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第3話 漢(おとこ)・盧植3

 盧植は広宗[河北省威県の東]に籠城する張角――黄巾勢の総帥――を攻めておった。盧植自身は、北中郎将・持節という武官の位を授かって、この任に当たるが、どこぞの州の刺使や郡の太守をしておった訳でもなければ、当てにできる自前の軍勢は無い。


 副将をなすは護烏丸中郎将の宗員そういん。その名の通り、烏丸うがんの侵攻を防ぐを任務とする将であり、その率いる兵は、遊牧勢の騎兵と戦い得る強兵なれば――しかも最前線配備ゆえ戦い慣れしておれば――この者の部隊が軍の主力をなすは疑いえぬ。


 また、(霊)帝の好意により特別に北軍五校が加わっておった。特別にというは、この部隊は本来なら禁中を守る近衛であったゆえ。その将が将来を嘱望されるエリート――高位高官の子弟であり、兵が選りすぐりであることは疑いえない。ただ、実戦――野戦や籠城戦――で役に立つか否かは別の話である。何せ、その部署が首都・洛陽の宮殿なれば、実戦での経験など積みようがない。恐らくは、その名の持つ響きほどには役に立たなかったであろう。


 加えて現地・近隣の兵である。あえて強兵とみなす必要はないが、敵が黄巾であることを想えば、弱兵とみなす必要もあるまい。


 実際のところ、広宗に張角を追いつめるまでに、盧植の軍は連戦連勝、斬獲すること(言い換えれば、黄巾軍の戦死者と捕虜併せて)一万余りというはなばなしき戦果をあげておった。


 そもそも河北の地は平べったく、ゆえに宗員の騎兵――史料中には明記されておらぬが、対烏丸を主目的とする部隊なれば、おらぬとは想われぬ――の活躍もあってのこの結果であろう。


 そもそも何で張角は敵(騎兵を有する官軍)に利ありの河北をうろついておったのか。何で歩兵を主力とする自軍に有利な、より山がちの地――河北近隣でいえば山西(その中心は大同)となる――を拠点にしないのかとの疑問はある。張角の出身地がまさにこの河北にある鉅鹿きょろくであるゆえとは想うが。


 盧植は雲梯うんていを造らせ、これを用いて攻めた。雲梯とは移動可能な車体部分を有する巨大な木のハシゴである。(注 消防のハシゴ車みたいなもの。車輪はついてはいるが、動力は人力である)ただ、まさに攻めあぐね、兵の犠牲が増えるばかりである。そこで盧植は攻め方を変えた。


 広宗の城の周りに囲みを築き、堀をうがつ。退路を断っての兵糧攻めである。


 かたわらに宗員が来て、その工事の様を共に見て、

「我が騎兵をもってしても城攻めばかりはいかんともしがたく」

 と申し訳なさそうに言う。


「なに、あえて、しかばねをさらす危険を冒す必要もない。それに、ただ待てば勝ちが転がりこんで来るのだ。こうした戦い方の方が我のしょうには合っておるわ」


 それで、北軍五校はといえば、その将たる校尉が五人、雁首がんくびそろえてやって来て、「攻め込まぬのですか」と責める如くにのたまう。


 それに対する盧植の返答はといえば、

「そうしたいなら、そなたたちの部隊のみでやれば良い。あるいは、洛陽に帰りたければ、そうしても良い。帝を守るその任務は、ことのほか重要であろうから」


 その心中を見透かされた如くに言われては、引き返さざるを得なかったようであり、不平顔のままに去った。




 そこに左豊の来訪であった。ある者が左豊に賄賂を送るよう勧めたが、盧植は断った。


 それで、左豊は洛陽に戻り帝に報告する。


「広宗に籠もるはたやすく敗れる賊軍です。にもかかわらず、盧中郎将は、土塁を固く築き、軍を休め、天誅を待つばかりです」


 ほぼ見た通りであったが、冒頭の台詞のみ事実と違えた。帝がそれを望んでおるは明らかであったので。また、『天誅』の言葉に帝がぴくりと頬を動かしたことも狙い通りであった。この言葉が天譴てんけん(注1)という帝が最も嫌われる言葉を連想させたのであろうから。己へ寵を向けられぬ帝へのささやかな意趣返しであった。




 宗員の目の前の状況は信じられぬものであった。盧植様が檻車かんしゃに入れられておった。これから洛陽に護送されるという。


「このようなはずかしめ。決して許されることではありませぬ。しかも死罪とは。私の方から、盧中郎将が無罪であることを上奏いたします」


「そんなことはやらなくて良い。どの道、我一人のことがらに過ぎぬ。下手すると、そなたまで罪を得るぞ。それよりは、帝は他の指揮官を送られよう。その者に籠城戦の継続を訴えて欲しい。こちらは多くの命に関わることゆえにな」


 やがて、檻車がゆるゆると進みだし、宗員が見送るその様は涙でにじまざるを得なかった。




 このあとのこととして述べれば、多くの助命嘆願が寄せられたのであろう、盧植は一等を減刑され、死をまぬがれた。


 次に指揮したのは董卓であった。ただ、攻め落とせず。


 最終的に、同年[中平元(184)年]の十月、皇甫嵩こうほすうが攻め落とす。張角は既に死んでおったので、その棺を暴いて首を斬り落とした。また、その弟の張梁ちょうりょうを捕らえた。


 董卓が強攻、兵糧攻め、いずれを採用したか明らかではない。


 ただ、皇甫嵩が兵糧攻めを採用したは明らかである。なにゆえならば、この者自身が「(盧植の)謀み(攻め方)にのっとり、資(盧植の造らせた土塁や堀を指すのであろう)を用いたゆえに」攻め落とせたと喧伝したことを、史書は伝えるゆえに。


 そのおかげもあってであろう、盧植はその年のうちに再び尚書となった。




(注1:天譴とは天罰のことである。ただ、この語は特別な響き――特に皇帝にとってはとても苦い響きを持つ。臣が皇帝を批判する際にこの語が好んで用いられるゆえである。日本では漢地の皇帝といえば、独裁者とか最高権力者として紹介されがちであるが。これはあくまで世俗に限ってのこと。朝廷にての君臣たちの共有する世界観にては、あくまで天が最上であり、その下に皇帝、さらにその下に臣がおるのである。先話で盧植が日食をもって霊帝に諫言したのも、この世界観があるゆえである。

 付け加えるならば、天はその意を天文現象にて表すとの世界観もまた共有される。そしてそれゆえに天を観察し、それゆえに天文学が発展したのである)


 



 後書き 他に面白い人物が見つかったら、また投稿したいと想います。


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