終話 戦@二人の少女2
夏侯惇が送った降伏勧告の使者。相手側の応対はひどいもので、まさにけんもほろろであった。しかも面会に応じた者は黒ずくめの女であり、衣も漆黒なら髪も瞳も漆黒、肌も浅黒かったという。
その者いわく、「我らには黄天様の庇護がある。その神威を恐れるならば、今すぐに去れ。さもなければ、その怒りをその身に受けようぞ」
何を戯言を。そうひとりごちた夏侯惇であったが、一つの記憶がよみがえる。すっかり忘れておった。それもそのはず。己のものではなかった。しかし、二つのもの、『黄天様』と『黒ずくめの女』が一つに結像した。あのときは、ならば、迎え入れよなどと冗談混じりに孟徳には言ったが。
面白い。ならば、引っ捕らえて、孟徳の面前に連れて行くとしよう。
翌朝、攻め込む準備を終え整列する全軍。夏侯惇は大音声にて、
「一日も必要あるまい。昼前には攻め落としてみせようぞ」
配下の面々は頼もしき鬨の声にて応じてくれた。
近侍の兵が突撃の太鼓をならすべく、己の下知を待つ。
ただ、それを与える気はなかった。兵にはああ言ったが、そこまで敵を軽んじておる訳ではなかった。否、黄巾は軽んじてはおっても、この眼前に見えるは、己の心に忌々(いまいま)しき、それどころか、まがまがしきものとしか映らぬ。己のみならず、ここまで付き従ってくれた将兵、その血と命を贄として求めておるものとしか。
そもそも、これ全体が山の一斜面に築かれた巨大な要塞の如くに見える。俺はそれをまさに麓から眺めておるのだが。ただ、その斜面に至る前に、いくつもの丘の如くが見える。まずは、あれらを落とさねばならぬということであろう。
夏侯惇は約八千の全軍を四つに分けた。己が三千を率い、残りを三分割し各将に率いさせた。己が最も多くを率いたのに理由が無い訳ではなかった。孟徳の言いつけによるものであった。反乱防止のためであると。等分にするならば、更には、他の将に多くの兵を与えるならば、それはどうぞ反乱を起こしてくださいとお願いしているようなものだと。
丘の一つに全軍を集中させるか、あるいは隊ごとに別々の丘を攻めさせるか、この時点では迷っておった。
最前線の兵には体がすっぽり隠れるほどの大きな盾を持たせ、それに守られる形でじりじりと前進させる。皆、徒歩であった。最外周の防御は、城壁や城門というほどにいかついものではなく、木の柵であり、ところどころに櫓が立つというものであった。その奧に控えるものに比べれば、簡素なものとさえいえた。ここで防ぐ気はないということか。実際、大した抵抗もなかった。夏侯惇の隊は、退路の確保のためもあり、多少のときを費やして、木柵を破壊し、それからようやく先に進む。
そうして丘に近づく。やはり、丘は一つ一つが小城塞であった。上から見ることができるならば、これらの配置は明瞭に分かろうが、そうできるのは、敵が領する山の上しかない。今おるところから見る限り、はっきりせぬ。
堅固そうであるが、各々は巨大ではない。全軍で一つに攻め込むならば、却って、こちらの兵が余る大きさである。なので己の一隊が一つの小城塞を、他の二隊が組んで別の小城塞に攻め込むこととし、残り一隊はこの場に待機させた。
そうして入ったはいいが、中は迷路の如くである。おまけに、少なからずのところは屋根で覆われておれば、己が小城塞のどこら辺におるのか、入ってすぐに分からなくなった。しかも、そこかしこに敵兵が待ち伏せしておる。
犠牲を多く出しながら、何とか、外に出るを得た。そうしてみると、また、別の小城塞が眼前に見えた。
己は副官におよそ千を与え、今、抜けて来た小城塞の確保を命じ、残りの兵を率いて別の小城塞へと進む。やはり同じ状況に陥った。しかもそこを抜ける前に、先ほどの副官から伝令が至り、敵の攻撃が激しく確保は困難であり、放棄の許可を求めて来る始末。
夏侯惇は仕方なく放棄を許し、合流を命じる。そうして外に出てみると、別の小城塞を攻めさせておった部隊も待っておった。聞くと、同様の状況であった。抜けるは困難ではない。というか、抜くなどという手間のかかることはせず、この小城塞群を捨て置いて、奧に攻め込むが最善と想える。ただ、まさにそれこそが罠とは分かる。
山そのものを城塞とした如くを落とすに四苦八苦しておる間に背後から挟撃を受ければ、敗北必至であろう。更に退路さえ確保できぬとなれば、全滅はまぬがれぬ。やはり、あの小城塞群を攻め落とし、占領せねば。
そこで夏侯惇は、将兵の消耗しきった顔を見る。ただ、生き残ったはまだ良い方というのが実情であった。戦死者は少なくない。これ以上の犠牲は避けるべきであろう。夏侯惇は捲土重来を期して、全軍に退却を命じた。




