧植に説明する。猩猩様が一人で曹操を追って行ったと伝えると、皆まで聞こうとせず、俺が曹操が逃げたと教えた方向へ向かおうとする。
またまた俺はしがみついて止めなければならなかった。しかし、このじいさん、そのまま俺を引きずって行く勢いである。まったく何て体力だ。年相応という言葉をどこかに置いて来たらしい。
とにかくあのつかまえた奴が典韋であること、そして、曹操の台詞を教えてやる。典韋のことがある以上、曹操は猩猩様を殺そうとはせぬであろうこと。恐らく、捕らえて、典韋と交換しようとするはず。そう告げると、落ち着いたようだった。
まったく、しがみついたり、しがみつかれたりばっかりじゃねえか。
猩猩様。どうか、無事でいてくれよ。




