第6話 皇甫嵩と董卓2
皇甫嵩と共に王国を討伐した翌年の中平6年[189]。董卓は少府[官職]に任命されるが断っている。ただ、この拒絶、必ずしも董卓のわがまま放題のゆえとは言い切れぬ。
少府というのは位は卿であり、官秩は中二千石である。ゆえに最上位の三公に劣るとはいえ、そんなに悪くない。
ただ、問題はこれが文官ということである。董卓という男、極めて粗暴であり、武の一面においては勇略あり相応の実績を残すも、文は無い。ここは文武両道の盧植や曹操とはまったく異なる。ゆえに適材適所とはまったく言い得ぬ人事であった。
この少府、禁中での衣服ならびに皇帝の衣服・物品・食事をつかさどることを職務とするので、文の無い董卓でもできぬ訳では無い。他方、まさにお飾りの閑職であるはあからさま。なので、
「馬鹿にしている」
その任命の詔を携えて来た使者をぬかずいて見送ったあと、そうひとりごちることになる。言葉と共に床に吐かれた呼気は、己の心中のわだかまり同様、容易には去らぬ。
己の身一つのみを考えるならば、受けないという選択もありえなくはない。問題は家兵の者たちである。あれらをどうやって養えというのだ。もしや、(霊)帝は我を疑っておられるのか?
董卓は上書した。
「臣[=私:帝に対してへりくだっての自称。上奏文などで一般的に用いられる]の家兵は左将軍の任を解かれて後[注1]、俸給も無く、その妻子は飢え凍えております。少府の官に就くために、洛陽に向かおうとする臣の車にすがり、行かせてくれません。そもそも家兵に多くを占める羌胡[チベット系の異民族]は悪心を抱く、狗の如き者。臣は禁じることも止めることもできず、彼らの心中を安らげ慰めるのみ。ただ、もともとかような者たちゆえ、(漢朝に対して)異心を抱きやすく、それが増すことを憂いております。異心が増すようならば、すぐに上書いたします。ただ、そうならぬためにも、何とぞ彼らの心と体の飢えを満たしうる官を臣に賜りますようお願い申し上げます」
左将軍の任にあるときは、己の配下を下官に就けるを得た。しかし、少府にては、満足に漢語も操れぬ家兵の者どもがなしうる下官などなかろう。帝はもしや我の家兵を奪わんとしておるのか? もしや我の反乱を疑っておるのか?
(注1 将軍職は特定の任務を行う際に帯びるものである(ただ、大将軍のみは例外のようであるが)。王国討伐の任務をまっとうしたゆえに、董卓は解任されたのであり、何らかの罪科があってという訳ではない)
董卓にとって不幸なことには、その懸念は当たることになる。
帝より至った詔にては、我の求めを慮ってくださり、并州の州牧(注2)を賜った。しかし、何たることか、家兵をあの忌々しき皇甫嵩に預けよとのこと。さてはあの者が今回の件、裏で画策しておるのか?(注2 刺史に同じ。州の長官であり、霊帝はこの年にその官名を刺史から州牧に変更した)
再び董卓は上書する。
「臣には老謀(経験豊富ゆえの軍略)もなく、といって壮事(たいそうな事)も成し遂げてはおりませぬ。天恩(霊帝の恩寵)を誤って加えられ、戎[西方異民族。ここは羌族(チベット系異民族)を指すと想われる]をつかさどること十年。ために、家兵の士卒は、互いに慣れ親しむこと久しく、その養われた恩顧のゆえに臣を恋い慕い、臣のために一旦(=一朝)の命を奮わんとしております。それゆえに、この者たちを率いて北州[=并州]に赴き、国境防衛に努めたく想います」
董卓はこのあと、家兵を引き連れ、(并州に属する)河東に駐屯する。
そして霊帝の死ののち、(生前の)何進に呼ばれ、洛陽に向かう。宦官を誅殺するためとのことであった。また、宦官側にたくらみがバレるのを恐れて新帝[少帝]の詔を得ておらぬとのこと。それゆえ、国境警備を担う并州の兵は残し、家兵のみを引き連れて向かった。その洛陽入城の際の軍勢は歩兵・騎兵併せて三千と史書は伝える。
ちなみに皇甫嵩であるが――董卓がその家兵を預けるのを拒んだあと、従子[オイ]の皇甫酈より、董卓を討つべく勧められる。「怨みによる隙が既に結ばれ、[漢朝の下に]共に存するを得ず」として。
「董卓が帝の命をほしいままにするのは罪といえども、我が誅をほしいままにすることも、また、責められるべきこと。朝廷の裁きに委ねよ」
として皇甫嵩は断っている。
このエピソードは皇甫嵩の人柄を伝えるとともに、漢朝にては家兵の存在が許されていることを示している。それゆえ、霊帝の命はあくまで『預けよ』となっているのである――没収ではなく。また、皇甫嵩が『朝廷の裁きに委ねよ』と言うも、それゆえである。兵を預けぬをもって、反乱の意思ありとみなし、董卓討伐を朝廷が決定したなら、そのときに初めて誅をなさんという訳である。




