第1話 九原にて1
丁原様とともに匈奴の単于を追って河東におもむいた呂布であったが、到着前に単于は逃げたとのこと。それで、丁度、秋ということもあり、馬を太らせてから帰って来たのだった。呑気なものだとは想うが。丁原様の軍はクラン御前の存在もあって、遊牧の気風が強い。そして、遊牧の軍勢が馬中心となるは致し方なきこと。
それで、今、俺たちは呂布の故郷である五原郡九原県(内モンゴル自治区、包頭市)にいた。クラン御前へ許可してもらった俺の案に従って、動いたゆえだ。冬は暖かい河内郡で過ごし、春になって黄河沿いに北上した。このままで、きるだけここで長く過ごし、殺害の時期をやり過ごせば良い。それで、少なくとも呂布が董卓にそそのかされて、丁原様を殺す恐れはなくなるはずだった。
ここは北にそびえる巨大な陰山山脈のふもとでもあり、そこから流れて来る川がうるおす地でもあり、川は南を流れる黄河に注ぐ。地名の通り俺がいるのはあくまで草原であり、山間ではないのだが、陰山の偉容はそんな気分にさせ、ついつい、前世を想い出して、しんみりしてしまう。そう。俺は山間のど田舎に住んでいたから。そうして、何の因果か、峡谷にかかる吊り橋を渡ろうとして、死んでしまうんだが。そんなことまで想い出しちまった。
ところで、ここは始皇帝が河間のほぼ真ん中をぶち抜いて造った直道の北の終点のはずであった。しかし見回しても、ほとんど原っぱであり、どこが直道か良く分からなかったりする。恐らく、ここに至るまでの険しいところを切り開いたり、一定区間ごとに宿駅を設けたりしたんだろうけど。井戸を掘ってね。
(注1 史記によれば、始皇帝は九原から雲陽の甘泉宮(陝西省淳化県。咸陽の北にある)まで直道を造っている)
ついでに言うと、その始皇帝が造った長城も見たけど、さすがに400年近く経っておれば、ぼろぼろになっておる。南匈奴が漢朝に臣従して以来、長城の重要性は減ったのだろう。
(注 史記匈奴伝によれば、長城は臨洮(甘粛省天水市の西、岷県の東北の地)から遼東(遼寧省)に至る万余里であったと。戦国七雄の時代、匈奴に接するは、燕・趙・秦の三国。長城もこれら三国の造ったものを併せて、万余里となる訳である)
匈奴の現状は、呂布によれば、同じ王族だが、系統を異にする勢力間で争いがあり、今はその一方の単于が追い出され――こちらが河東に侵攻したという単于の勢力であり、留まっているのが別の勢力に新たに推戴された単于であるという。
呂布としてはクラン御前や己の母方の親戚、更には共に丁原様に仕えたい者を求めたいとのことで、あちらこちらを駆け回るのに大忙しであった。
俺はといえば、折角だからと、つまり、こんなにたくさん、お馬さんがおるのだからと、乗馬の練習に励むが、落馬したり――気のせいか、振り落とされている気もする――引きずられたりと、それでも少しづつは上達しているようであったが。ペロの野郎は相変わらず鞍上での逆立ちや一回転をこれみよがしにして見せる。ただ、それ以上に俺を愕然とさせたのは、匈奴のようやく歩けるようになったんじゃないのというくらいの子供が裸馬を余裕で乗りこなしていることであったりする。
なので、ここでも、ときどき自らの足で走って、「俺。速えー」と叫ばざるを得なかったりする。




