第3話 董卓3
次は袁紹である。この者には何進からの置き土産と言い得るものがあった。騎都尉の鮑信に軍兵を集めさせておったのである。その鮑信が袁紹に勧めていわく、
「董卓は強力な家兵を有しております。漢朝に対する異志を有することも、これからの行動で明らかとなりましょう。早くに動くべきです。そうでなければ、逆に董卓に制せられることになりましょう。今は洛陽に着いたばかりで、その兵は疲れております。私が集めた軍兵を用い、襲撃して擒としましょう」
袁紹は董卓を畏れて、あえて動かず。ゆえに鮑信は去った。
そしてやはり対決の場は、廃立を議す会議。董卓はこれを二回開いており、下記の議論がなされたがいずれかは分からぬ。盧植の伝の『独り』抗弁したとの記述を信じるなら、二回目となろうか。
董卓が袁紹に言うには、
「天下の主はよろしく賢明なるを得べし。霊帝を念うごとに、人をして憤らせ恨ませる(注1)。陳留王は可と想える。今、まさに立てるべし」
(注1 霊帝は(少)帝より、弟の劉協の方が気に入っていたとされる。それゆえ、こう言うのであろう)
袁紹いわく、
「今上(帝)は春秋に富み、未だ天下に不善を宣べる(広める)にあらず。もし、公(注2)が礼に違い、情に任せて、嫡子を廃し庶子を立てるなら、衆議は安んぜず」
(注2 董卓はこの会議の直前に、三公の一たる司空になっている。ゆえに公と尊称されているのである。つまり、しっかり自分の地位を高めてから、廃立の議に臨んだのである)
董卓は剣を手にして袁紹を叱るに、
「豎子(注3)。あえて、そうするか。天下のこと、どうして我に在らざるか? 我が廃立を欲しておるのだ。誰があえて従わぬというか」
(注3袁紹さん四十才くらいなんだけど、相変わらず豎子呼ばわりされています。現代で言うところの世間知らずの良家のボンボンというところなんでしょうねえ)
袁紹は詭りて曰く、
「これは国の大事。それゆえ、出て、大傅(叔父の袁隗)と之を議論したく」
董卓が更に言うには、「劉子の種は復た遺すに足らず」
袁紹は勃然(顔色を変え、むっとする)として曰く、
「天下の(豪)健なる者がどうして董公のみということがあろうか」
袁紹は節を上東門に懸け、(大傅に会うこともなく)冀州に出奔する。
ここにおいて、董卓は袁紹を賞金首にした。ただ、信任する伍瓊らが諫めて、
「追いつめれば、袁紹は挙兵して山東を失うことになりましょう。赦して一郡の太守にしてやれば、罪を免れるを喜び、公を患わすことはないでしょう」
その程度の男ですよとばかりに。
董卓はこれに従い、袁紹を渤海太守とする。
上記は興味深いところである。これを機に、両者の相手に対する処し方が入れ違うという点で。
前話で記した如く、董卓の人への対し方というのは、『敵・味方を厳格に区分けし、敵とみなせば激しく攻撃し、徹底的に滅ぼす』である。例え、相手が士人であれ変わらぬ。
他方、袁紹の場合、宦官に対しては不倶戴天の敵とみなしておったが、士人に対しては共に漢家を支える間柄という前提に立つ。それゆえ、鮑信に董卓に対する軍事行動を勧められても、断ったのである。無論、後漢書の伝える如く『畏れて』というのも理由の一つではあったろうが。
ただ、董卓の廃立の強行により、心定まったと想える。それゆえ捨て台詞を吐いて去った。また、節(恐らく帝に賜ったものであろう)を残して去るは、董卓の牛耳る漢朝に最早忠誠は誓えぬとの象徴的な行いであろう。そして反董卓の義兵を起こすために、冀州へと去るのである。
他方、董卓は伍瓊らの諫言により、矛を収める。この者の常ならば、徹底的に滅ぼしたであろうが。結果は如何にといえば、歴史が示す通りである。
(おまけ:会議にてのある部分、盧植と袁紹で似ている。恐らくどちらかがどちらかになぞらえたのであろうが。ただ、剣の部分を比較すると、盧植の方から袁紹の方を書くのは簡単だが、逆は難しいと分かる。なので恐らく大本は盧植であろう。また、袁紹の方についていえば、この重要な会議に大傅――これもまた三公の一である――の袁隗が出席していないということなどありえるだろうか。また、董卓の最後の台詞「劉子の種は復た遺すに足らず」(皇帝家たる劉氏の子孫など存続する価値もない)は、いくら傍若無人のこの者といえど、さすがに皆の前では言わぬであろう。
袁紹についていえば、会議の部分は半ば作り話で、ただ廃立強行を受けての出奔というのは十分にありえよう。そして董卓が賞金首としたのは、会議での言動ゆえではなく、無断の出奔ゆえとみなせよう。(また、『鮑信の話』や『伍瓊の諫言を受けての渤海太守任命は信頼しうる』と想う。)
史料というのは後世の我々に多くを教えてくれるが、反面、話半分に聞いておくのがいいものでもあったりする)
次話の投稿は4月21日(火曜日)となります。ご了承ください。




