第3話 血の四日間3
ところで、曹操が受け取らなかった何進の首がどうなったかといえば。何と、盧植の足下へ放り投げられることとなった。ことの顛末はこうである。
張譲は首の回収を中黄門に命じ、自らは段珪と共に偽の詔の下書きを作成した。樊陵を司隷校尉とし許相を河南尹とするとの。
これを正式な詔として発令するために、それを司る尚書(官名)の盧植の下に持ち込んだ。
ときの司隷校尉は袁紹、そして河南尹は王允。王允はさておき、袁紹が何進と結んでおるは、半ば公然の秘密であり、徒党を組んでの行いを好まぬ盧植でさえ知るところ。ゆえにこう言う。
「大将軍と共議せねば」
それを聞いた張譲は中黄門に首を持って来させ、放り投げさせた。付け加えるに、
「謀反人の何進は既に誅に伏した」と。
張譲たちが去ったあと。豪胆な盧植でさえあまりのことに呆然としておった。何が起こったのか理解できなかったのである。目は自ずと何進の首に向かい、そのカッと見開かれた目は怨みを告げておるようでさえあった。
ふと張譲たちが持って来た下書きを見る。何皇太后から預かって来たと言っておったが。最早、司隷校尉がどうとかは、どうでもよい。
果たして、皇太后は兄が殺されたことを知っておるのか? あの者らは誅などとのたまうておったが。確かに兄妹間があまりうまく行っておらぬとは聞き及ぶところ。といって、兄の殺害を許すとは想えぬ。
衝撃が未だ去らぬゆえに、足下もおぼつかぬまま、執務室を出て殿廊を走る。一端、地に降り、至ったは後宮入り口の南小門。
ことがことだけに、できれば直接話したかった。皇太后への謁見を門番に願い出る。しばし待たされた後の答えは、
「皇太后は病篤く、謁見できない。文にて取り次ごう」
そう言われれば如何ともしがたい。病などと信じがたく想うが。そもそも、この門番からして宦官である。当然、その大官たる中常侍の言うがままであろうことは想像に難くない。
せめて様子をうかがいに長楽宮(皇太后の宮殿)に赴きたく想うが、そうするには皇太后自身の許しが必要となれば、最早、なしうることは無かった。
宦官どもの干渉を恐れ、大将軍がどうされておるかご存じですかとの、できうる限りの遠回しの表現で、文にて問う以外。
(注 丁原たちがおる城門は、更に外側の南大門。盧植は尚書の職務をなすために、宮殿内に残っておった)




