第2話 曹操2
謁見の間にて、皇帝(霊帝)にぬかずいたあと、曹操は黄巾賊との戦いの結果を奏上した。
勝ったとは言わなかった。正直にと想った訳ではない。あの女の言う通りにはしたくなかっただけだ。ただ、
「潁川の賊は逃走しました。自軍は多大な犠牲をこうむりましたので、追うことはできず、敵の壊滅には至りませんでした」
とは申し上げた。
「敵はたいそうな幻術を用いたと聞いた」
己の戦果への評価はせずに、帝はそう述べる。
幻術についてはあえて報告しなかったが。一体、誰が? 己は数日捕らえられておったので、敗戦直後に都へ向かえば、帝に先に報告することは不可能ごとではないが。
今回の遠征の部隊の多くは帝より兵を借りて編成した。とはいえ、勝手に前線を離脱することは軍紀違反となろう。ただ、帝に罰する気がなければ、それはそれに過ぎぬ。また、実質敗戦だったことも踏まえれば、己にも問責する気はないが。
他方で、都へ逃げ帰られることと帝に報告できることは別問題である。後者を許される者は限られる。ヒゲの無い、女の如く肌つやの良い中黄門[宦官の官職]の顔が想い浮かぶ。姿が見えなかったので、これ幸いと捜しもしておらなかったが。果たして、生きておったか。あの者以外にも、帝が送り込んでおる者がおらぬとまではいえぬが。そう想っておると、
「これ。そなたの主の帰還だ。顔を見せよ」
その帝の言葉にうながされるように、中黄門が玉座の背後よりひょっこり顔を出す。この者の主になった憶えはないのだが、などと想っている己に挨拶をするのだが、妙にしどろもどろである。それが終わると、そそくさと謁見の間の隅に移動した。
なるほど、宦官の世界も大変だな。帝の左右には宦官の大官たる中常侍が居並び立つ。その者たちに気がねしておるのだろう。
帝は玉座から立ち上がり、階を降りて、かたわらにしゃがみ込む。それから、己の手をにぎる。帝は己への寵愛を示されるとき、決まってこうされる。『孟徳は帝のお気に入りだからな。床へ誘われたことはないのか?』との夏侯惇の軽口が想い出される。確かに帝は他の官にこうした寵の示され方はせぬ。なされるのは、宦官に対してだけだ。
己を宦官とでも想うておるのか? 帝の頭の中では、それに近きものであるのだろう。恐らくは、宦官であった祖父ゆえ。祖父は特に順帝(第八代、在位125~144年)に気に入られたこともあり、中常侍を経て宦官の最高位である大長秋(注1)にまでのぼりつめた。
「よくぞ生きて帰った。それだけでも勝ちに等しい。そなたには新たな官職を用意しよう。楽しみに待っておれ」
その言葉とともに、帝の吐く息が耳の当たりに感じられた。
「ありがたき幸せと存じます。今後も帝を父と慕い、尽力いたします」
後日、帝は済南国の相を賜られた。(注2)
(注1 中常侍が皇帝に近侍するのに対し、大長秋は皇后に近侍する。そもそも、長秋とは皇后の宮殿のことであり、転じて皇后その人も指すようになった。漢朝ではそれを官名にしたということである。
注2 済南国といっても外国ではない。王族に与えられる郡である。場所は現在の山東省の一部。相の上の官職に傅があるが、こちらは名誉職のようで、実質、相が行政上のトップではある。ただ、何かと王族の干渉はありそうで、それを考えると同等とされる『郡の太守』(孫堅などが任命されている)の方がありがたいのだろう。多分だけど)




