第1話 血の四日間7
こたびの戦の特色を挙げるとすれば、因縁を持つ軍勢同士となったことであろう。互いに『何』の文字を織り込んだ牙旗を掲げるならば、それが同士討ちであるはあからさまであった。
一方は主たる何進を失い、ゆえに今やその股肱の臣たる呉匡が率いる。あえて、『何』の旗を掲げるは、今は亡き主への揺るがぬ忠誠を示し、なにより、これを主の弔い合戦とするべく。
他方は、その弟たる何苗が率いた。
ともに曰くありとはいえ、両軍対峙しての心持ちは異なった。
呉匡の軍勢の方は、相手が直接手を下した訳ではないにもかかわらず、仇の最たる者とみなしておった。弟なら兄に協力してしかるべきとの想いがあるゆえである。にもかかわらず、主のなさんとした宦官誅滅に公然と反対し、皇太后にもそのように訴え、ために、いつまで経っても、皇太后の詔を得られず、それこそが宦官につけいる隙を与えたのだと。
何苗の軍勢の側は、あくまで同郷の軍とみなした。今は仲違いしておるが、これは誤解に基づくものであると。
その心持ちの差は一騎打ちとなった両将において最も明瞭に現れた。
ところで一騎打ちとなったのに理由のない訳ではない。
そもそもにおいて、呉匡たちの心持ちを良く知る袁紹・袁術の二将は、敵軍がひるがえす旗を見て、譲っておった。
加えて、この戦のもう一つの特色ゆえであった。宮城内という、およそ戦をなすとは想定しておらぬところでなされたこと。正殿前のみは前庭があるゆえ多少の空間は確保されておるが、他の殿や建物の間は決して広くない。
対峙する両軍の将兵は、自ずとひしめき合う。そこで、呉匡は勇み出て挑発し、何苗はやむなく応じてという形であれ、各々の軍を代表して対峙する両者。
あまりの憎しみのために、顔を引き歪ませ、その剣を持つ手は震え、必ず恩讐を果たさんと猛る呉匡。
他方で、引きずり出された如くの何苗。それでも、こうして向き合えば、相手にこちらの気持ちも届けやすくなろうと肯定的に捕らえたか。未だ説得しうると信じ、そのための言葉を続ける。我らはともに南陽郡(河南省南陽市)を出自とする軍であり、それゆえにこそ戦うべきではない。袁本初(袁紹の字)の口車になど乗って反乱軍に与したりせず、共に漢家を守り抜こうと。皇太后である我が妹を共に支えてくれぬかと。
もし、一歩退いて見るならば、互いの心境は理解しうるものであったかもしれぬ。ただ、ここが命のやり取りをなす戦場であることを想えば、どちらがこの場にふさわしいかと言えば、呉匡であり、どちらがとても危険な行いかといえば、それは何苗であった。
あるいは、こう言うべきかもしれぬ。血の臭いに引き寄せられる如くに洛陽城の空を舞う猛禽が望むことが答えであろうと。
そして、両者の戦いはといえば、数合も打ち合うことなく、何苗が手傷を負うところとなった。逃げ惑う何苗を執拗に追い、呉匡がついにとどめを刺したのは、北宮の朱雀闕(南門)。そうしてその生首を掲げるならば、仇討ちの念に駆られる自軍からはどっと歓声が沸き、何苗の軍はまさに総崩れとなった。多くは逃げ出したが、戦う意思を失わなかった者たちは、宦官の残軍とともに、北宮に立て籠もった。




