糸崎親衛隊長
はっぴ少女は、あまりにも様子のおかしいあたしにようやく、気が付いたのか「糸崎隊長、どうかされましたか?」と聞いた。
1限は棒に振ってもまぁ良いだろうと、はっぴ少女と一緒にクズハリストの控え室に移動した。
――――――っていうか、部活動でもないのに、控室ってなんだよ!?
とは言えなくて、黙って飲み込んだ。
校舎の1番隅っこの日当たりの悪い小さな教室だが、中は葛葉の写真やプロマイド、何やら不思議なグッズで溢れていた。
「それで、糸崎隊長はどうしたというんですか?」
はっぴ少女が眉間に皺をよせて、あたしを見た。
「今日、目が覚めたら7ヶ月が過ぎてました」
簡潔に伝えると、はっぴ少女は「はぁ」と気のない返事をする。
「つまり、どういうことでしょうか?」
首を傾げるはっぴ少女。
あたしは自分自身でもわかっていない現状の中、今のところ自覚したことを伝えてみた。
「あたしの記憶では今日は2年生1学期の始業式のはずなんだけど、朝起きたら部屋の中に大村葛葉の写真やポスターが貼られていて、11月3日になっていたんです。学校に来たら隊長と呼ばれるし、意味がわかりません」
「つまり、7ヶ月間の記憶がないということでしょうか?」
はっぴ少女に恐る恐る聞かれて、あたしはすぐに頷いた。
彼女は目が大きく見開くと、「うそ!」と叫んだ。
「糸崎隊長が4月末に起こしたバラ革命を覚えていないんですか!? 葛葉様の新鋭隊としては異例の事態で、隊長の伝説の一つですよ!?」
「で、伝説ってマジで―――――――」
4月のバラ革命って何だ、ソレ。
臭い名前を本気で叫び、伝説とかいうはっぴ少女に、本気で引いた。
詳細を聞くのが怖いほど、怪しい香りがプンプンッとする。
「次期、新鋭隊長になるだろうといわれた現3年生の本多結衣さんと対決して、糸崎隊長が就任されたんですよ。糸崎隊長の勇姿を見て、クズハリストは2倍近いメンバー増加が見込めました。糸崎隊長に憧れている人も多くて」
―――自分の記憶ない、たった7ヵ月。
7ヶ月って意外と重ッ!
対決の内容も、バラ革命の意味も、怖すぎて聞けない。
「ちなみに、本多先輩は今どちらに―――?」
「本多結衣さんは、葛葉様新鋭隊の特攻隊長として糸崎隊長をサポートする側に回ることを宣言なされました。現在、本多特攻隊長は糸崎隊長の腹心の部下ですよ」
血の気が引くというのは、こういうことだと実感した。
目の前が真っ暗になって、瞬間フラッとした。
透明人間として生きていた自分に何があったのか、さっぱりとわからない。
どうした、あたし!?
「本当に何も覚えていないんですか?」
「そ、そうみたい―――」
はっぴ少女はあたしをジッとみて、黙り込んでしまった。
突然、訪れた沈黙が、体に突き刺さってくる。
「私、葛葉様親衛隊副隊長をしています前川麻友です。糸崎隊長と同じクラスで、腹心の部下のひとりであることを自負しています。私のことは麻友で良いですよ。昨日までの糸崎隊長は私のことを麻友と呼んでいましたから」
「あっ、うん―――」と頷きながらも、関係を築いた記憶もない相手を突然、呼び捨てにすることに違和感があった。
「昨日、何か起きたという話は聞いていません。糸崎隊長がなぜ、記憶喪失なんて難解なことになっているのか意味がわからないんです。今、ハッキリとわかっていることは糸崎隊長の記憶喪失が知れ渡ると、葛葉様新鋭隊は大打撃を受けるということです」
「だ、大打撃?!」
――――――なんだろうか。普通の高校生活では聞いたことのない単語が次から次へと飛び出てくる。
「葛葉様新鋭隊は昨年前、荒れていたんです。掟破りの隊員も多くて、葛葉様から睨まれることもありました。しかし、バラ革命後、糸崎隊長が現れて隊員は、隊長を中心にまとまりました。葛葉様も革命後は、親衛隊を疎まれることがなくなり、声をかけてもらえる機会が増えました」
麻友は身を乗り出して、あたしに力説してくる。
「今、糸崎隊長が欠けてしまうと、葛葉様新鋭隊は均衡を崩してしまう可能性が高いです。それは、葛葉様にもご迷惑をおかけすることになるので、避けたい事態です」
「――――――つまり、あたしの記憶喪失は内緒にしなくちゃいけないってことですね」
「そういうことです。とりあえず、まずは私に敬語はやめてください。カリスマ親衛隊長である糸崎隊長は、ちょっと高圧的で人を引っ張っていく力がありました。そのように対応してもらう必要があります」
「いや、それを言われても。あたしには一つも、記憶がないわけでして」
麻友の勢いに、あたしはたじろいだ。
あたしの記憶の中では、昨日まで透明人間を演じていたはずだ。
それが、今日からカリスマ親衛隊長って。
格上げというよりも、クラスチェンジの勢いだ。
「他人を演じろっていっているわけではないんです。あくまでもご本人なんだから、できます!」
麻友のいうことは説得力があるように聞こえるけれど、簡単な話ではない。
あたしは反論したいところではあったけれど、麻友の勢いに負けて「はい」と従順な返事をしてしまった。