村の似顔絵描き
ここは小国ネストックの片田舎、エスタ村。
村にはスレイと言う、60くらいに見える似顔絵描きがいた。
スレイは村人や通る旅人と話をしながら、一風変わった描き方の似顔絵を描いて、幾許かの金を受け取って暮らしを立てていた。
旅の者もこの名物男の事は伝え聞いていて、まるで観光名所のように喜び、わざわざここまで巡礼のようにやってくる者までいたそうな。
描かれた似顔絵は顔や体に蔓のような薄い線を纏っていたり、妙なトゲのような物が薄く付いていたりしたが、よく特徴を捉えていて知り合いなどが見れば一目で誰と解る。
村では無病息災のお守りだなどと囁かれていた。
スレイの家の奥の部屋には、何年描き溜めたのか大量の似顔絵が軽く巻いた状態で、何段もの棚に積み上げられて埃をかぶっている。
スレイは一人者で身寄りはない。
ある時スレイは似顔絵を処分すると言い出した。
「ワシもこの頃身体が利かなくなってきてな。
溜め込んで似顔絵は村の者や旅の人のものじゃ。
あれらを皆その人らに返したい」
聞けばよく特徴を捕まえられた時に、その人が立ち去ってからまた1枚、描いておいたのだと言う。
土産用とは違い蔓やらトゲやらの他に、背後に何か黒雲のように薄く浮いているものが描かれていて、薄気味悪い物だったので本人には渡せなかったのだと言う。
「ワシにはそう見えるんだからしょうがあるまいよ。
それにな、あれで病気や怪我が良くなったって奴もいてな。
嘘か誠か確かめたことはないんじゃがの!」
この村で育った俺も、近所の子供らと小屋の前で似顔を描くスレイを見ながら、周りで遊んで育った。
余程天気が荒れない限りはいつもそこにいて、何かと話し相手になってくれるスレイの小屋は、俺たちの屯する場所でもあったのだ。
似顔絵を、本人に返した方がいいんじゃと言い出したのも俺だった。
もう体も大きくなった割に、決まった仕事に就いていない元悪ガキ数人が集まって、似顔絵本人探しが始まった。
「この絵、キスクだよね?
スレイが処分するって言い出したんだ。
お守りがわりに貰っておくれよ」
「何だよスクト、確かに俺の昔の似顔らしいが、随分と気味の悪い絵じゃないか。
こんなもの要らないよ」
「そう言うなよ、無病息災に効き目があるなんて言う奴もいるんだから、どこか棚の上にでもおいておけよ、高いとこが良いって言うし!」
そう食い下がる俺の名はスクトって言うんだ。
キスクは40前のオッサンで元狩人だ。
山でキバイノシシに追われた時に枯れ木に足を取られ、小さな崖を転がり落ちたとこがある。
以来少し足を引き摺るように歩くのが癖になっている。
足首がたまに痛むんだそうで、庇うように歩くのが習い性になったんだとか。
俺はこのオッサンに弓や剣を習った事がある。
今では俺の方が腕は立つんだぞ?
勝手知ったるキスクの家の居間。
暖炉の脇の飾り棚の一番上に無理を言って似顔絵を押し込む。
村では邪気払いだの願い事だので良くやる仕草で、両膝突いて両の腕を高く上げてパンと手のひらを合わせる。
ガリオンという神様に祈る仕草だと伝わるが、細かい話はもう誰も知る者はない。
そのまま肘を床に付くまで屈んでおまじないはお終い。
これを俺がやり出すとキスクも慌てて続く。
結構信心深いオッサンなんだ。
そんな調子で一軒一軒村を回って似顔絵を配って行った、翌日の事。
「おいスクト!
今朝起きたらな、足が痛くねえんだ。
まあそんな日もないこたねえんだが、山へ入ると獲物を見るまでは決まって痛むこの足が、ずっと痛くならねえ」
その先は言わないが、俺もあの絵の御利益が出たかなと思ったよ。
「あれ、キスク?
頬の傷、どうした?」
「傷?そんなものあったか?
ああ、昔この辺りをクロイバラのトゲで引っ掻いた事があったけど、傷痕なんて残ってたのか?」
クロイバラはトゲに軽い毒を持っていて、傷痕は残り易いんだ。
「ああ。そんなに目立つ傷じゃないし、あんたに気を遣って誰も言わなかったんだろうけど、光の加減で見える薄い傷があったんだ。
そこのとこのヒゲもちょっと薄かったんだが……」
そう言って俺はキスクの顔を両手で掴まえ頬を撫で回す。
古い付き合いだからな、お互い遠慮なんかないんだ。
そんな話が10日も経つと村では公然の秘密になっていた。
似顔絵を祀って邪気払いをした数人が、体調を回復させたんだ、そこまでは良い。
この一度切りかもしれない、これは本当に回復させたい傷や病に備えて、邪気払いはせず祀って置こうなどと、誰が言い出したのか囁かれたんだ。
そんな静かな騒ぎがあって5年の月日が流れ。
スレイはもう寝台に寝たきり、スレイの小屋にはネイルという俺の悪ガキ仲間、俺の一つ下の娘が世話に通っている。
おれもキスクの手伝いで、森で獲ったイタチ肉なんかを差し入れに寄るんだが。
スレイが俺とネイルの手を握って何か呟くんだ。
体の芯に何か熱い物が流れる感覚があって、その時は何だとも思わなかったんだが。
翌日になると見る人見る人、身体の周りに妙な影がある。
背後にも何か形の歪な雲を纏っていて…。
ああ!
これってスレイの描く似顔絵とおんなじ!
俺はスレイの小屋へ走る。
寝台の脇にはスレイに覆い被さるように膝をつき、肩を震わせるネイルが居た。
薄暗い小屋の中でもネイルに薄く纏い付く影がぼんやり見える。
そしてスレイの周りには何も見えない。
いや、それどころか動いてすら居ない?
「スクト…スレイは亡くなったの……」
僅かに顔を上げ俺を目の端に捉えてネイルが言う。
その目が見開かれ俺を片目で凝視する。
ネイルに纏い付く白い影が形を変えた。
世界の時間が止まった。
俺はもうネイルから目を離せない。
ネイルがゆっくりと身体の向きを変え、膝立ちのまま俺を見上げる。
どのくらいそうしていただろう。
鎧戸の隙間から差し込む朝日がネイルを照らし、ネイルが眩しそうに手で光を遮る。
そこで時がまた刻み始めた。
まずやったのは似顔絵道具を互いに持ち出し、向かい合う事。
互いに夢中になって互いの絵を描く。
スレイに手解きは受けていたが、まともな絵など描けた試しがない、それはネイルも同じだった。
だが絵筆は留まらない。
身体の輪郭、表情、纏う雲、蔓にトゲ。
目に見えるままに青黒いインクの単色、濃淡だけでネイルが紙の上に浮かび上がる。
もっと色が欲しい!
そんな考えが過ぎるが、今はとにかく目が離せない。
このまま描かなくちゃいけない。
忙しく動くネイルの手が止まり目が俺に固定され。
俺の手も止まって視界はネイルだけになり、世界が再び凍り付く。
コンコンとノックの音で俺たちは我に返る。
ネイルが画材を纏め始め、俺もそれに倣う。
雑然としたテーブルの上にそれらを置いて、扉を開けるとそこにはキスクが立っていた。
「ここにいたのか?
狩りに行くぞ?」
「スレイが亡くなった」
俺がそう言うなり、俺を押し除けるように部屋へ踏み込んだキスクが寝台の脇に立つ。
スレイの顔をじっと見て。
やがて右手のひらを胸に当て、顎を胸元に落とした。
死者への礼だ。
その夜は村を上げての葬式だった。
寝台一つ分の木材が持ち寄られそこにスレイを横たえる。
その上にも薪が積み上げられて村長が火を掛ける。
油が要所に掛けられていた木材は、瞬く間にその炎で暮れかける夕空を焦がす。
炎に揺れる白黒入り混じった煙が瞬く星空に代わる頃。
周囲には飲みつぶれた者、その世話を焼く者、涙に暮れる者だけはいない、そんな葬式だった。
それからひと月。
揺れる板張りの箱馬車の、御者台の隣にはネイルが乗っている。
旅の似顔絵描き。
飾る絵と厄祓いの絵を描く夫婦もの。
厄祓いの作法を描いた絵と、3枚がセットで小金貨2枚は高いのか安いのか。
俺たちはひとつ売れば宿なら4日、飯代なら半月分の金だ。
それが、病や怪我を1度だけ治せるかもとなれば高くはない。
俺たちはどちらの絵でも描けるが、飾る方の絵はネイルが描いた方が線が柔らかい。
俺が描くとほぼ見たまんまで、荒々しい感じなので厄除け専属みたいになってしまった。
作法のことを描くのはふたりで暇な時に描き溜める。
そうやって流れていくうちに、どこか良い街を見つけてそこに落ち着こう。




