スクトとネイル
数年に亘る旅暮らしの末、とある街に住み着き1年経たぬ頃。
これまで通りの似顔絵商売だが、影を描いた似顔絵が呪いの絵だと噂されてしまう。
確かにあれはおどろおどろしいものがあるが、俺たちにはああ見えていて、あれが巻き戻しの効果につながっている。
お守りの絵だと説明したが今度は誘拐されそうになった。
田舎の村で観光名所の様に細々と描くのと違い、街は怖しい。
名が知れると言うのも考えものだ。
大きな町は懲りて小村に引っ込むと似顔からは離れて生計を立てる。
子供も3人授かった。
月日の経つのは早いものだ。
子供達が成長し独立を果たす。
子供は俺が避けたその街へ出た。
俺たちの似顔絵の能力は子供たちには引き継がれなかった。
孫ができ曾孫が生まれ、俺は寝台から起きられなくなった。
もうこれで終いか……
「スクト、スレイが亡くなった前の日のこと覚えてる?」
俺はネイルの顔を見る。
今頃になって何だ?
随分と昔のことを?
さてどうだったか、よくあの小屋の周りで俺たち悪ガキ軍団が集まっては遊んだっけ。
旅の人の似顔絵を描くのがスレイ爺さんの仕事だった。
不思議な絵で一時は俺たちもそれで暮らしを立てて……
あれもやめて久しいが……
ああ、ネイルはまだ旅人相手にたまに似顔を描いているんだったか。
すっかり朧になった記憶を辿る、ああそうだ。
あの前の晩。
スレイが俺たちふたりの手を取ったんだった。
何事か呟いて、俺にはあれは聞き取れなかったが、何か……
何だったか……
「スレイがあたしらの手を取って、こう言ったんですよ、覚えてます?
『おまえたちにワシの似顔絵を引き継ぐ』と。
呪文のように呟いて、あたしの体の中に熱いものが流れ込んだ。
その後スレイは、ひどく機嫌良さそうに笑ったんです」
「そうか。
何か熱いもの……それは覚えている……」
「あれは死ぬ間際じゃないとできないんですかねえ?
あたしは上の子にやってみた事があるんです。
でもできなかった……」
「そうかもしれんな」
「でもあたしはあれからまた随分経って、考えたんですよ。
あたし達が最初に描いたあの絵。
ふたりで向かい合って、時間の経つのも忘れて夢中で描いたじゃありませんか、あれが大事に仕舞ってあります」
「そうか……
おまえはものを大事にするからな」
「あれをね、スクト。
使ってみようかと思うんですよ。
スレイには自分の絵は描けなかった。
あたしらだって鏡で見たって、あの雲っぽい何かは自分じゃ見えないんです。
だからきっとそう。
でもあたし達は、もしかしたらもう一度やり直せるかもしれない……」
回復か…
あの厄祓いの儀式をやると、次の日にはすっかり描かれた日に戻るんだ。
体を悪くして訪ねて来た昔の客が、あの儀式の翌日宿から嬉しそうな顔でやって来る。
それで随分な額の謝礼を貰ったものだ。
自分で厄祓いをやった奴からは、お礼に手紙なんてのも良くもらったっけ。
「あれから随分いろんな人を巻き戻しさせてきたなあ。
見てる前で回復したやつも随分……」
「そうですね、でも歳まですっかり巻き戻しするかなんて、見たことも聞いたこともないですからねえ。
慎重にやらないと騒ぎになっちゃうかも」
「動けるようになるだけじゃなくてか?
今ここで……17だったか?
あの歳に戻ったりしたら、そりゃ酷い騒ぎになるだろうな。
俺が起き上がって動くだけでもそうだと思う……」
「ですからね、ふたりで最後の馬車旅に出るってのはどうでしょう?
誰もいない場所でさっさと巻き戻しかけて、駄目ならあたしがあなたをどこかの墓地に埋葬しますよ?」
「それは構わんが、面倒じゃないのか?」
「別に良いですよ。
あなたひどく痩せちゃってるし、女のあたしでも今なら移動させるくらいはできますし」
言われて俺は自分の手首を見る。
痩せ細ってしまって骨と皮の有り様だ。
「そうだな、じゃあ、スニクに頼んで箱馬車を用意してもらおうか」
「ええ。
村を発った時と同じようなトカゲの箱馬車が良いですねえ」
・ ・ ・
5日ほどでスニクは馬車を手配してくれた。
50前と言うのに街の顔役にまでなった自慢の長男だ。
古いがしっかりした作りの出物を手を入れくれて、なかなか立派な馬車ですよと見て来たネイルが嬉しそうに言う。
寝台を作り付けにしてもらって、最低限の生活道具を積む。
俺はスニクに運び上げて貰った。
腹の出てきた見かけによらず、がっしりした体躯で背負われる俺にも安心感がある。
「親父良いなあ。
若い頃を思い出しながらお袋とあちこち行くんだって?
ほら寝台から外が見えるように、窓に合わせて作り直させたんだ。
トカゲだって器用に動けるように訓練されたやつなんだぜ?」
景色が見やすいように、馬車の小回りを利かせようと言うところか。
着込んだ簡易な甲冑を見る限り、あのトカゲは引き綱を解けば戦闘も熟す。
一体どこの商家から買い付けて来たのやら。
稀に領軍の払い下げがあるとは言え、ここまでのウマをそう簡単に手放すはずがない。
さも羨ましいとの態度を崩さず、スニクは街の門まで見送りに出てくれた。
おそらくはこれが今生の別れと覚悟を決めているんだろう。
俺たちの我儘を精一杯に聴いてくれる。
今更ながら切ない思いで別れた。
二人とも無言のまま暫く馬車に揺られていたが、
「じゃあまず行ったことのない北を目指そうかねえ。
知り合いのいそうな場所で試すわけにもいかないし」
そう言ってネイルは笑う。
人一人の上下の面倒を見ながら御者までやるのは本当にとんでもない事だが、従者は必要ないとネイルが頑として突っぱねていた。
ネイルは旅暮らしに戸惑う様子も見せず、野営はトカゲを放して自由にさせる。
トカゲは馬車に仕込まれた魔道具から一定距離しか離れられず、寄って来たものを餌にしている。
他のウマや人には手を出さないように調教されているし、魔道具にも対策はある。
そうして3日に一度も餌を獲れれば、日に数度水をやるだけでいい。
トカゲはそう言う点で手間のかからない良いウマだが、足が他のイヌやトリと比べて少し遅いし、ムシよりは速いが力では劣る。
スニクにトカゲがいいと言ったのはそんな理由があった。
のんびりと見える馬車旅だが、ひと月も経てばかなりの距離を移動する。
この辺りからも俺たちの似顔絵を求めて来た者も居ないではない。
だがここまで離れればこの老いさらばえた旅の夫婦が、少しは知られた似顔絵描きだと気付く者はいないだろう。
まだ少し時間が早いせいで人気のない野営地の隅に停める。
トカゲには餌をたっぷり与える。
こうしておけば人懐こくなったトカゲの、小さいが鋭い歯に甘噛みされるのを嫌って他人は寄り付かない。
狭い箱馬車の後ろ壁、扉付きの棚の一番上の隠しにあの時の似顔絵が納めてある。
ネイルの肩を借り何とか両膝突いて、額をつける。
これまた両の腕を持ち上げて貰って、パンと手のひらを合わせる。
これで俺たちの儀式は終いだ。
またネイルの手を借りて寝台に横になる。
いつものようにネイルが夜着に着替えて隣へ潜り込んだ。
だが今夜は俺の頭を抱えるように抱いて、しばらく薄くなった髪を梳ている。
その懐かしいような感触に、俺は眠りに落ちてしまった。
・ ・ ・
窓に下がる厚布の隙間から朝日が差し込む。
身じろぎすると柔らかいものが肘に当たって、そちらを向いて見ると女の形をしたシーツが呼吸をしている。
僅かに覗く茶の短髪はどこか見覚えがある。
そちらへ手を伸ばし、誰なのか見てやろうとした手の甲が妙に肌艶が良い。
はて?
骨と皺の多い手が見えるとばかり思っていたのに、この膨らみのある手は一体何だろうか?
戸惑い、もう一方の手も顔の前に翳す。
裏返し、擦り合わせ、指紋がはっきりあってカサつきもシワも、皮膚をミミズのように這う血管も目立たない、これは若い人間の手だと思い至る。
腕の曲げ伸ばしに古傷が引き攣る、長年馴染みの軽い痛みも消えている。
腕全体を持ち上げると二の腕は細いが皮膚に張りがある。
痩せた体型である点は変わっていないのか。
「おはよう」
娘の艶のある声が俺に挨拶をする。
シーツで鼻から下、片目を隠した若い顔が俺をじっと見ている。
「ネイルか?」
「スクトよね?」
俺はシーツから出た茶の髪を撫でる。
これはよく知ったネイルの髪だと実感しながら。
ネイルの手が髪を撫でる俺の腕に触れる。
その指先が肩まで辿り着き、思いもかけない力で抱きついて来た。
・ ・ ・
やっとお互いが若返ったのだと納得したのは昼も少し回った頃。
飢餓感に近い空腹で、馬車から転がり出るようにして降りると昼食の準備を始める。
火を起こし湯を沸かす。
二人して干し肉を炙って生焼けも構わず、一口二口と齧り取り咀嚼する。
全く我慢など利かないのだ。
それをまだ熱いとは言えない白湯で流し込む。
二切れの干し肉が腹に収まってやっと落ち着いて来た。
椅子とテーブルを引っ張り出して、本格的に準備が始まる。
既に沸かした湯に香草と干し肉、干し茸を刻んで入れ、穀物を軽く磨りおろして加える。
ザッと洗った干し肉もシタバに包んで蒸し焼きにする。
こうすると塩が多少抜け、葉の内側に水分が回って肉が柔らかくなる。
俺たちの野営では定番の野外料理だ。
器具がないならないで色々工夫したものさ。




