紫の顔料
狐に摘まれた、と言うのはこう言う事だろうか。
メグが受けた連絡は普段から真面目なアックスからで、スラットの片腕が船上へ跳ねたザイダルシャークに喰われたと言う物だった。
だが、通話の向こうは慌てた様子が無かった。
そして帰着の連絡があってメグとクレアが港まで見に行った。
そこには誰も居らずスラットが一人宿舎でボーッとしてたと言う。
無くしたと聞いていた腕は両方ちゃんとあって、声を掛けるとシャンとなって受け答えもできていたと言うんだ。
それでメグたちは安心して帰って来た。
それが本当なら無事で良かったって話だが。
こんな事を考えて一晩悶々とした俺は、朝から港へ向かっている。
タクシーに乗っているのは俺、メグ、クレアにメアリの4人。
ステス以下3人はまだベッドで夢の中だ。
テオドンの杖に親指ヒラヒラの挨拶をして下り道、見えて来た港には小さな漁船が3隻、大きなモリウチセンとイブちゃんボート。
うちの村自慢の船共が並んで係留されていた。
「今朝はまあだ漁に出とらんようやな」
日の出や日の入り前後は「まずめ」と言って、昔の知り合いの漁師連中は目の色を変えて漁に出たもんだが、ここではそうでもないらしい。
確か、餌の食いがいいって話だったから、曳き網漁には関係ないのか?
港の乾燥小屋周りに20人程の男たちが何やら作業をしている。
緑の濃い、長い縮れ葉の束を広げ洗っている。アレは海藻か?
俺たちの乗るタクシーに気づくと手を止めて、こちらへ向かって一斉に頭を下げた。
「なんや一体?」
メグが呟く通り様子がおかしい。
降りてみると総勢18人、スラットの顔もあった。
アックスが進み出て深く頭を下げる。
「あっしの早とちりで迷惑かけやした!
済まん事です!」
後ろの面々は居心地悪そうに首を竦めている。
なんかあったのは間違いないな。
それが誤報ってことか?
「まあ無事だったんなら何も言うことはない。
今やってるのはなんの作業だ?」
「へえ、この海藻からはいい紫の色が出るんだそうで。
スクトが見つけやしてね、どんなもんか色出しまでやって、行商のクライストに見せてみようかと思いやして」
「ほう?
スクトは絵描きだったな。
よくそんなものを見つけられたな」
「湾の出入りで見たような海藻があったんで、ずっと気になってたんです。
昨日の漁の帰りに取ってみたら間違いなかったんで、言ったら午後からみんな手伝ってくれて」
ボソボソと説明するのはスクトだ。
この男がこんな長ゼリフを言うのは初めて聞いたな。
しかしもしクライストが買い付けると言うなら悪い話じゃない。
「あたしら、アックスの話があったから昨日の午後遅くに見に来たんだよ。
スラットは一人で宿舎にいて、ボーッとしてたけど他はみんなで海藻取りをしてたんだね」
ちょっと戸惑ったような間があった。
「へ…へえ。スラットは目眩がするってんで置いて行ったんでさ。
漁船1隻と陸から手分けしやして、めぼしいところをみんなで集めやした。
紫は買うと結構な値がするってスクトが言うもんすから」
アックスが早口で説明した。
一体何を隠してるんだか。
そこでメアリは俺の袖を引いた。
小声で、
「スクトさんって、なんか見えるんです。
魔力の影みたいな?」
メアリはこの頃鑑定魔法をメグに鍛えられていて、増幅の銀魔法石はこの頃腰のポーチに入れっぱなしにしている。
それの効果で、どうやらスクトに何か見てしまったらしい。
「後で聞くよ」
メアリにはそう小声で返しておいた。
洗った海藻は乾燥室でカラカラにしてから、砕いて煮出すと濃い色出るんだと言う。
それを焦がさないように煮詰めてやれば完成らしい。
これだけあっても両手に乗る小壺一つ取れるかだそうで、値段が高いってのも頷ける話だ。
「さよか。
面白ろそうやから手伝ったるで、洗たんはこっちに積みいや」
「お。いいねいいね。
じゃ砕くのはあたしがやっていい?」
これで海藻は洗い終わる端からカラカラになり、大鍋の中に砕かれて溜まっていく。
煮出した後に漉すと言うからやや大きめに砕いたので、入り切らずビニル袋にも分け入れた。
大の男が18人も寄って集って洗いに専念するんだ、ものの20分程で山と積まれた海藻は砕かれてしまった。
「これを煮出せばええんか?
どのくらいの時間掛けるんや?」
「時間……というかなみなみ入れた水が、半分…になったら目の粗い布で、漉すんですが…」
「さよか。
目の粗い布言うんを用意しとき」
大鍋一つの海藻粉が一塊に空中に持ち上がる。
その倍くらいの水球が現れ下から包み込むと、ゆるりと赤黒い渦が巻き一瞬に混ざりあった。
「さあ沸かすでえ。
鍋があらへんよってなあ、焦げる心配は無いんや、ガンガン行ったる。
半分言うたらちょっと時間はかかりそうやな」
大鍋が3つ4つありそうな大きな水球が、円盤状に拡がると湯気を上げ始めた。
中に気泡がたくさん現れて、上と言わず下と言わず表面で小さくプチプチ弾ける。
色の濃いお湯円盤は、もうもうと湧き出す湯気に包まれて、見えなくなってしまった。
「ウチには見えとるよって大丈夫やでえ」
「これなら直ぐに煮詰まっちゃいそうだね!
壺ってのはあるの?」
「いえ、それはこれから用意するんで。
今日は乾燥小屋に入れて終いのつもりでしたんで」
「じゃああたしが用意するよ。
メアリ、小瓶の材料がまだ積んであったよね?」
「はい、見本の分だと言って取り分けたのが少し。
持って来ます」
メアリが荷車の下に作り付けられた引き出しの一つを開け、中から拳大の石を3個。
それを両手に抱えて戻って来る。
一つを右手に持ってクレアが尋ねた。
「大きさはどのくらい?」
スクトが手振りで示す大体の大きさに合わせて、銀の小粒混じりが変形を始める。
上が広がって輪ができる。
クレアが下げていく手のひらに従って、末広がりに輪が円筒へと変わる。
そのまま下がるに連れて丸い底の壺の形が出来上がっていく。
左の手で壺を持ち上げると、半分ほどに小さくなった銀混じりの石が、右手のひらに載って残っていた。
「こんなもんでいい?」
あまりに鮮やかな石の変形。
何度か見ている俺が見ても、緩く練った粘土でも流したかのようなんだ、スクトの腰が引けている。
そして恐る恐ると言った体で手を伸ばす。
触れるとペチャッと潰れてしまうと思っても不思議はない。
手に取ってまた驚いたような表情を見せる。
物が石だからカッチリと硬く手触りは冷たい。
あの変形を見せられると、熱いのかと思ってしまうんだ。
そして薄く加工しているので本当に軽い。
「す……すごい…」
そう小さく言ったっきり下を向く。
「幾つくらい要りそうなの?
今ある石で7つくらいは作れそうだけど?」
湯気を吐く水盤と砕いた海藻の残りを見て、
「……3つくらい…」
「ん。じゃあ後二つだねえ!」
「壺が出来たんか?
ならこっちへ寄越したって。
むっちゃ熱いさかい、漉し布はウチが一緒に押さえるよって、誰も近づいたらあかんで
「お、お願いしやす」
アックスができた小壺を持って行くが、今メグがやっているのは煮出しで、漉した後にさらに煮詰めると言うようなことを、スクトボソボソと言った。
それを聞いて俺がメグに言う。
「メグ、漉して完成じゃないってよ。
漉してからまた煮詰めるらしいぞ」
「あや!そうなんや。
せやったら大鍋に漉したるわ」
メグはそれを大鍋に漉し終わると、残りの煮出しを始める。
スクトのボソボソを纏めると、とろみが付くまでは煮詰めるらしい。
冷えてもっちりした感じになるんだと言うんだが。
煮出した大鍋の液は一杯まであった。
「煮詰める言うんは水が抜けたらええんやろ?
ちょびっとやってみるよって塩梅、見たって」
俺が冷えてもっちりだぞと伝えてやると、
「もっちりやな?」
カップに掬った液が見ている前で量を減らす。
水の加減などメグにとっては、息をするのと変わらないくらいのことなんだろう。
ときどきカップを揺らして見ていたが、
「こんなもんでどないや?」
俺はそれをスクトに渡してやった。
濃縮された液を指先につけ、粘りを見た後そのまま持っていた紙に指をなぞる。
紫と言うには黒の強い大きな丸を一つ。
目を大きく開いて驚いた表情の後、宿舎へスクトは駆け込んで行った。
バタバタと階段を登る音。
程なく絵筆やらの画材を持って戻ると、準備を始める。
普段の口の重さとは全く別の顔がそこにはある。
カップの液を軽く水で溶き、絵筆を白い紙の上へ。
「これでも描ける……
けどもっと硬めが良い……」
紙を覗き込んでいたメグが「さよか」
と言って、スクトが持つカップの液量はさらに減る。
「そのくらい…」
スクトのOKが出る頃にはカップの中身は1/3ほどに減っていた。
大鍋の中の液は一気に量を減らし、クレアの小壺に移される。
3つの小壺に分けてカップに二つ分ほど余る。
クレアがそれに合わせて小振の壺を作ると、
「これはスクトの分かな?」と言った。
嬉しそうなスクトの表情が印象に残る。
これでこの騒動は一段落。
片付けは任せて俺たちは役場へ戻り、
「どこ行ってたの?」
とステス、ミトア、ラトルに責められた。
小壺の顔料は小金貨8枚でクライストが引き取って行った。




