国境街デストロン
無事に若さを取り戻した俺たち、スクトとネイルの二人だが、この馬車で移動する限り妙な噂でも立てば子や孫に、どんな迷惑がかかるか分からない。
御者台に出る方は被り物をして、人相風体年齢を知られないように国境を目指す。
共同の野営地もなるべく避ける。
然程目立つ馬車でもないが用心に越した事はない。
こうなると戦えるトカゲ馬車はありがたい。
そうしてまたひと月、海沿いの街道を辿って隣国テオドラ帝国国境がやっと見えて来た。
ここまで来る間の路銀は長男スニクが用意してくれたものだ。
切り詰めて最低限の生鮮野菜、穀物しか買い込んでいないのでまだ余裕はある。
だがどこに落ち着くことになるのか、手持ちの金ではあまり遠くまでは行けそうもない。
どこかでひと稼ぎが必要だろう。
似顔絵商売は当分止めておこうと二人で話し合っている。
人伝に話が広まり易いのだ。
これまではそのおかげで、遠くからのお客が来て暮らし向きは悪くなかった。
だがこれからはそれでは少々困るのだ。
どこかへ落ち着いたなら、ネイルが一人で再開しても良いか。
俺の方は別の商売でも始めようか、などと話し合いながらここまで来た。
テオドラ帝国国境門。
槍を持つ衛兵数人と入国処理を行う文官が2人、今は空いている時間なのか、手持ち無沙汰に椅子に腰掛けて俺たちの通行を待っていた。
若い旅の夫婦ものだと言って、身分証などは持っていないと文官相手に話をする。
村を食い詰めて、他所へ渡って一旗上げるのだと。
「こちらはこちらの事情があるのだろうが、ネストックの村でも身分証くらいはきちんと配布を行なってもらいたいものだ。
お前たちのような空手で参る者が月に数件ある。
帝国ではそのような者はひと月、この国境の街に留め置いて、暮らしぶりを観察することになっている。
それで良ければ通るがいい」
身分証の件は、そう言う村もあると聞いていたからあまり心配してなかった。
「それは結構ですが、路銀が心許ないんです。何か働き口はありますか?」
「そうであろうな。
食い詰め者なら大して手持ちもあろうはずがない。
街に入れば口入れ屋もあることだ。
訪ねるがいい。
仮の滞在票を作るからこちらへ参れ」
名前と出身の村、年齢など簡単な受け答えだけで滞在票というものを発行してくれた。
「ひと月の間は街を出ることはできんからな。
問題を起こせば、その時点で元の国へ追い返すことになる。
大人しく暮らす事だ」
国境の街、デストロン。
テオドラ帝国と言えば城塞都市と聞いてはいたが、ここも高い岩の城壁に囲まれた広大な街だ。
門で見た城壁は、国境だからというだけではなかった。
このテオドラ帝国では、街と言えば高い城壁に囲まれているものだと教えられた。
門はこの南門が国境門、他に北と東に門があって他の街へ続く街道があるそうだ。
まず向かうのは口入れ屋。
国境門から然程離れていない場所に一軒口入れ屋があるのは、そういう事なんだろう。
街並みは異国風の木造の家屋、商家が並ぶ、いや、もうここはネストックではないのだからそれも当然か。
その口入れ屋は裏路地へ抜ける3台分の駐車場を、右側に抱えるように建つ3階建ての建物だ。
駐車場を仕切るように立つ太い柱が、上に被さる2階分の上屋を支えている。
テオドンの飾り文字で書かれた看板は、見慣れたものではないが読めないことはない。
俺たちはトカゲ馬車を降りて、手綱を柱の腕木に絡めると左手の扉を潜る。
中はそう広くもない受付のあるロビー。
右に広い階段があって上へと続いている。
受付の若い女性が入って来た俺たちに問う。
「いらっしゃいませ。お仕事をお探しですか?」
「そうです。今日この街へ着きました。
ネストックから来たんで、路銀も心許ないんです。
いい仕事があれば」
「はい。どのようなご経験がございますか?
何が出来そうかでも結構です」
「ええと、商売の手伝いをやってましたので読み書きと計算ができます。
テオドンの字は少し読めますが書く方は自信ありません」
「そうですか。
テオドンの文字の練習が必要ですね。
テオドンはヒラ文字が38文字、形象文字の基本のものが565文字あります。使用頻度の少ない他の文字は2千文字以上ありますが、そこまで必要になることはそうないでしょう。
こちらがその手引き冊子になります。
1冊差し上げますので、これで練習して覚えて下さい。
さて、お仕事ですが、慣れるまで食堂、酒場の給仕の仕事は如何ですか?
給金は少なめですが、食事が2食付くところが多いですよ?」
店は数軒の紹介があった。
ここを出たらまたしばらく旅をして落ち着き先を探すと言うと、トカゲ馬車の預かり所も教えてくれた。
預かり所では、また旅をするつもりだと言うと、
「宿はどうするつもりかね?
一月の規定の滞在なら、狭くとも馬車で寝起きもできないことじゃない。
トカゲは短期の契約で貸し出してしまえば餌代が掛らん。それどころかいくらか稼いでくれるってものさ。
事故がないとは言わんが、その時に無事なら連れて行けば良い」
トカゲは一月契約の貸し出しで馬車の駐車場代金を賄い、いくらか余剰が出る。
酒場の給仕で二人稼げば食費は2食分浮いて、そこそこの蓄えが出来る。
それだけあればもう一月は旅ができそうと予算を立てて、契約をお願いする事にした。
「口入れ屋さんの紹介できたんですが、使ってもらえますか?
条件なんかは聞いて来ました」
ニキータ酒場は仕込みの真っ最中らしい。
「ああ、いいけど期間の決まってる人かい?
あたしはニキータって言うんだ。
亭主はフンドス、厨房で調理をやってる」
「そうです。仮の滞在票と言うのをもらってます」
俺たちはそれぞれ滞在票を出して見せる。
「本当はねえ、長く勤めてもらえると助かるんだ。
まあ気に入ったら続けてやっておくれよ。
ところで夫婦ものかい?」
俺たちが頷くと女将は続けて言う。
「うちは賄いが2食付いて一人1日銀貨3枚って勘定だよ。払いは5日毎。
時間は10と半から22まで。
14から16の間に交代で1ハワの休憩を取ってもらう。
食事もこの時だよ。
2食目は22までの手隙の時間だ。過ぎちまうことは滅多にないねえ。
どうだい、口入れ屋で聞いた通りだったかい?」
早速明日から店に立つ事になった。
服装は清潔な物、それにお仕着せの大きなエプロンと帽子を合わせるだけ。
履き物はこれも店の名の入ったサンダル履きだ。
店の案内もやってくれた。
厨房に井戸、廁、着替えと休憩の部屋、そして店内の飲食スペース。
テーブル席は大小併せて10テーブル。
他の厨房にガラス越しのカウンターを挟んだ一人席が15人分。
全部で60人少々の客に対応と言った店構えだ。
メニューも見せてもらったがやはりここは異国。
拙いテオドンで読み解けないものも多い。
ザッと聞いてみたが、材料からして知らないものがあるようだった。
ともかくも明日からここで働く事になるんだと、気持ちを新たにした。
・ ・ ・
こうして俺たちは一月の観察期間をデストロンで過ごし、いくばくかの金を握ってテオドラ帝国領を動けるようになった。
だがどこの国でもそうだと思うが、余所者に向けられる目とは冷たいものだ。
通りすがりの旅人ならまだしも、落ち着き先を探していると言った途端に、相手の表情が変わる。
そうやって幾つもの城塞都市を巡り、路銀稼ぎの酒場で噂を聞いた。
アクトベル王国出身の冒険者パーティが村を開き、人を集めていると。
その村は今いる場所から20日ほどの距離らしい。
俺たちはその村に向かってみることにした。




