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26/33

ep.26 爛漫







 濃密な死の気配が場を満たしていた。


 ごっそりと生気の抜け落ちた顔が血に沈み、冷たく横たわっている。大量に流れ出た血が、地面を赤く染め上げるように広がっていた。

 閉ざされたノアの瞳は、もう二度と光を映すことはない。命の尽き果てた肉体は、ただただ空虚に満ちていた。

 深い森の闇に溶け込むように、静かに地に還ろうとするかのように、血溜まりの中に落ちている。




 死んだノアの周りを、光が包み込んでいた。


 塔から伸びる無数の手が、つぎつぎと光に触れていく。触れて、光のなかに溶け込んでいく。


 その刹那、ノアの人差し指に嵌められた指輪の石が、碧く瞬きだした。

 血まみれの碧い石が、脈打つような輝きを宿す。


 ぴきり、と繊細な亀裂が石の表面を走った。


 亀裂は枝葉のように線を広げていく。

 ひび割れた裂け目から、碧い光がひそやかに滲み出る。


 光を煮詰めてドロドロに溶かしたようなエメラルドの滴が、涙のように流れ落ち、指を伝って血溜まりに混ざりあう。


 血と碧が、互いを喰らい合うように絡み合っていく。


 煌めきが走る。ひとすじの光。

 光と溶け合った鮮血が、静かにその形を変えていく。


 やがてそれは、眩いばかりの光を纏って現れた。


 見る者の息を奪うほど美しく、それでいて底知れぬ禍々しさを秘めた一振り。


 塔の威厳と神聖さをそのまま映し取ったような、格調高く美しい白銀の剣が、光の中から顕在したのだった。





 静寂を踏み破るように、龍の足音が重く響いていた。

 命の尽きた亡骸にはもはや一片の興味もないのだろう。龍はゆるやかに巨体を翻すと、次なる獲物を探すように視線を巡らせた。

 そしてその場をあとにしようとした──その時だった。


 何かの気配を察知したのか、龍の動きがぴたりと止まった。



 暗闇の中で、白銀の剣が光を宿していた。

 光の粒子が煌めいて、パチパチと弾けている。夜空から星々が零れ落ちてきたかのように、儚く爆ぜ、輝いていた。







「────呈式《ていしき》、黎落《れいらく》の宣………月滅斬煌〈げつめつざんこう〉」






 それは、凄まじい閃光だった。


 月の光よりも気高く、鮮烈で、圧倒的な光が奔る。


 闇夜を斬り裂くように光の刃が解き放たれ、容赦なく龍の体を抉り抜いた。


 轟音が森を揺るがす。一瞬にして、周囲の木々が一気に薙ぎ倒される。闇が押し流され、すべてが光の衝撃に呑まれていた。


 龍は、突如として食らった一撃に反応が遅れていた。


 それもそのはず、死んだはずの少年が、凄まじい殺気を纏って目の前に斬りかかってきたからだ。




 ぱっくりと大きく裂けた龍の傷口から、ぼたぼたと臓物がこぼれ落ちる。


 舞い散る血飛沫越しに見える少年の肉体は、まるで何事もなかったかのように無傷だった。


 激しく血に染まる衣服を纏い、完全に再生を果たした身体で、ノアはたしかにそこに立ち上がっていた。


 目に宿る闘志。一瞬の隙も逃さぬ鋭い眼差し。研ぎ澄まされた殺意。


 そこにあったのは紛れもなく、生血の通う、ひとりの人間だった。




 すかさずノアは次の一手を繰り出そうと、足を踏み込もうとした。


 ──だが意思とは反対に、身体は思うように動かない。


 剣を振り切った姿勢のまま、ゆっくりと身体が地面へ吸い寄せられていく。


 力を放ったと同時に、肉体から、力という力が一瞬にして抜け落ちていたのだった。

 ぐらりと視界が傾き、急速に意識が遠のき始める。限界を超えた反動が一気に身体中に押し寄せてきていた。


 龍も身を両断されんばかりの深手を負い、普通であれば一歩も動けぬほどの致命傷を受けているはずだった。


 だがしかしその瞳には衰えるどころか、さらに凶悪な輝きが宿っていた。

 底知れない生命力を燃え上がらせ、強靭な牙を閃かせながらノアに襲いかかる。そこにあったのは、剥き出しの殺意だった。


 ──まだ死んでない、動け、動け、動け


 身体を動かそうにも、まるで自分の身体でないように言うことを聞かない。指先すら動くこともままならず、そのまま意識が闇のなかに包み込まれていく。剣が、手の中からすり落ちていく。



 鋭い双眸が、目前でノアを捉えていた。



 ノアの首元へ、龍が獰猛な顎を開いて迫る。







 ああ、間に合わな────



















「────呈式《ていしき》、烈華《れっか》の宣……焔咲〈ほむらざき〉!!!!」



 ノアが気を失って地面に倒れる瞬間、消えゆく意識のなかで、青い炎が揺らめいていた。まるで青薔薇が咲き乱れているような、凛とした鮮やかな炎。


 その光景を最後に、ノアの意識はぷつりと途絶えたのだった。






 すべてを燃え尽くすかのように、青い炎が燃え盛っていた。


 ローズは青く燃える剣を手に、龍の顔面めがけ勢い良く斬りかかった。

 肉を裂いて深く食い込んだ刃先が、龍の血に触れる。その瞬間、炎が血肉を喰い尽くすように燃え広がり、青い爆炎となって炸裂した。


 森を揺るがすほどの衝撃が辺りを包み込む。


 激しく血が飛び散り、焼き切れた肉片が四方へ弾け飛んだ。飛び散った熱い鮮血が、ローズの頬を赤く染めていく。


 龍は血を吐き散らし、狂ったように咆哮する。だが龍の攻撃よりも速く、ローズは剣を振り抜いた。青炎が爆ぜ、灼けつくような衝撃が龍に襲いかかる。

 爆炎と灼気が荒れ狂うなか、ただ一心不乱にローズは斬撃を浴びせ続けていた。


 青炎の攻撃をまともに食らった龍は、怒号を放ちながらその巨体を背後へ大きく飛び退かせた。


 顔面は焼き崩れるように半壊し、砕けた顎から大量の血と唾液が垂れている。深々と抉られた傷口からは焼け爛れた肉が覗く。


 片目を完全に潰された龍はローズに激しく咆哮すると、体を大きく翻し、地を揺らしながら一気に駆け出した。


 ローズは力の反動で一瞬にして吹き飛びそうになる意識を、歯を食いしばって必死に繋ぎ止める。

 左足を強く踏み込むと、深い傷口から血が溢れ出てくる。剣を握り締める爛れた手から、血がダラダラと流れてくる。だが構わず、逃げる龍の背だけを見据え、真っ暗な森の奥へと追い続けた。


 それから僅かな力を振り絞り、どれだけ走ったことだろう。

 龍は致命傷を負いながらも、猛烈な勢いで森を駆け抜けていた。龍が踏み荒らした地面には、夥しい血の痕が絶え間なく続いていた。


 そうしてローズは今にも気を失いそうになっていた、そのときだった。


 暗い視界が一気に開ける。


 深い森の気配がふっと途切れ、目の前に果てしない夜空が広がっていた。


 そこは、森の奥深くで断ち切られた、逃げ場のない断崖だった。


 背後に迫るローズの足音に反応し、龍は素早く身をひるがえした。脆い足元が砕け、欠けた砂の層がぼろぼろと崖の底へ落ちていった。

 龍は牙を剥きながら後ずさる。じりじりと、崖際へと押しやられていく。


 ローズは荒い呼吸を押さえつけるように深く息を落とした。

 震える手で剣の柄をきつく握りしめる。


 すでに青い炎は消え去り、大剣は本来の姿を取り戻していた。


 それでも尽きかけた力を振り絞り、剣を握る手に力を込める。すると、刀身にほんのわずかな光が走った。静かで淡い煌めきだった。


 途端に、まるで剣に力をすべて吸い取られるかのように、握り締めた手がガタガタと激しく震え出す。額から大量の汗が吹き出てくる。

 すでに立っているだけで限界の状態だった。

 ローズは、ぎらりと光る龍の目をまっすぐ見据えた。


 ここで外せば、もう二度と機会はない。


 ローズは崖際へ躊躇なく踏み込んだ。

 崖下へ落下するのさえ厭わぬ勢いで、渾身の力をもって龍に斬りかかる。


 龍もまた咆哮を轟かせ、ローズを切り裂こうと鋭い鉤爪で襲いかかってくる。


 龍が鉤爪を振り被った、その瞬間。龍の重心が流れ、後脚がざらりと地を滑った。巨体がわずかに揺らぐ。


 ほんの一瞬、龍の胸部が、完全に無防備になった。ローズはすぐさま重心を深く落とした。全体重を乗せるように強く足を踏み込み、身体の奥底から力を引きずり出す。握り締めた大剣へ、ありったけの力を込めた。


「──ぅああああああッ!!!!」


 露わになった胸部めがけ、ローズは大剣を振り抜いた。


 凄まじい衝撃とともに、龍は支えを失ったように大きくよろめく。

 直後、崖の縁から不気味な軋みが響いた。地に稲妻のような亀裂が走る。踏み止まろうとした龍の足元で、ついに崖は耐えきれず、脆く崩れていたのだった。


 足場を失ったその巨体が、崖の断片とともに遥か真下へ落ちていく。


 重力に引かれるがままに落下し、龍はやがて、底を流れる川の水面へと凄まじい勢いで叩きつけられた。


 幾拍もしてから、ドォンッ!! と轟音が遅れて届く。


 ローズは足先ギリギリで断ち切られた地面から、弱い足取りで後ずさった。龍のすがたを見届けることなく、力を失ったようにその場に倒れ込む。あと半歩踏み込んでいれば、同じように落ちていただろう。

 だがそんな安堵に浸る間もないほどの反動が、ローズの身に激しく襲いかかってきていた。


「かっ、は……っ」


 呼吸できないほどの苦痛が身体の内側を蹂躙する。鋭い耳鳴りが、頭の奥でけたたましく響く。意識がじわじわと霞んでいく。

 心臓を握り潰されるかのような苦しみに、ローズは胸元の服を鷲掴んで必死に掻き乱した。


 ごほごほと激しく咳き込むと、唾液と入り混じった血が、力なく開いた口元から地面へと垂れていく。


「はあ、はあ、は、は」


 過呼吸に陥ったまま、やがて力尽きるようにローズは意識を手放した。



 静寂が辺りを包み込む。

 まるで何事もなかったかのように、森は重く、静まり返っていた。

 夜の澄み切った空気が、森の傷痕を撫でるように静かに吹き抜けていく。


 天には、光が爆ぜる瞬間を永遠に閉じ込めたような満天の星々が、まるで迫り来るかのように爛々と散りばめられていた。

























 

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