スクト
それは一瞬の出来事だった。
曳き網漁で流した網を船縁へ引き寄せ停船したところ。
クロスロードの僚船2艘も同じ群れを曳き網で浚って、岸に近い場所で船倉への収容を始めている。
こちらもタモ網でひと掬いしようとヌストがタモの柄を握った。
前触れのようなものは一切無かった。
ザバアと言う大きな波が打ち寄せるような音が突然聞こえ、音の方を振り向くと真っ黒なザイダルシャークがスラットに突っ込むところだった。
この船は舷側こそ低いけれど、中の解体甲板の上屋部分が狭い通路を残して、壁のように立ち上がっているんだ。
スラットは身を捻ってザイダルシャークを躱そうとしたと言う。
けれど斜めの角度で飛び込んで来た大口が、壁に当たってそのまま左の腕を鋭い歯列で切り裂いた。
それで肘から先を持っていかれてしまったんだ。
俺はほんの近く、隣にいたんだよ。
やられたのは俺の腕だったかもしれない。
ネイルに顔向けできない体になっていたかも知れないんだ。
船が体当たりで大きく揺れる中、操舵室のナンバスが、ザイダルシャークが海に落ちると直ぐに水中銛を撃った。
音はしないがズンと軽い衝撃が船体に走る。
あれが当たれば水柱が上がって、パンパンに膨れたザイダルシャークが浮かぶはずだ。
船への攻撃が二つ、体当たりなのか噛みついたのかドスンと衝撃が走る。
それに合わせてナンバスが水中銛を2発撃っている。
だけどこっちはまずスラットの血止めだ。
血がビュッビュッと脈打って噴き出ている。
それだけシャークの歯が鋭いんだ。
急いでポーションを喰い千切られた腕の先に掛ける。
腕の先がささくれて折れた切り株のようだ。
噴き出た血がそのままポーションで固まって、数本の枝でも生えたように見えるが、とにかく血は止まった。
俺は帝国のポーションが凄いものだと感心した。
駆け付けたドリックが、
「スクト、念の為にこれを飲ませてくれ」
と、腰の小袋からポーション瓶を出してよこし、俺がそれを飲ませた。
それでスラットはいくらか持ち直したようだ。
小国ネストックで出回っているポーションでは、こうはいかない。
古い知り合いが何人もそれで命を落としている。
ああ、思い出してしまった。
アンバスは俺の目の前で血止めが間に合わず、譫言のように家族へ言伝を頼んで逝ったんだ。
あの時にこれほどのポーションがあったら、死なずに済んだかもしれない。
生きてさえいれば、どうにかできたかも知れないものを。
俺が肩を貸して船室へ連れて行く。
揺れる船内だから大したことはできないが、毛布を丸めてなるべく楽な姿勢にしてやった。
そのあとは曳き網もそうだが、ザイダルシャーク3頭の始末が先だ。
あいつらは血を流しているから、早く解体甲板へあげてしまわないと、それ目当てのものを呼ぶ可能性があるのだ。
魚網に掛かったままの魚は窮屈だろうが、後でも構わない。
俺はこの時、アックスがスラットの怪我をメグの姐さんに知らせているなんて知らなかった。
そんな手段があるなんてことも。
今はとにかく漁の方だ。
それでなくてもスラットが抜け、予定外のザイダルシャークだ。
こちらがやっと曳き網にかかる頃、クロスロードの2艘の漁師が網の収納を終えて、俺たちを手伝いに上がって来た。
それで何とか遅い昼飯にありつけたんだ。
その昼飯休憩で、スラットの様子を見に行った。
短剣使いのスラットは両手に得物を持って、どちらからでも急所を狙う他に投擲も熟す。
体捌きが軽いので、小物相手の猟が得意と聞いている。
もちろん弓も使う。
そんなスラットが利き手ではないとは言え片腕を失った。
俺は帝国に入る時、ネストックで踏んだ轍は踏まないと誓ったんだ、だが。
幸いと言うか、カリノの5人はもう描いてある。
儀式さえ行えば……
やるなら早い方がいい。
怪我を他に知られる前なら。カリノの5人さえ口止めすれば。
俺はドリックを捕まえて、治療したいと言った。
すっかり元に戻るかも知れないと。
実際に戻せなかった者もいるのだ、安請け合いは出来ない。
大っぴらにできないとも話した。
これが原因になってネストックを出る羽目になったのだ、他の誰にも知られる訳にはいかない。
ドリックはできるならやってくれと言った。
古い付き合いで、スラットが居ないのは困るんだと。
他への説明やらは任せておけとも言ってくれた。
俺は自らの禁を破って船室で儀式を行った。
手順さえ守ればそう難しいことではない。
効果は直ぐには表れない。
早くても数時間。
ドリックはその間に仲間への説明に回った。
今日は漁を切り上げて帰ることになるだろうが、上手く行けば帰り着いた後、夜には。スラットの腕は戻っている……
「漁をあがるのが早いって言われやせんか?」
「そんなこと気にするお人らじゃありやせんぜ」
「しかし万一ってこともある、何か理由は用意したほうがいいぜ」
それで、俺はちょっと前から気になっていた海藻採取の話をしてみた。
「ネストックじゃ珍しい海藻が、半島沿いにあるようなんだ。
あれは紫の良い色が出るやつだと思うんだが」
「そんなものどうしようってんだ?」
ドリックが聞いて来る。
「乾燥させて砕いてから煮詰めるんだ。
染料が取れれば良い値段がつくはずだ」
「ふうん。
上手くいかなくても、やってみたって話はアリだな。
金になるかも知れねえから試したんだと」
「それで、どの辺りだ?」
ナンバスが聞く。今日の船頭は乗り気になったようだ。
「半島の東側にたくさんあるみたいなんだ」
港に戻ってスラットを宿舎に寝かせ、それから漁船を1隻出してやってみようかと話はついた。
俺は商売柄、画材には詳しい方だと思う。
だがあの海藻の紫は本当に綺麗な色が出る。
一度だけ採取の現場を見に行ったことがあって、煮出すやり方もその時に見た。
なに出来上がりがどんなものかは分かってるんだ、何とかなるさ。
ドリックじゃないが、漁を早くあがった理由になればそれで良い。
・ ・ ・
ここは宝の磯か?
あの時に見たのと同じ海藻だ!
誰も採っていないからか、肉厚でしっかりした海藻だ。
これを煮出した後に、ドロっとなるまで煮詰めるのだ。
かなり大量に採らないと、商人に売れるだけの量にはならない。
せめて小壺ひとつにはしなければ。
集まったのはスラットを除く17人。
船に4人、あとは海の中で海藻を集める。
波があるので岩場には近づけない。
ところどころ鋭い切先が見え隠れしている。
ロープで数珠繋ぎに並んで、採ったものから手渡しで船へあげる。
水中は3人1組だ。
足場のいいところは竿で上から刮げてみたりもした。
その甲斐あってか、船の前甲板には山盛りの海藻だ。
そのため乗り切れず、5人が半島を岸沿いに走る道路を歩いて帰った。
この道路も村で整備したと聞いている。
全く帝国というのはどこまで豊かなのだろうか?
長く住んだネストックと比べることばかりで溜息が出た。
・ ・ ・
宿舎へ帰ってみると、スラットはまだ寝ていて、あれやこれや話すうちに、上から降りて来たアックスが素っ頓狂な声を上げた。
スラットの様子を見に行って、腕が戻っていることに気づいたんだ。
「スラットの腕は肘から先をシャークに食われてたろ!」
「ああそうだ。だがこのスクトが戻したんだ、何とかできるかもしれんと俺が言っただろう?」
ドリックが言うと、
「あれはこういう話だったのか?
てっきり傷の話だと……
ああっ!
俺、メグの姐さんに知らせちまったぞ!」
さあ、ここでどうするんだとひと騒ぎあった。
「仕方ねえ!
俺が勘違いで連絡したってことにする!
話を合わせろよ」
「済まねえ、恩にきる」
「ドリックの兄貴が珍しく萎らしいな!」
ナンバスがまぜっ返して話はまとまった。




