ep.21 舂く
「ねえーまだ着かないの?」
ぶすくれた顔でローズが不満を口にする。
日が沈みゆく森の奥深く。影もますます深まってきていた。
ノアとローズの二人は、どこを切り取っても似たような景色がつづく森の中を、ただひたすらに歩き続けていた。
歩けど歩けど、なだらかな上り道が果てしなく続いている。
「お腹空いてもう歩けないよーー」
ローズは腹をおさえてがっくりと肩を落とした。
つい先刻、どこで貰って来たのやら、ノアなら三日は食いつなげるほどのパンの袋をローズはおもむろに取り出し、あっという間に平らげたばかりである。
にも関わらず、それらはもう消化してしまったのか、ローズはげっそりとした顔でため息をついている。
「うーん、予定ではもう着くはずだったんだけどな…」
日が傾くにつれ、じわじわと焦りが込み上げてくる。
予定では今ごろ、山を越えた先の麓の町に着いているはずだった。…だったのだが、明かりが見えるどころか、峠に差し掛かる気配すらまるでない。
冷たい空気が肌を刺す。夜の山は容赦なく冷え込んでいく。出来ることなら、これ以上夜が深まる前にこの鬱蒼とした森から抜け出したい。それに、土地勘のない場所で夜を迎えるのはどうにも気が進まなかった。
そんな、落ち着かない感覚にじわじわと支配されていた、その時。
ふと隣にローズの気配がないことに気づき、ノアの足がぴたりと止まった。
後ろを振り返ると、ローズは二、三歩前の、道の真ん中で立ち止まっていた。
「おい、どうした」
ノアの呼びかけにも、ローズは全く反応しようとしない。俯いていて、うまく表情が見えない。
「おい、腹減って動けないってんならもう少し我慢してくれよ。こんなとこで立ち往生したって誰も助けてくれないんだから」
ローズは地面の一点を見つめ、動かないでいる。どこか様子がおかしい。
ノアは不思議に思い、ローズのそばまで駆け寄った。
「急にどうしたんだよ、大丈夫か」
ノアは心配な面持ちで、俯いたローズの顔を覗き込もうとした。
ローズが、おずおずと顔を上げる。
「これ…………」
ローズが促すように地面へ視線を落とした。
その視線を追うように、ノアもゆっくりと目を向けた。
日が暮れ始め、森の中はほのかに薄暗い。すべての輪郭が影に溶け込むように曖昧に沈み、目を凝らさなければ、何もかもが判然としない。
ただでさえ見通しの利かない地面は、生い茂る周囲の木々がべっとりと影を落としていた。
ノアはその足元へ、じっと視線をのめり込ませた。
目を凝らすと、地面のうえに見えてくる。
薄暗い地面のうえ、そこには赤い血が落ちていた。
よくよく周りを見渡せば、すぐ近くの木々がいくつも不自然にへし折られている。太い幹は何か鋭いもので抉られたような爪痕が深く刻まれ、枝葉は無残に散り乱れていた。
ノアは口の中が乾いていくのを感じた。
倒された木々のあいだ、ぽっかりと空いた空間によく目を凝らすと、きらりと散らばる何かがあった。
ノアは駆け寄って近づいていた。
地面に散っていたのは、幾つもの矢だった。
あちこちで無惨に折れ砕け、投げ捨てられるように地面に散乱している。すぐ傍には、へし折られた狩猟弓も転がっていた。
背後でローズが息を呑むのが分かった。
「おいおい、まさか……嘘だろ……」
ノアは折れた矢を拾い上げ、先に続く道を見つめた。
道の先は、暗闇でよく見えない。そのまま飲み込まれそうな深い闇。
嫌な静けさがあたりを漂う。
ただ冷えた風だけが、木々を揺らしていた。
途端に、ローズが先へ走り出そうと足を踏み出した。
「ちょっ、まて」
ノアは反射的にその手首を掴んでいた。ローズの腕が、後ろにぴんと張る。
「勝手に行こうとするな」
振り返ったローズの瞳には、隠しきれない焦燥が滲んでいた。
切迫した感情が、揺れる光のように揺らめいている。
何かを言いかけるように、ローズの唇がわずかに動いた。
だが、観念してローズはきゅっと引き結ぶと、ローズは大人しくノアの隣へと並んだ。
歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。
進めば進むほど、道のあちこちに無惨な痕跡が目につき始める。
散乱した荷や狩猟具が、踏み荒らされた地面の上に無造作に転がっていた。
ただならぬ気配に、息が詰まる。
気づけば、二人の足取りは少しずつ速くなっていた。呼吸は浅くなり、喉の奥がじわじわと乾いていく。
森は恐ろしく静まり返っている。風が吹くたび、木々のざわめきだけが耳にまとわりつく。
嫌な予感だけが、じわじわと胸の奥を侵食していった。




