第1話 エピローグ(前篇)
俺は呆然と眺めておった。まさに惨劇の跡であった。人の体がバラバラに散らばり、血につかっておった。といって、その惨劇そのものを見ておらなかった訳ではない。それでいて、なお、であった。否、見ていたからこそ、衝撃は大きかったというべきであろうか。
「お前はつまらぬ戦い方をしておるな。我の方が楽しめよう」
そう言われて、乗っ取られたあと――否、あのままでは俺は殺されておったろうから、助けに来てくれたという方が正しいのだろう。あるいは、俺が死ねば、蝶蝶も死ぬのだろうから、自分のために出て来たのかもしれない。
いずれにせよ、俺は体のコントロールを失い、ただ、見ておった。そうして、蝶蝶は来たときと同様、いきなり去った。そのまま、どれくらい呆けておったのか。不意に馬の足音がする。聞き覚えがあった。赤兎馬。そう。俺は馬の足音を判別できるようになっておった。それだけ、こちらに長くおったということである。振り返る。
「呂布の旦那」
想わず、言葉が漏れる。しかも一人である。
「曹操は討ち取ったの?」
側まで騎乗で来た呂布に尋ねる。
「いや。師匠が心配になって戻って来た」
「なんで。そんなことを……」と言いかけ、止めにする。蝶蝶が出て来てくれたから、いいようなものの、そうでなかったら助けを必要としたであろう。たとえ間に合わなかったとしても、文句を言うのは筋違いである。
それに呂布自身は、自分が曹操に殺されるという史実など知らない。なぜ、曹操を討たねばならぬのか。そこのところが、ピンと来ないのであろう。それに、曹操は他の者が追っておるとのことなので、俺は何とか己の不安と不満を抑えるを得た。
「手伝ってくれ。この者たちを葬ろう」
俺たちはまともな道具が無い中で、そこら辺に落ちている石や木の枝を使って、苦労して穴を掘った。汗が出るほどであった。呂布は重い鎧兜の類は脱いで、加勢してくれておる。ペロがいればなあ。その動物たちに手伝ってもらえるのに。それに、こいつら――死者に対して、この言い方は申し訳ないが――何せ、体がでかいのである。各人をその武器と共に埋葬し、手を合わせる。
それが終わる頃には、夕暮れとなっておった。そのまま、野宿する。二人して、地面に横たわって、夜空を眺める。幸いなことに晴れておった。巴郡が曇りばかりだったこともあり、久しぶりの星空の気がする。見上げる心の余裕もなかったゆえでもあろうが。
俺も呂布の旦那も火打石などの火を点けられる道具を持っていなかった。なので、月明かりのみの世界である。聞こえるのも虫の音ばかり。
俺は言わずと知れた半チチ半ケツの戦闘服姿であったが、春の草が敷布代わりとなってくれた。
「夜風がひんやりして気持ち良いですね。師匠」
「いつまで俺を師匠と呼んでくれるのかな?」
俺もそれに甘えて、本来は字で呼ばなければならないところを、『呂布の旦那』呼ばわりさせてもらっているんだけどね。
「だって、こんなに強いんですよ。四人を同時に相手するなんて」
俺ではなく、蝶蝶がやったんだけどね。
「そういえば、師匠がしつこく言っていた交易。何となく、その面白さが分かって来ました。あの師匠が無理やり押し付けて来た男――アフラシアブ(サマルカンドの古名)出身のナナイと共にやっているんですが」
「おお。本当か。是非、聞かせてくれ」
『しつこく』とか『無理やり』とか、ひどい言いざまであるが、事実であった。それだけ、呂布が頑強に応じなかったということでもあるが。
「まず、驚いたのは見たこともない品がたくさんあることです。美しい模様の色とりどりの織物や、様々な形の陶器など。その中にとても大きなガラス壺があって、ナナイいわく『奉先様への献上品だからこそ、こんなに重いものを携えて来たのです』と恩着せがましいのですが」
陸上の交易では通常重いものは運ばぬから、ナナイがそう言いたい気持ちも分かる。だからこそ、交易品として軽い絹が好まれたのだ。
「故郷の九原から出て、丁原様に連れられ、都・洛陽に行くこともありました。なので、田舎者ゆえ知らぬという訳では無いと想うのですが」
「世界は広いということだよ。この漢朝の治める広大な領土でさえ、世界の広さに比べたらね、何分の一かだよ」
「そうそう。地図などというものを、やはりナナイが持って来ましてね」
「さすがに、今は持ってないよね。今度、見せてよ」地図好きの俺の心が想わずうずく。「それで、どんなものだった?」
「初めて知ったんですが、海というのがあるんですね。水ばかりで、人なんて生きていけないでしょうに」
「海にもところどころ陸地があるんだよ。俺の生まれた蓬莱も、その一つだ」
「それでは、師匠はあの水ばかりのところを渡って来たんですね。さすがは師匠。すごいです」
いや、俺は、死んで、こっちに来ているんだけど、などとは言えるはずもなく。代わりに、こう言う。
「川に浮かぶ船があるだろう。あれに乗って来たんだ」
「へー。あの小っこいのにねえ」
と彼は感心しきりであった。ずっと後の遣唐使でさえ命がけであったと聞くから、呂布の想像もあながち間違っていない。
「それに交易をやって、嬉しいこともあったんです」
「聞かせてくれよ」
「かように武張った我です。子供たちに恐がられるなんてことも日常茶飯事だったんです。男の子の中には俺に憧れてくれる者もいるんですが、残念ながら、少数派です。敵に恐れられるのは大歓迎なんですが。子供たち相手ではねえ。中には俺を見ただけで泣き出す子もいるくらいです。でもね、西域から得たいろんなもの。特に干した果物の類をあげると、笑顔で寄って来てくれるんですよ。そしてお礼まで言ってもらえるんです。信じられぬことですよ」
「干しブドウとか干しアンズだろう。あれは、おいしいからな。ペロもあれが欲しくて、ナナイにひっついておったよ。草原ではあまり取れないだろう」
「そうですね。それにね、子供たちばかりではないんです。大人もね。子供たちほど、あからさまに嫌われるなんてことはないんですが。敬して遠ざけるというか、距離を置くというか、そんな人たちがね。交易となると、近寄って来てくれるんです」
呂布はずっと笑顔であり、話好きとは言えぬ彼から次から次に言葉が出て来る。
「それに妻にも評判が良くてね。甘いものもそうですが、それ以上に金の装飾品がね。良くこんな手のこんだ装飾ができるわね。そう妻が感心するほどの出来の良さなんですよ。我から見ても、どうやって造るんだろうと不思議に想うほどです」
「そうか。夫婦円満で何よりだ」
「そうなんですよ。怒らせると、恐いですからね」
「呂布の旦那が恐妻家とは知らなかったよ」
「師匠だから教えるんです。他の者には絶対に言わないでください」
そういえば、モンゴル・トルコ系は女性の地位が高かったと聞く。
「奥さんは匈奴の人なの?」
「はい。母の遠縁になります」
ふーん。いわゆる姻族という奴だね。代々に渡って婚姻をなす間柄だ。
(注:姻族の例:チンギスの正妻はボルテであるが、その孫クビライの正妻はボルテの姪――ボルテの弟アルチ・ノヤンの娘――である)
「呂布の旦那が気に入ったものはないの?」
そう尋ねると、ふところから大切そうにある物を取り出す。懐剣であった。黄金色の鞘であり、小さな宝石がいくつもはめ込まれている。そうして、鞘を抜いて刃を見せる。
「美しいでしょう」と呂布。まさにご満悦の表情であった。
青白き月光の下、美しき波紋が浮かび上がっておった。いわゆるダマスカス・ナイフである。この時代に既にあったのか。俺が興味津々に見ておったゆえであろう。
「そうだ。師匠に献上します。どうぞ、お受け取りください」
しかし、その呂布の顔、まったく嬉しそうではない。分かりやす過ぎるぞ。こいつ。
「俺が武器を使わぬのは知っているだろう。俺にとってはまさに無用の長物。いらんよ。気持ちだけありがたくもらっておく」
「そうですか。残念です」
とは言うものの、呂布は破顔して、大事そうにふところにしまう。
そこから先も、呂布から、その成長が感じられる色々な話を聞くことができた。
お礼と言っては何だが、俺は突厥の話をした。実際に突厥が栄えたのは、六~八世紀なので、この時代より後ではあるが、蓬莱に伝わる古代の伝説として。遊牧勢たる突厥が、長距離の交易商人たるソグド人と結んで繁栄したことを。更には、
「東の漢と西域の間に広がる広大な草原、そこを治めることができるのは、騎馬の民たる遊牧勢のみ。また、それゆえにこそ、交易商人に旅の安全を保障できる。呂布の旦那も、今やっていることを発展させて、そこを目指せばよい。そうして、そなたが遊牧勢の主となれば良い。そうだな。突厥の主はカガン(=皇帝)と称した。そなたもそう称してみてはどうか?」
ただ、返事が無い。側らを見ると、スヤスヤと寝息を立てておる。まったく、ペロみたいな奴だな。まあ、寝物語代わりにでも聞いてくれればいいさ。




