第3話 戦1
結局、曹操もまた丘城塞の一つに攻め入った。理由は郭嘉と似たようなもの。自分の目で詳しく見てみたいと想ったのだ。
「なるほど」曹操はひとりごちる、「人の心というものを良く心得ておる」
中は暗く、視界は効かない。せいぜい、松明が照らしうる範囲である。ところどころ、大きな空間もあるが、そこへの出入り口は狭く造られておる。
「ただでさえ、逃げ出したくなる。しかも、敵に襲われたならば、どうなるか?」
造り主の意地の悪さがうかがえるようである。あの黒ずくめの女か。何年前であろうか。まさに遠景を見る如くの目に、曹操はなる。気丈にも己にはったりをかけてきおった小娘。
否。これだけのものを造りうるのだ。はったりでは無かったのであろう。事実、あのとき、己はあの娘の言う通りに動いた。そうして、今、ここで、再びか? 果たして、何かの巡り合わせかとさえ想う。
敵からの攻撃はほとんどない。より深く入らせよう、より出入り口から遠ざけようとの考えであろう。
そうして、少しばかり開けたところに出る。
「ここです。水が襲って来たのは」
そう告げるは、前回、この丘城塞への侵攻を指揮した者。
しばし待つ。やがて、前方にて白き衣に身を包んだ者が、おっかなびっくり天井から降りて来る。
「なるほど。あやつが幻影の主か」
「そうです」先の指揮官が答える。
地面に立つと、こちらを指さす。己を見分けたのか?
「派手な奴。お前が曹操か? 手毬お姉様をこれ以上、追いかけるな」
少女はそう叫ぶ。続いて彼女のまとう白き衣から水がこぼれ落ちる。
「水もしたたる美少女とは私のことよ。我が名は白蓮。良くおぼえておきなさい。ケチョンケチョンに……」
その声は途中でかき消された。彼女の頭上から天井が抜けたとさえ想われるほどの水が崩落したからである。
「なるほど。確かにこれは逃げ出したくなるな。幻影とは想えぬ」
水の奔流が己より高き壁となって迫って来る。目をつぶる。幻影である以上、見なければ問題ない。己の体が呑まれる。想わず目を開ける。幻影ではないのか? 口から空気の泡が出る。苦しい。これが幻影? 先の指揮官に問おうと想うも、側らには見えぬ。果たして、己が運ばれたのか、あやつが運ばれたのか、定かならぬが。息が続かぬ。体がもみくちゃにされる。曹操は何とか水面に出る。肺に空気を取り込もうとして、水を呑んでしまい、苦しみは去らぬ。そのまま、否も応もなく水に流される。やがて、外に出された。
呼吸が落ち着くまでしばらくかかる。それからようやく頭が回り出す。全身、びしょ濡れである。これが幻影のはずがない。とすれば。やられた。
「伝令」
そう呼ぶもなかなか集まらぬ。そこで仕方なく手近におる動けそうな者を見つけて、他の城塞に攻め入っておる部隊に伝令を命じる。
「これは罠だ。こたびは幻影ではないぞと」
ただ、どうやら敵の動きが敏捷であったらしい。あやつは空を飛べるという報告があったな。加えて、城塞の構造から、伝令が先頭へ至るのに自兵の間を抜けねばならず、どうしても時間がかかる。それに、我らのところに来る前にあやつが現れた城塞は、そもそも手遅れである。
間に合ったのは郭嘉ら三隊のみ。
夏侯惇はヒゲも髪も焦がして、何とか生きている顔を見せてくれたが、残りの三隊の指揮官たる程昱と李典と于禁は亡くなった。




