終話 エピローグ(後篇)
翌朝、曹操を追った者たちが二人だけ戻って来た。呂布は疲れがたまっておったのだろう。まだ、寝ておった。朝から鳥たちが騒がしいが、安眠の妨げにはならぬようである。その呂布を起こし、彼らの報告を聞く。
罠にかけられたとのこと。曹操が逃げ込んだ先に、敵軍が待ち構えており、恐らく、助かったのは我ら二人のみとのこと。
呂布は血相変えて立ち上がり、方天画戟を取りに行くが、起きたばかりということもあり、足元は心もとない。そもそも鎧甲を身に着けることさえ、頭にないようである。
俺は急いで赤兎馬の手綱を取ると、それに乗る。呂布は不審な顔をして俺を見る。
「師匠も行かれるのですか?」
「俺に自らの足で走れと?」
「何の冗談です」
「冗談ではない。そなたを行かせぬためだ。せっかく、命拾いしたのだ。しかも、俺を助けようとして来てくれたおかげとなれば。そなたをみすみす死なせる訳には行かぬ」
「しかし、配下を殺されては」
「それは分かる。一人で行くのは許さぬと言うておるのだ。そなたが一人で行けば、まさに、飛んで火に入る夏の虫。曹操を喜ばすだけだ」
呂布にそう告げてから、逃げて来た二人に問う。
「そなたら。罠と言ったな。敵は砦か何かにおるのか。それに軍勢は?」
「はい。あの黄巾が造った城塞には比べるべくもありませぬ。しかし、陣の周りに逆茂木を設え、馬の突撃は防がれてしまいます。人数はしかとは分かりかねますが、千人を上回るかと」
「呂布の旦那。分かったろう。そなたは幸運にも生き延びた。その幸運を大事にしてくれ。相手はそなたの天敵とも言って良い曹操だ。それに、昨夜、そなたが話してくれた者たちも、そなたが死ねば悲しもう。何より、そなたにはたくさんの仲間がおる。そなたを慕う遊牧勢。そして漢朝の者たち。無論、俺もだ。俺のことを師匠と想うてくれておるなら、どうか、言うことを聞いてくれ」
呂布は明らかに渋っておったが、最後には、納得してくれた。ただ、すねて、話してくれなくなった。まったく。俺たちは一端、巴郡に帰った。それから、呂布は曹操追討部隊を整え、発した。
戻った際、手鞠に蝶蝶の行動について相談した。気になっておったのだ。手鞠が描いてくれた血化粧を落とし、敵の返り血で化粧を施した如くとなっても、効果はあるのだろうかと。手鞠いわく、
「正直、良く分からないのよ。私は描いているだけだから。効果云々は、貴方自身に判断してもらわないと。ただ、血化粧を一番熱心に研究しておったのは蝶蝶よ。であれば、それが最終解なのかもしれないわね」
「そうか。最終解」
確かに、そう言い得る強さではあったが。
「それから、ゴリ姉から聞いたわよ。あなたは蝶蝶ではないんですってね」
手鞠に詰められると想い、慌てて言い訳する。ちなみに、ゴリ姉とは猩猩様のことである。
「あとで言う気だったんだ。戦の最中だったし、混乱させてはいけないと想ってね」
「そうね。妥当な判断だと想うわ」
と、手鞠はあっさりとしたものだった。
それからひと月ほどのちの朝。城塞の木の門――曹操に壊されたが修繕済みであった――を出て街道をちょっと進んだところ。行き交う者たちの邪魔にならぬよう、少し端によけて。
「ペロ。寂しいぜ」と俺。
ペロは旅立つという。相変わらずの着ぐるみ姿。そのくせっ毛が風にそよいでおった。俺が話した歴史よもやま話から、この世界に興味を持ったゆえとのこと。正直、話を聞いているのかいないのか、分からないと想っておったが。聞いていたんだな。
共に発つのは猩猩様。見聞を広めたいと、以前から彼女は言っており、まさに、渡りに船とのこと。とは言うものの、義理人情に篤い彼女のこと。ペロの身を心配して、というのが、実際のところだろう。
そうして盧植も、わしも見聞を広めたくて、などとのたまわっているが。いや、あんたは、どう考えても女の尻を追っかけてだろう。ただ、転生の際に老子にあんなことを頼んだ俺が、何かを言えるはずもない。それに、盧植は史実では、この先、そんなに長く生きる訳ではない。この世界線ではどうなるか定かならぬも、猩猩様と余生を幸せに、というのは正直な想いであったりする。
そうして清流も。一念発起し、世界の鍛冶屋から技術を学びたいとのこと。城塞に遅れて至った師匠からは、既に許しを得たと。しっかり役割を見出した倫倫。彼女に負けたくないとの想いも強いのだろう。俺が呂布の旦那に頼んで、清流にダマスカス・ナイフを見せたというのもあるのかもれない。
その倫倫。大好きなペロばかりか、親代わりとなって己の面倒を見てくれた清流までいなくなるというので、既に涙ぐんでおった。
そうして、なぜか、献帝も。漢朝の帝位は、兄で前の皇帝でもある少帝に返したとのこと。董卓を倒したあと、献帝とペロはしばらく九原におった。そのとき将来のことをいろいろと話し、二人の夢として、これを約束したとのこと。
俺の心にクラン御前のことがあり続ける如く、ペロの心に王美人のことがあるのだろう。あのとき、俺が至るまでに何があったかは知らない。聞いてもいない。王美人は既に深い傷を負って倒れておった。あのときのペロの顔を想えば――ペロに過失があるのか、あるいはそのように想い込んでおるだけなのか――いずれにしろ、自らに責任を感じておるのだろう。
「漢だな。ペロ」
との俺の言葉に対して、
「フリチンも漢だ」
との言葉が帰って来て、なんか、互いに認め合うみたいな感じになってしまう。そうか、ペロは俺の弟分――女の子だから妹分か――ではなく、ライバルだったかと、ようやく気付く。それもまた良しだ。
「呂布の旦那には挨拶しなくていいのか?」
「引き止められても困る」
とは猩猩様。大斧を右手に杖替わりに持ち、双剣を腰に帯びる彼女。確かに自らに互して最強の相棒たるは彼女しかおらなければ、当然、呂布も引き留めよう。ただ、曹操を捕らえることは未だかなわぬらしく、今も追っておる。
「フリチン師匠は来ぬのか? 考え直さぬか」と猩猩様。
「一緒に行こうよ」とペロ。
俺の手を握る倫倫の力が強まる。
「先に言った通り、俺はここに残るよ。手鞠や白蓮を手伝いたいし、呂布の旦那の方もな。双方の協力の仲立ちをしたいとも想っている。それに、俺はここが大好きだからさ」三国志の世界が、とは言わなかった。説明すると、いろいろとややこしそうなので。何せ、この世界線、三国鼎立が成るかは、かなり怪しい。「倫倫とのコンビも磨きたいしな。なあ。倫倫」
彼女は涙を浮かべつつ、笑顔で俺を見上げる。倫倫は自分でここに留まるのを望んだ。自分の能力を伸ばしたいという。手鞠は彼女のために、三番目の研究チームを立ち上げた。チーム・メンバーは今のところ、俺と白蓮のみだけど、手鞠によれば、他の者も隈取で能力が発現する者がおるのではないか、とのこと。
「そういえば、蝶蝶が出て来たそうだな」と猩猩様。
「ああ。助けられたよ。彼女にいろいろ教えてもらって強くなりたいとも想うが、正直、あんなに強くならなくてもいいよ。俺は」
「だろうな」と猩猩様は苦笑しつつ応じる。彼女は幾度となく蝶蝶と共に戦ったのだろう。袁紹戦のあと、今の俺の方が好きだとも言ってくれたし。蝶蝶のあの戦い方を想えば、猩猩様の心情も分かる。
「白蓮と手鞠は、見送りに来ないね」と俺。
「黒姉と白姉はすねているんだよ。ペロたちが旅に出るから」
『黒姉』とは手鞠、『白姉』とは白蓮のことである。ただ、二人の前では、ペロはこう呼ばない。手鞠にそんな下品な呼び方をしないでと叱られるらしい。ちなみに、ペロに言わせれば、自分たちだって『おちびちゃん』と呼んでいるのに、ということである。裏を返せば、そう呼ばれることに対するペロの仕返しということらしい。
「確かに手鞠は、城塞造りの研究チームに、亡くなった黄おじいさんの代わりに、ペロを入れるつもりだと言ってたね」と俺。
「白蓮については半ば当たっているが、手鞠はこうした別れが苦手なんだ」
と猩猩様がとりなす。
そうして、彼らは旅立った。何度となく、こちらを振り返り、手を振るゆえに、なかなか姿が去らぬ。
更に白蓮が飛んで行って追いつくと、別れを惜しんでいるのだろう。更にゆっくりとなる。
「おもいっきり泣いていいんだぞ」
ぐずり続ける倫倫にそう言う。
「そうだね。お姉ちゃんも泣いているもんね」
「バレてたか」
「バレバレ。声で分かるよ」
まったく涙が尽きやしない。
後書きです。
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ほぼほぼ出オチに近いひと笑いを想いついたことから始まった本作。この最後の別れのシーンは、かなり早い段階で決まっていたもので、本作はこれに向けて書いてまいりました。チンギスのときと比べて、そんなに脱線したつもりは無かったのですが、十七万字越えというなかなかの長編になってしまいました。
私が三国志に初めて触れたのは、中学生のときに読んだ吉川英治の『三国志』です。そして、すっかり魅了されてしまいました。もちろん、当時は三国志を題材にTSものを書くなどとは想像できませんでしたが。私なりのものが書けたかなとも想います。
最後になりますが、この長い小説にお付き合いくださり、感に堪えない気持ちで一杯です。ありがとうございました。




