ep.16 広場
「ノア君!!」
バジルの声がして、ノアは我に返った。
振り向けば、膝に手をついたバジルが、乱れた呼吸を整えるように肩で大きく息をしていた。
「バジル!!危ないから早く逃げろって!!」
「……っ…ローズちゃんは…!?」
「広場に向かってったよ!!
ほんと何考えてんだあいつ!!俺はローズを追うから、バジルは安全な場所まで逃げろ…!」
「僕も行く!」
「ダメだ、あいつの勝手な行動にバジルを巻き込めねえ」
「そんな、君たちを置いて逃げるなんて出来ないよ!だって、初めて出来た友だちなんだから!!
危険を感じたらすぐに逃げるから、僕にも協力させて…!」
バジルが必死な瞳で訴えかける。
その目にノアは一瞬考え込む仕草を見せたが、髪を掻き乱したのち、口を開いた。
「……ああもう、わかったよ!!ほんとにヤバそうだったらすぐ逃げるんだぞ!!」
観念してそう告げるノアに、バジルはすぐさま二度頷いた。
それから、ふたりは人々の流れに逆らうように、広場の方へと向かっていったのだった。
◇
広場は、まるで夢でも見ているかのようであった。
整然としていたはずの軒並みが崩壊し、引き裂かれている。
抉り取られたように欠けた屋根。
無残に晒される人々の営みの跡。
瓦は砕けて地面に散らばり、赤や茶の破片が至るところで散乱していた。
酷い砂ぼこりがあちこちで蔓延している。
広場の先で、龍が、うねるように暴れ回っている。
建物を次々と粉砕しながら猛り狂うその姿は、まさしく生きた厄災そのもの。
そして近くで龍のあとを追う、小さな影。
足場の悪い崩れかけの屋根の上を、大剣を持ったローズが近付こうとしていた。
「あの馬鹿…!!!」
ノアは思わず走り出していた。
人々の泣き叫ぶ悲痛な声が耳を刺す。立ち込める砂ぼこり。崩壊する建物。ノアは村で起きたあの日の惨劇を思い出していた。
村を呑み込んだ不可思議な現象。
衝撃に巻き込まれ、死んでいった住人たち。
残された人々の間に漂う、行き場のない喪失感。鈍色の重苦しい空気。
人はあまりに脆く、呆気なく死んでしまう。
また目の前で、同じ悲劇が繰り返されようとしている。
もうあの悲しみと無力感を味わうのは御免だと思った。
そんな、一心不乱に駆けていたときだった。
あちこちから聞こえる悲鳴や怒号の中で、ひときわ幼い声が、耳に届いた。ノアの足がはたと止まった。
視線を向けると、そこにいたのは一人の少年だった。
逃げ惑う人の流れの中で、小さな体を必死に踏ん張りながら、逃げようとする男の脚にしがみついている。
蹴り飛ばされそうになりながらも、なお、食らいついて離れない。
「お兄ちゃん!!助けて!!!ママが!ママがぁ!!」
必死にしがみつく少年のとなりでは、またひと回り小さい少女が、ワンピースの裾を掴んで泣き叫んでいる。
「っだこのガキ!!邪魔だ!!!どけ!!!」
容赦のない男の脚の一振りに、少年の身体はついに振り払われ、そのまま宙へと無防備に放り出された。小さな身体が、宙を舞う。
その背中が、地面へと叩きつけられる──
そのつかの間の、ほんの寸前。
ノアは踏み込み、伸ばしたその両腕が、落ちる小さな身体を確かに受け止めていた。
「……っ、おい、大丈夫か!!?
お前、んな子供になにしてんだよ!!!」
「…んだテメェ。まだ居やがったのか」
蹴り上げた男の顔をまじまじと見れば、先程バジルのスケッチブックを取り上げ、嘲っていたその中心人物、モルディスであった。
「子供に乱暴してんじゃねえよ」
「ケッ。てめぇこそ、んな安っぽい正義感振りかざしてんじゃねえよ。馬鹿みてえな面してよぉ」
モルディスに襟を掴まれ、至近距離で睨み合う。
「モルディスさん、こんなことしてる場合じゃねえですって!早く逃げましょ!!」
「そうだよノア君!!落ち着いて!!!」
周りから切迫した声が飛び交う。
広場の奥では、龍が暴れるたびに地鳴りにも似た衝撃音が響き渡っている。
周囲の仲間たちの間で、焦りの色が伝染していく。
睨み利かしていたモルディスは、煮え切らない態度でぞんざいにノアを振り払うと、大きく舌打ちした。
「チッ…てめえら鬱陶しいんだよ。まとめて餌にでもなってろ!!死ね!!!」
ノアの肩を乱暴に突き、そう吐き捨てると、モルディスらは人混みに紛れて逃げていった。
「んだあいつ!!!!どこまで根性腐ってんだよ!
馬鹿みてえな面してんのはそっちだろうが」
「ノア君!!そんなことより!!
今は構ってる暇なんてないよ!!」
バジルが必死に宥めようと、ノアの肩を押さえる。
「あーーもう、くそ。何なんだよあいつ」
ノアは苛立ちを抑えるように頭をかくと、膝を折り曲げて少年に目線を合わせた。
「どうした?お前。親とはぐれたか??」
泣きじゃくる少年の肩を触る。
「ママ……ママがぁ……」
少年はひっくひっくと過呼吸ぎみになる。
「うん、ちゃんと聞くから。落ち着け、大丈夫だ」
ノアはとなりで泣いている少女の方に顔を向けた。
「お前ら兄妹か?何があったんだ、話せるか?」
「あのね……ママが…ママがね……」
少女が、じり…じり…と、小さな歩幅で少しずつノアに歩み寄る。
「うん」
ワンピースの裾をしきりに触る少女は、真っ赤になった頬をふくふくと揺らし、ノアに伝えようと小さな口をひらいた。
「まだおうちに……いるの」
ぎゅっ、と少女が目を瞑ると、まつ毛を濡らしながら、涙がしとしとと溢れてくる。
「まま、足がわるいから、さきに逃げてって。あとで追いかけるからって…。でも、ずっと待ってるのに、来てくれないの。ずっとおうちから、出てこないの……」
泣きながら興奮気味でそう話す少女の手は、裾をがっちりと強く握り締め、わずかに震えていた。
「いえは、どこにあるんだ?」
俯き、地面に涙を落とす少女に代わり、今度は少年が口を開く。
「あれ………ぼくのおうち」
少年が指をさした。
ノアは息を飲んだ。
指の先に、半壊した建物。
そして、すぐそばの家の屋根に、暴れ回る龍の姿があった。
「……いま、あれが居る、となりの家に、お前らの母親が居んだな?」
少年はこくりと頷く。
「分かった。おしえてくれてありがとう。もう大丈夫だからな。
お兄ちゃんが助け出してやるから、安心しろ」
目線を合わせたノアは、ふたりの頭を両手で無造作に撫でた。
「バジル、この子ら頼めるか。こいつら連れて、もっと安全なとこに逃げろ」
「無茶だ。そんなの危険すぎる。もし何かあったら………」
「大丈夫だよ、無茶な真似はしねえ。隙をついて逃げてくるから。それに、ローズの様子がおかしいんだ。もっと近くで説得しねえと意味がねえ」
「でも………」
「大丈夫だって」
「…………………わかったよ。くれぐれも無茶はしないようにね。出来るだけ安全なところから、距離を取って向かうんだよ」
「うん。
じゃあお前ら、このお兄ちゃんが安全なところまで連れてってくれるからな、手え放しちゃダメだぞ」
ノアは少女の手を取ると、バジルの手と繋ぎ合わせた。
「お兄ちゃん!行かないで!怪我しちゃう……」
少女が真っ赤な顔で涙を流しながら、ノアに訴えかける。
「俺は大丈夫だって。さ、今のうちにいけ!!」
ノアは少女の体をくるりと回し、小さな背中を押してやる。
ノアの手から離れた少女は、ぎゅっと目を閉じ、バジルの手を強く握り返した。
「気を付けるんだよ、ノア君」
バジルが心配そうな顔で振り返り、ノアの目を見ている。
ノアが頷くと、それからバジルは意を決したように前を向き、ふたりを連れて人々の向かう先へと駆け出していったのだった。
ノアも三人に背を向け、龍の方へと走り出す。
少し走ると、ふと、指先が震えていることに気づいて、思わず乾いた笑いが漏れた。
ああ、もう、馬鹿みたいだ。
正義気取りで引き受けて、自分だって怖いくせに見栄張って。
あいつの言う通りだ。馬鹿なのは俺のほうだ。
ノアは自嘲気味に笑みを浮かべると、震える手を強く握りながら、龍のほうへと向かっていったのだった。




