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ep.15 襲来




 少年に案内され、広場を抜けた通りを歩く。殆どが居住地であるが、所々で小売店が立ち並ぶこの町のメイン通りである。

『バジル』と名乗るオリーブ色の髪の少年は、この通りに馴染みの店があると言い、先頭立って二人を案内した。


 ここブリューケルは、これといった特色のない町である。目立った特産物もなく、おまけに立地も悪い。商売で多少の交流があるにせよ、観光地としての側面は一切ない。そのため外部の人間が来訪する事はほとんど無いと言っていい。

 この町に初めて訪れた者は、良い意味で放っておかれている無関心さ、悪い意味で、自分が余所者であることを痛感させられるような、町に歓迎されていない居心地の悪さを感じるだろう。


 そんな町の通りをぐんぐんと進み、ある程度歩いたところだった。ふと、バジルが足を止め振り返った。


「案内の途中でごめんよ、少しここで待っててくれるかい?家に忘れてきた眼鏡を取りに行きたくて。あそこが僕の家なんだけど…」


 バジルがおずおずと通りの裏を指す。指が示す先に、二階建ての古い民家が見えた。

 少年は申し訳なさそうな顔でノアの顔を窺っているが、特段急ぐ理由もない。


「おお、じゃあ俺たちここで待ってるよ」


「ごめんね、すぐ戻るから!」


 ノアの声色に安心したのか、バジルはホッとした表情を見せると、ばたばたと忙しなく駆けていった。二人してバジルの背中を見送る。


 たちまち手持ち無沙汰になり、ふたりは道の真ん中で突っ立っていた。が、足早に急ぐ人々に何度かぶつかりかけたので、ノアはローズの手を引き、道の端の方へと移動した。


 さっきからローズの腹から空腹を知らせる音が鳴っている。ローズは身体を丸めながら、薄くなった腹を苦しそうに撫でていた。

 ローズは空腹になるといつもこの調子である。

 この数日間何度も見ているその様子をノアは軽く受け流しつつ、退屈な時間をやり過ごすように景観を眺めていた。


 そこでふと、光のきらめきが視界の端に映った。

 目を向けると、人々が行き交う道の向かいに、ひとつのショーケースがひそやかな存在感を纏って鎮座していた。

 人々が足早に通り過ぎる中で、そこだけが時間が緩やかに流れているかのようだった。台座の上のショーケースに陽が反射し、ちらちらと光を放っている。


 ノアはローズに一言声を掛けてから、なんとなく引き寄せられるようにショーケースに近づいていた。横長の透明なケースの中で、古めかしくも美しい剣が厳かに展示されている。それも、小柄な人間ならゆうに隠してしまいそうなほどの大剣である。


「なんでこんな物騒なもんが飾ってあるんだ?」


 展示してある場所は何かの店先のようだが、閉まっていてよく分からない。


 ノアはケースに手を当て、よくよく見ようと顔を近づけた。


 ローズも額をゴツンと当てて大剣を覗き込もうとしている。


「分かんない。でも、似てるね」


 何に、と聞かずとも、分かる気がした。


「なんか、塔を見てる時と同じ気持ちになる」


 そう、塔に似ているのだ。


 厳密には、色味も姿かたちも全くもって似ていない。

 だが、塔と同じく、見る者の心にざわめきを与えるような、それでいて人の心を惹き付けてやまない何かが、この剣には込められているようだった。


 ──美しくも薄気味悪い建物。


 誰かが言っていたその言葉を、ノアは頭の中で反芻していた。


 当たり前に存在し続けるものの、いまだ数多くの謎ばかり残る塔。

 自分の出生の唯一の手掛かりである指輪に、呼応するかのように光った塔。


 そして何故だか、人々の心を無性に惹きつける塔。


 ノアは眠るように展示されている大剣を、まじまじと見つめる。


 長い歳月を経たであろうその刃は、まるで時の流れそのものを内側に閉じ込めているかのように澄みきり、静謐な美しさを湛えていた。


 光を受け、刀身に刻まれた細やかな線刻が呼吸するかのように淡く浮かび上がる。

 息を詰めて覗き込まなければ見落としてしまいそうなほど繊細な模様が、緻密に、しかし確かな意志をもって描き出されていた。


 どこにも無駄がなく、精巧すぎるほど整っているのに、機械的な冷たさはない。むしろ人の手の執念や、時の深みが、静かに染み込んでいる。


 まるで芸術品かのようなその美しさに魅せられ、そのまま吸い込まれるように見ていると、ごてん、と鈍い音を立て、額がショーケースにぶつかった。

 集中するあまり狭かった視界が、一気にこじ開けられ強制的に引き戻される感覚。ノアは思わず我に返り、じんじんと痛む額をさすっていた。


 ふと隣を見遣ると、既に飽きた様子のローズが、息を吐いて曇らせたケースの表面に指を滑らせ、何かをするすると描いていた。あまりにも簡略的な絵で、くねくねとした線の中に等間隔の三つの点が入っていた。


「なにそれ?」


「うし」


「似てねえ…」


 ぐうううう……

 ローズが何か言葉を返しかけたのだが、その言葉は意味を成す前に、ローズの腹の音によって掻き消された。

 またしてもローズの腹が鳴る。

 最初は呆れていたが、背中を丸め、まるで昨日から何も食べていないかのようなあまりに深刻そうな顔をするので、段々心配になってくる。

 空腹に耐えかねて立て続けに鳴っており、そろそろ限界そうである。


「大丈夫かおい……」


 特に意味は無いとは理解しつつも、丸まったその背中をさすってやる。

 とそこで、息を切らしたバジルが駆けつけてきた。


「ご、ごめん!おまたせ!」


 細ぶちの眼鏡越しに目が合う。走って来たからか、肩を上下させ、頬が火照っていた。


「おう。なあ、店ってもう近いのか?

 こいつなんかめちゃくちゃ腹空かしてるみたいで…すぐ案内してくれるか」


「ああ、ご、ごごめんね!すぐ案内するよ、着いてきて」


 バジルは息付く暇もなく、小走りで二人の先を行く。ノアもローズの様子を気にかけながら、あとに続いた。





「…………それにしても、よく食べるね」


「こんな食う奴ほかに見た事ねえよ」


 少ししてようやく到着した先は、言われなければ見逃してしまいそうなほど景観に溶け込んだ、小さな料理店だった。二階建てで、一階が料理店、二階が住居らしき造りになっている。


 昼時を過ぎたからか客はまばらで、薄暗い店内のカウンターでは常連客らしき男が一人、新聞紙を広げてコーヒーを啜っていた。

 通り沿いの大きな窓が午後の陽射しをふんだんに取り入れ、薄暗い店内を柔らかく照らしている。


 窓際のテーブル席に通された三人の元には、ひっきりなしに料理が運ばれていた。こんがり焼いたソーセージや挽肉とマッシュポテトのパイ、香草で焼いた羊肉やオムレツ、パンやパスタなどあらゆる料理を前に、ローズはそれらを大きな口で次々と頬張っていく。

 テーブルの端には平らげた空の皿がすでに何枚も重ねられ、その様をバジルは呆気にとられたように見つめていた。


「あはは…なんと言うか…気持ちいいくらいの食べっぷりだね……」


「そんなに食ってどうすんだよ…」


「良かったら僕のぶんのパンも食べ」


「もらう!ありがとう!」


「おい!!」


 バジルが最後まで言い切るより先に、ローズが差し出されたパンを掴み取り口の中へ放り込むので、ノアは思わず声を荒らげていた。


「ま、まあまあ、それだけお腹空いてるんだもんね」


「はあ……まったく…そうやって周りが甘やかすから調子乗るんだよ」


 もりもりと食べるローズの顔をノアは呆れた顔で見る。


「……すごい食欲だけど、ローズちゃんは力仕事でもしているのかい?さっき力があるって言っていたし…」


 バジルが斜め向かいに座るノアに素朴な疑問をぶつけた。


「いや、関係ねえよ。ただただ食欲と力が有り余ってるだけだよ」


「うん。ノアよりもいっぱい食べれるし、ノアより何倍も力はあるよ」


「おい」


 ローズが口の中のものを咀嚼しながら、あけすけに言う。


「とてもそんなふうに見えないけど……そんなに腕の力が強いの?」


「ふふふ……一人で熊を倒したことだってあるんだから」


「……………どうやって?」


 たっぷりと間をとって、疑い深くバジルが問いかけた。


「…………ナイフで!!」


 そう言い放ち、ローズは勢いよくフォークの先をバジルに向けたので、バジルは思わず瞬きを繰り返していた。


「…………………………」

「…………………………」


 ノアとバジルの間に、深い沈黙が落ちる。


「嘘つけよ。バジル、騙されちゃ駄目だぞ。こいついっつもテキトーな事ばっか言ってんだよ」


「ええーー、嘘じゃないよ、ほんとだもん。ほんとに倒した事あるもん」


「そんなもんで殺せる訳ないだろ」


「ま、まあ…さすがに女の子一人で、っていうのはちょっと考えにくいかもしれない…」


「そんなあ。ボク嘘なんてつかないのに」


 いかにも不満気です、といった顔を前面に出して、ローズは目の前のパンにかぶりついた。

 たっぷりと乗ったバターで口が汚れるのを気にもせず、豪快に口を開ける。ぽろぽろこぼれるパンくずが、窓から差す光に照らされキラキラと落ちていった。


「……そういやさ、通りにあったあの剣って、何なの。なんであんな所に飾ってあんの?」


 ふと思い出したように、ノアは疑問を口にしていた。

 引き寄せられるように見た、なんとも形容し難い魅力を持つ剣。なんとなく気に掛かるものだったが、あの時はそれどころでは無く聞きそびれてしまったのだった。間近で見た繊細な模様を脳裡に浮かべながらバジルの顔を見る。


「ああ、あの金物屋の前に飾ってある大剣のことかい?」


「閉まってて何の店かよく分かんなかったけど…多分、そう」


「あれはただの剣じゃないよ、エマ・グローリアが手掛けた大剣だよ。昔は金物屋ではなく鍛冶屋だったんだ、あそこ。

 エマが死ぬ前、各地にいた弟子に受け渡したものの一つがあの大剣さ。

 …といっても、今の時代じゃ剣なんて古くさいもの、ほぼ価値なんて無いんだけどね。

 今では一部の酔狂な収集家にしか需要がない、ただの鑑賞用の置物と化しているよ」


「へえ」


「『エマ・グローリア』って名前、耳にしたことはあった?」


「いや、いま初めて知ったよ」


「そうか……そうだよね。

 彼は識者の間では"剣の師"だなんて呼ばれてる、結構偉大な人物なんだよ。なんせ剣の歴史に多大に貢献してきたからね。

 でもまあ、だからと言って良い値が付くわけではないし、町の人はそんなことに興味なんてないから、みんな価値を知らず素通りしていくわけなんだけど」


「へーー、バジルは詳しいんだな。

 ……というかあの剣……さ、似てる気がしないか?なんか、なんとなく塔に…」


 ノアは剣を見たときの直感めいたものを思い出しながら、恐る恐る聞いていた。


「あはは、そりゃそうさ。いつの時代も、あらゆる作品が塔に影響されているからね」


「そう…なのか?」


「うん。自然や思想と並んで、塔は芸術に大きく影響を与えているのさ。それだけこの国にとって塔という存在がいかに大きいか、思い知らされるよ。

 これだけ長い時間をかけても謎を残したままだなんて、神秘的だと思わない?

 僕の周りの人達は塔を嫌っているか気味悪がる人が多いけど、僕はただただ真っ直ぐに、美しいと思うよ。その美しさに魅せられて、どうしようもなく惹かれてしまうんだ」


 剣の話から派生し、塔についてそう雄弁に語るバジルは、それまでの自信なさげな姿から一転、目を爛々と輝かせていた。美しさを一身に伝えるそのさまは、何かを信じ抜く者特有の無垢な情熱に満ちている。


「……ああ、ごめん、もしかして君も塔のことはあまりよく思ってなかったかな……」


 口数が少なくなったノアに、たちまち自信を無くしたバジルが、気弱そうなしゅんとした目でノアを見つめる。


「…………俺は……」


 ノアは指輪を見つめながら言葉をこぼした。

 指輪を見ると色々な思いが交錯し、自然と目線が落ちていく。気付けば、独り言でも呟くみたいに言葉を紡いでいた。


「…………むかし、小さい頃……森の中で迷子になった事があってさ。

 来た道戻ろうにも、どこを通ってきたのか全然分かんねえし、闇雲に走ったところでどんどん森が深くなっていくしで、もうパニックで。

 そんなふうにしてたら、いつの間にか日も落ちてきて、辺りいっぺんもう真っ暗でさ。

 あー俺、このまま誰にも見つけられずひとりで死ぬんだ、って絶望してたら、月の明かりで塔が見えて、思い出したんだ。


 エリ……育ての親…に、『もし森で迷ったら、塔の方へ進みなさい。そしたら森は抜けれるから』って。

 その言葉思い出して、ひたすら塔の方へ走ってたら、いつの間にか森を抜けられたんだ。

 だから……俺にとって、塔は命の恩人みたいな存在。気味悪がるやつも多いけど、俺にとってはずっと遠くから見守ってくれてる、味方みたいな存在だよ」


 長々と話し終えると、ノアははっとしたように口を抑えた。


「…………って、うわ、ごめん、ちょっと俺喋りすぎたな」


「え?どうして?」


「いや、こんなの誰にも話したことなかったからさ………なんかめちゃくちゃ恥ずかしいから忘れてくれ」


「あはは、なんでよ。同世代でこんなに塔について喋ってくれる人初めてだ。嬉しいよ」


「……ローズは、どう思ってんだ?」


 分が悪くなったノアは、隣に座るローズに話を移した。ローズは全ての料理を平らげ、ソファの背にだらしなくもたれ掛かっていた。


「ボクはなんとも思ってないかなあ。当たり前にずっとある、空気みたいな存在。…でも最近、なんでか分かんないけど、なんかやけに目に入るんだよねえ」


 ローズは体を起こし、テーブルに肘をつけると、不思議そうな面持ちでそう口にした。


「なんだそれ」


「さあ」


 ローズが首を傾げる。

 地に足のつかない、なんとも曖昧でぼんやりした会話。


 ノアはこの数日ローズといて分かったことがある。それは、ローズはあまりにも感覚的に生きているということ。野生の勘というやつなのか、妙に直感めいたものに優れ、反対に、決まりや小難しいことを極端に嫌う。

 発する言葉もあまりに抽象的なので、理解が及ばないことが多々あるのだ。きっと彼女の頭の中を覗けたところで、一生かけても理解できないのだろう。これ以上話を掘っても、納得出来る回答は得られなさそうである。


 その後もバジルによる熱量ある塔の話は続いていき、ノアはポテトを口に運びながら相槌を打っていた。

 店主の男が、空になった皿を引き下げていく。太い腕に、いくつもの皿がバランスよく乗っていた。


「僕はね、いつか塔の謎を解き明かすのが夢なんだ。そしていつか、あの塔の上まで登って、高い所から世界を見渡してみたい。

 僕の生きる世界がどれほど小さいものなのか、この目で確かめてみたいんだ」


「塔が光った時のことだってそうだ。この長い間、なんの変化も見せなかったあの塔が、初めて光ったんだ。いまだに信じられないよ。

 もしかすると僕たちはいま、歴史の転換点に存在しているのかもしれない」


「塔にはロマンがあるんだよ。

 ただ"謎がある"ってだけじゃない。人類が長きに渡って塔を見上げて、熟考して、沢山の仮説を立てて、それでもまだ解き明かせない事実が尊いんだ。誰かが諦めても、次の誰かがまた考えて、また挑む。その積み重ねてきた歴史が何にも変え難いんだよ」


 ノアの村では塔に深く関心を持つ者なぞ居らず、会話の中で話題に上がることと言えば、畑の出来や天候、作物を荒らす獣の対策など、日々の暮らしに直結する話題が中心だった。そんな風に育ったノアにとって、塔について熱く語るバジルの姿はとても新鮮に映った。


「だって、どこに居ても塔の姿が見えるなんて、そんなの普通に考えて有り得ないだろう?うんと遠い場所にある塔が、こんな町からでも見えるなんて。物理的に不可能なはずなのに」


「うーん、そうは言ってもなあ……。そんなん当たり前にあるもんだから、そこまで考えたことなかったよ」


 腹も満たされ、窓辺に落ちる陽だまりを浴びながら尽きない塔の話題に耳を傾けていたところで、皿を片付け終えた店主の男がテーブルの上に紙きれを提示して現れた。紙の上で乱雑な文字がいくつも並んでいる。


「勘定だ。全部合わせて3万マリーだ」


「さ、さんまん…」


 その言葉にノアは驚きのあまり目を白黒させた。

 なんせ路銀にと貰った所持金の半分あまりの金額である。


「こ、この店ってそんなに高かったのか?」


 狼狽えてバジルに問うノアに、見かねた店主の男が口を挟む。


「馬鹿言え。うちの店は安値で切り盛りしてんだ。

 そこのお嬢さんがそんだけ食ったらそりゃこのくらいにもなるさ」


 店主の男が呆れたように三人を見下ろす。


「はぁ……もう俺ローズのせいで野垂れ死ぬ未来しか見えねえよ。もう十分食ったんだからそろそろ帰れよな」


 ノアはため息を零しながら懐から包みを取り出すと、きっかりと代金を受け渡した。横目で当の本人を見るが、なんの反省もない顔をしていた。


「にしても珍しいな、バジルが友人連れてくるなんざ。お前が他の奴と楽しそうに話してるところ始めて見たぞ」


 店主の男がぶっきらぼうに言い放つ。


「そ、それは言い過ぎだよ」


「こいつ絵ばっか描いててな、まともに友達居たことねえんだよ。ちょっとは子供らしく外で遊べっての。ああそう、あの絵もバジルが描いたんだぜ」


 店主の男が、親指でカウンター近くの壁を指した。高い位置に飾られている、ひとつの絵。


 その絵は、暴力的なまでに鮮烈な色彩で咲く、黄薔薇の絵だった。


 花瓶に生けられた濃い黄の薔薇が、まるで渦巻くエネルギーを持っているかのように咲いている。黒に近い背景の深緑と、黄金の輝きを煮詰めたような薔薇とのコントラストが、目に訴えるかのように強烈に飛び込んでくる。

 儚く、そして力強い。燃えるような花の一生を、その旺盛な命の一瞬を、そのまま封じ込めたような絵だった。


「この歳のガキにしちゃあ良く描けてるだろ?

 俺の兄貴が売れない画家やっててな。そこにちょこまか着いて回ってんの、こいつ」


「いやすげえよ。バジルはほんとに絵描くのが好きなんだな」


 遠目からでも伝わる圧倒的な絵力。それに魅せられるように、ノアは肩肘をついて見上げていた。


「そういや、さっきのスケッチブックの絵、俺たちにも見せてくれよ。どんなの描いてんの?」


「えっ」


 ノアのふと思い出したような言葉に、一瞬バジルは戸惑いを見せた。が、逡巡したのち、鞄からおずおずとスケッチブックを取り出すと、遠慮がちにテーブルの上に差し出した。


「ど、どうぞ……」


 その様子に、店主の男が驚いたような声を出す。


「なんだ?今日は随分気前がいいんだな。いつもは俺に隠れてコソコソ描いてやがんのに」


「こ、これは練習用だから見せられるものじゃないの。今日は特別…!」


「はっ、兄貴が知ったら驚くだろな。じゃあま、ゆっくりしてけよ」


 店主の男はバジルの頭を乱暴に撫でると、背を向け店の奥へと消えていった。

 バジルはずり落ちそうになった眼鏡をなおしてから、二人の方へ向き直る。

 見るとすでにローズがパラパラと何枚も紙を捲っており、ノアもその隣で興味ありげに見ていた。


「絵上手いんだねー」


 ローズが絵を見ながら率直な感想をこぼす。


「そ、そんなことないよ……師匠に比べたら僕の絵なんてそんな全然……」


「えーーボクが上手いって言ってるのに?!」


「お前すごいな」


 ローズの言動にノアは思わず突っ込みを入れていた。


 絵を見ながら、ふたりは思い思いに感想を述べていく。その度バジルは照れくさくなり、表情を隠すように俯いていた。スケッチブックには塔から始まり、山並みや町の風景、草木や小動物など、多岐にわたる題材が描かれていた。


 ふと、あるページでローズの手が止まった。


「花……?」


 さっきまでのはつらつな様子から一転、ローズが食い入るようにスケッチブックの絵を見つめている。


「これはメイディアローズだよ」


 ローズの目線を辿って、バジルが説明する。


「それって今の時期咲いてる花?」


「これはなあ、昔から言い伝えられてきた伝承花で、実在しない花だよ。学のない俺でもそんくらいは知ってるぞ」


 ノアが呆れたように言う。


「うん、この絵は本を写し描きしたものだよ。

 メイディアローズ。《すべての花の祖》と語り継がれる、伝説上の花だ」


 バジルもノアに続いて説明する。


「うーん……見間違いかなあ……」


 ローズは再度スケッチブックに目を向ける。


 そこに描かれていたのは、凛と咲き誇る、華やかさこの上ない一輪咲きの花。

 花冠は薔薇のように鋭く尖った形をしているが、その先端はまるでレースのような繊細で優美な透かし模様が刻まれていた。本来ならば青々しく花の色を際立たせる小葉は飴細工のような糸状へと変貌を遂げ、螺旋のように花全体を包み込む。

 開花する花の中央には宝石のように輝きを放つ小さな欠片が粒状に散りばめられており、その美しさと毒々しさのアンバランスさが、危うげで魅惑的な唯一無二の存在感を放っていた。

 薔薇のようであって、薔薇ではない。花と呼ぶにはあまりにも艶めかしく、そして神秘的で非現実的な花だった。


「なんか見た気がするんだよなあ…」


 ローズは絵を見ながら、どこか納得いっていない様子で首を傾げている。


「見たって……一体どこで……?」


 ローズの言動に、疑い深くバジルが問いかけていた。


「家のすぐ近くの森で昼寝しようとしたら、こんなのが咲いてたんだよ。珍しい花だなーと思ってそのすぐ隣で寝たんだけど、起きたらなんの跡形もなくぽっかり消えちゃってた。何だったんだろ、あれ」


「……あのなあ。そんなん夢に決まってるよ。こんなのがそこらに普通に咲いてる訳ないだろ。どうせ寝ぼけてただけじゃねえの」


 ノアはそう言い捨てると、テーブルの上で腕を組んでローズの顔を見た。


「うん……こればっかりは僕もノア君に同意かな。もしローズちゃんの言う通り、本当に咲いていたのだとしたらもの凄いことだけど、これは空想上の花だからね。もしかすると、以前どこかでローズちゃんがこの花の絵を見たのがきっかけで、夢に出てきたのかもしれないね」


 バジルがすっかり冷めきったコーヒーを啜った。


「うーーん、やっぱり夢だったのかな」


 ローズはどこか釈然としない様子で頬杖をつくと、いつか見た記憶を思い出そうとしているのか、絵をまじまじと見つめていた。


「それよりさ、バジルは沢山絵描いてるけど、人の絵は描かねえの?」


 打って変わって、何気なくノアはそう言ってバジルを見た。

 スケッチブックのどのページを見ても、人の姿がないのである。別段珍しい事では無いのだが、ノアはふと疑問に思い口にしていた。

 と、途端にバジルが困った表情になる。


「ああ、あのそれが………描けないんだよね。人の絵を描こうとすると、どうにも手が動かなくて。変だよね、塔の絵はすらすらと描けるのに」


 バジルがたちまちぎこちない表情になる。


「え…そうなのか。なんでだろう」


「しっかりした理由は分からないけど……。でも僕、あんまり人と、ちゃんと向き合ってこなかったから……逃げてばかりだった代償が、こんな形で返ってきてるのかもしれない」


 バジルがしきりに手の親指の爪を触りながら、俯きがちになる。


「バジルは描けるようになりたいのか?その、"人の絵"を」


「うん、いつか」


「じゃあ、いつか描けるようになったら見せてくれよ。こんなに上手いんだから、絶対良い絵だろうしな!」


 ノアがそう言って笑った。


「…あはは、ありがとう。その時は、どんな手段を使っても君に一番に知らせるよ」


 スケッチブックの上を、ペンがするすると滑る音が心地よく響いている。絵の空いたところに、ローズがバジルから借りたペンを迷いなく走らせていた。

 バジルの描いた数多の絵を見て感化されたのか、またあの情報を極限まで削ぎ落とした独特なタッチの絵を至るところに量産している。


 バジルの写実的な画とローズの簡略的な絵がこの上なくミスマッチで、ノアは思わず吹き出していた。

 それに続いて、バジルも顔を綻ばせながらふたりを見る。静かな店内の片隅で、スケッチブックを囲んだ三人の楽しげな声が響いていた。


 なんてことない、穏やかな時間だった。


 大きな窓が額縁のように切り取る、ありきたりな風景。


 壁に掛かった時計から、時を刻む秒針の音が僅かに聞こえてくる。


 窓の外では通りを歩く町の人々が、慣れた足取りで行き交っていた。


 窓から差し込む光が、テーブルの上に静かに広がっていく。



 異変に気づいたのは、それからだった。



 テーブルの上で、コーヒーの入ったカップがかすかに震えた。

 最初は小さく、誰の耳にも届かないような揺れ。

 だがたちまちカップの液面は微かに波打ち、ひとつ、またひとつ、と波紋を広げていく。


 照明が揺れ、壁にかかった絵が微かにずれる。

 そしてそれはやがて、建物全体に広がる大きな揺れへと変わっていった。


 声を出す間も無かった。


 今だかつて聞いた事のない咆哮。

 耳を突き刺し、まるで胸の奥まで抉り取られるような、世界そのものを揺るがすような音だった。


 次の瞬間、大きな窓ガラスが鋭い破裂音と共に粉砕し、弾け飛んだ。粉々に打ち砕かれた破片が凄まじい風圧と共に嵐のごとく降り注ぐ。あまりの事に、理解が追いつかなかった。

 三人は咄嗟に腕で顔を覆っていた。突き刺すような鋭い痛み。肌に血が伝う感覚。


 顔を上げると、テーブルの上にガラスの残骸が広がっていた。

 外部の空気がなだれるように入ってくる。

 あまりの事に、静まり返る店内。ほんの一瞬で一変した世界。

 店の中は酷く荒れ、割れた食器が散乱し、目も当てられぬ状態だった。


「な、なんだぁ?!!?!!」


 店の奥から、店主の男がひどく慌てた様子で出てきた。


「一体、なにが…」


 バジルが唖然とした様子で呟く。


「きゃああああ!!!」


 すると、今度は窓の外から甲高い悲鳴が聞こえた。

 三人は咄嗟に窓のほうへ顔を向ける。ただならぬ事態に、胸のざわめきと緊迫感がどっと押し寄せてくる。

 ノアは緊張感を飲み下すように唾を飲むと、席を立ち、扉の方へ走り出ていた。バジルとローズも思わずノアの背を追い、外の通りに出る。



 人々が立ちすくんでいた。


 顔に恐怖を滲ませながら、一様に空を見上げている。皆、信じられない、といった顔で唇を震わせていた。

 ノアも見上げるように顔を空に向けた。


 それは、あまりにも目を疑う光景だった。


 目に飛び込んできたそれは、この世の理から逸脱した、異様な姿をしていた。


 例えるなら、そう、まさに

 古い伝承のなかで生きる《龍》のような


 人々が、息をのんで見上げている。あまりに非現実的なそのさまに、身体が硬直し、目だけを揺らめかせていた。


 天を統べる神性としてのみ語られる存在が、その聖域を食い破り、生々しい肉の拍動と、底知れぬ深淵の影を纏って、たしかにそこに在った。


 白銀の長く硬い毛が風に靡き、光を受けて刺すように輝く。

 四肢の先には、漆黒の深淵を削り出したかのような鉤爪。

 一歩踏み出すたびに、瓦屋根は熟した果実のように容易く潰れ、剥がれ落ちた瓦がボロボロと地上に落ちていく。

 しなやかに揺れる白銀の尾は鞭のようで、振り回すだけで周囲に深い亀裂を作り、木っ端微塵に蹴散らす。


 躍動する筋肉に合わせて波打つ白銀の毛と、不気味な影の揺らぎが、見る者の本能に刻まれた死の恐怖を際限なく増幅させていく。


 その姿はあまりに美しく、それゆえ、狂おしいほど凶暴だった。


「龍だ」


 誰かが独りでに、掠れた声で呟いていた。


 しなやかに、しかし圧倒的な重量感をもって、まるで抗いようのない天災が形を成したかのように、真っ直ぐにこちらに向かって迫ってくる。


 鉤爪が、幾重にも重なる瓦を、まるで薄氷のように粉砕する。踏み出すたびに屋根の骨組みが悲鳴を上げて軋み、呆気なく崩れ落ちていく。白銀に輝きながら、龍は屋根を伝ってすぐそこまで迫っていた。


 どよめき。怯え。畏怖。


「うわあああああ」


 一人の男の悲鳴を皮切りに、町の人々が濁流のごとく一斉に走り出した。地響きのように重なる足音。あちこちから上がる叫びと怒鳴り声。逃げ惑う群衆の中で押し退けられ、よろける人間。足がもつれ、瓦礫の山に転倒する人間。


 安寧に包まれていた町は、白銀の厄災がもたらした狂乱の渦へと、一気に飲み込まれていった。


 逃げ惑う人波に飲まれ、何度も押し流されそうになる中、ノアは、ローズの様子から目が離せないでいた。

 すぐ先で、ローズが目を見開いたまま固まっている。震える拳を開いたり閉じたりさせながら、天を見上げていた。

 その指先は、自身の動揺を必死に抑え込もうとしているかのようだった。耳元で罵声を浴びせられても、まるで耳に届いてないかのように動こうとしない。その呼吸は乱れ、徐々に浅くなっている。

 ローズは龍の向かった先を一心に見つめていた。


「おい、なにやってんだ!!逃げるぞ!!」


 恐怖で声が上ずっていた。ノアが呼び掛けてもなお、ローズは声を聞こうとしない。

 ノアがその腕をつかもうと手を伸ばした。が、その手は掴むことなく空を切り、ローズは人々の流れに逆らうように龍に向かって走り出していた。


「くそ、アイツなにやって…!!」


「ノア君!ローズちゃん!!」


「バジルは逃げろ!!」


 押しのけられ、ぶつかりながら、ノアは背後のバジルにそう叫ぶと、ローズのあとを追って走った。頭で考える余地はなかった。目を疑うような信じ難い光景。いつもと明らかに様子が違うローズ。この世のものとは思えない異形の存在。

 まともに考えだしたら恐怖で一歩も動けない。ただただ一心に、ローズに追いつくように、人の波に抗って突き進んでいた。


 広場の方角から、また一際凄まじい龍の咆哮が大気を震わせた。皆が走りながら、絶望の眼差しで後ろを振り返る。

 刹那、同じ方向から、今度は恐怖を滲ませた人々の悲鳴が響いた。たちまち砂埃が立ちのぼり、天に上がっていく。

 ただならぬ事態が起きている。警告するかのようにノアの心臓はますます鼓動が早くなっていく。


 ふと視線を戻すと、すぐ先にいたはずのローズの姿がない。この一瞬の隙にその姿を見失ってしまっていた。

 人波をかき分けるように逆らうが、あらゆる方向から押しのけられ、思うように進まない。焦燥感から背中に嫌な汗が伝う。

 一体何を考えているというのか。ローズの気まぐれに振り回されることばかりであったが、今回はわけが違う。ともすれば命を落としかねない事態に、ますます血の気が引く。


 すると突然、すぐ先でガラスの砕ける音が響いた。次々と襲いかかる想定外の事態に、周囲の人間は疲労感を滲ませながらも視線を向ける。ノアも弾かれたように目を凝らした。

 そこにあったのは、地面に散らばる破片。打ち砕かれたショーケース。そして、左袖を赤黒く染めたローズの姿だった。肘からじわじわと血が滲み、白い袖を汚していく。その指先からは、たらたらと血が滴り落ちていた。

 ローズは割れたショーケースから大剣を掴み取ると、その重さをものともせず大きく振り上げた。


「ローズ!!!」


 ノアは思わず声を上げていた。

 人々がローズの周囲を避けるように逃げ惑う。

 すべての者が通り過ぎる中で、ノアだけがその姿を見つめていた。どくどくと高まる鼓動。なぜだか不吉な胸騒ぎが全身を駆け巡る。


 次の瞬間、その体に不釣り合いな大剣を持ったローズが、窓枠を足場に鋭く蹴り、軽々と屋根へと飛び乗った。


 あっけにとられ、見上げることしかできなかった。


 華奢な影が自由な空を駆け、屋根から屋根へと飛び移る。


 ノアは地面に足が吸い付いたかの如く、その場で仰ぎ見ることしか出来なかった。

 理解不能な光景に、ただ唖然とするばかりであった。


 風を切るようにしなやかに駆けていくローズの姿に、ノアはレイモンドの言葉を思い出していた。



 ローズちゃんはねぇ、躊躇う暇があったらすぐに足が動いちゃうような、身を以て道を切り開いていくような、そんな思いもよらないことを仕出かす子なんだよ。



 ノアはただ、遠ざかるローズを見つめることしか出来ないでいた。










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