第3話 曹操6
中平五(一八八)年の八月のこと。
「今度の人事、楽しみにしておれ」
帝(霊帝)にそう言われ、任命式に赴いた曹操。そこに居並ぶ顔の中に旧知の人物を見出して、納得した。
(そういうことか。かの袁一族の有望株たる袁紹と同列に扱う。それが帝の寵か。しかし我ら八校尉の上官に小黄門の蹇碩を置くとは、帝の宦官好きも相変わらずよな)
西園八校尉への任命であり、己は同時に典軍校尉をたまわった。黄巾勢に備えてということらしいが、上官が蹇碩ということもあり、帝の本気度は不明である。
未だ黄巾の炎は消えず、特に南で盛んだと聞く。あの女もそれに加わっておるのだろうか?
おまけ またまた曹操さんに関わる怪しい記事を見つけましたぜ。という訳で、『三国志』の裴松之の注が引く『曹瞞伝』によれば、曹操は二十歳過ぎで洛陽北部尉となったとき、本話に出て来る蹇碩の叔父が夜間通行の禁を破ったので、即座に殺したとある。通常、宮城にて外臣の武官が守るのは比較的外側であり、その内側――寝殿や後宮を守り、護衛(いわば最終防衛ライン)につくのは宦官である。なので、曹操のところを破られたら一大事とはならぬ。
もちろん、蹇碩の叔父が武器をたずさえ強硬突破しようとしたならば、曹操のこの処置は正しいといえるし、それなら、曹操の特質としてあえて史料が伝えるべき事柄でもない。
他方でそうした状況にないのに――例えばオイの蹇碩に会いに行こうとしただけなのに殺したとしたら――曹操はん、あんた、イカレです、となろう。頭おかしいの?と。
こたびの人事は、①曹操にとっては彼自身に述べさせた如く、袁紹と同列に扱うこと、②そして蹇碩に対しては袁紹や曹操たちの上官となすこと、いわば各々の心情に霊帝が配慮したものである。もし、曹操が曹瞞伝の伝える如く、蹇碩の叔父を殺していたとしたら、霊帝はこんな人事をするだろうか? 寵というより嫌みであろう。それに蹇碩や曹操はこの官職就任を断るのではないか。口には出さずとも最悪な人事というところで。(ちなみに、この時代、官職に就任しなくても罰されない)
なので、曹操による蹇碩の叔父殺しはこのあとのことなのではないか、というのが私の見立てである。




