第3話 曹操7
曹操は呆然とした。(霊)帝が亡くなったのである。確か34才(数え)だったはず。まだ死ぬ年ではないだろう。中平六(189)年四月のことであった。
他の官には評判の悪い宦官重用も非難する気もない。血がつながらぬとはいえ、祖父の曹騰は宦官であり、また、恐らくはそれゆえに己は帝より寵を賜ったゆえに。
時代の転機であろう。ただ、ならばとして、動けるほど高位にいた訳でも権力を有している訳でもなかった。
一方、そうしたところにいた者たちの争いは激しかった。これまでは帝の寵を争う――裏を返せば帝がやわらげる役割を果たしていたのであるが――それが直接ぶつかり合う如くとなった。
まずは、西園八校尉において上官であった蹇碩が獄死した。(霊)帝の長子の劉弁が既に新帝として、即位しているが、蹇碩は王美人のお子の劉協を推したのである。そもそも競合する相手が皇后のお子ということであれば、勝ち目は薄く、ひいてはこうなる危険を予測できたはずであるが。その劉協は渤海王に封建された。(注 この後、劉協は陳留王に移される)
三ヶ月ほどのち、そろそろほとぼりも冷めたろう。相手が獄死したということもあり、香をあげに行くのをためらっておったが、それをなすことにした。上官であったというのを口実に。ともに(霊)帝の寵を受けておったということで身近に感じておった。何より自らの身の危険を顧みずに、劉協を推したところの心意気に感心して。
蹇碩の屋敷に赴く。さすがに帝の寵を受けた宦官だけあり、屋敷は立派なものであった。ただ、まさに、今の曹家が祖父の代に蓄えた富を礎にしていることを良く知る曹操にしてみれば、怪訝に想うこともなかった。
焼香を許され、それを終えたのち、応対してくれた蹇碩の叔父と少し話した。その一本気を褒め称えた。己の想う正直なところであり、その心持ちゆえに亡くなったことを想うと、述べずにはいられなかった。




