記憶の裏のアイドル
ある朝。
目を覚ますと。
そこは、見慣れない部屋だった。
「……あたし?」
よくある小説みたいに、隣に見知らぬ誰かが寝ていた――なんてことはない。
部屋そのものには見覚えがあった。
ベッドも。
机も。
備え付けの家具も。
全部、毎日使っていたものだ。
それなのに。
「…………」
壁を見回して、私は固まった。
ポスター。
写真。
写真。
ポスター。
知らないものばかりが、所狭しと飾られている。
「……何、これ」
目を擦ってみる。
もう一度閉じる。
開く。
「…………」
変わらない。
どうやら、夢ではないらしい。
私の名前は、糸崎杏。
全寮制の高校に入学して、一年目をひっそりと終えた。
特別仲のいい友達もいない。
クラスでは、いるのかいないのかわからない。
そんな。
透明人間みたいな高校生活。
そして。
私の最後の記憶が正しいなら。
今日は。
二年生、一学期の始業式。
「…………」
なのに。
携帯電話の日付は。
十一月三日。
「……え?」
椅子に掛けられている制服も。
春物ではなく。
冬服だった。
「…………」
私はもう一度。
携帯電話を見る。
十一月三日。
「…………」
――もしかして。
私。
七か月分。
記憶がない?
「…………」
記憶喪失。
という言葉が。
頭の中に浮かんだ。
「そんな大げさな……」
でも。
四月から十一月。
どう考えても。
七か月ほど。
すっぽり抜けている。
「困ったなぁ……」
口ではそう言ったものの。
正直。
どこまで困るべきなのか。
よくわからなかった。
だって。
透明人間みたいに過ごしていた私の七か月だ。
学校へ行って。
授業を受けて。
一人でご飯を食べて。
寮へ帰って。
たぶん。
毎日。
似たようなことしかしていない。
「…………」
私は机の上の時計を見る。
「まあ……学校行くか」
考えても仕方がない。
とりあえず。
学校へ行けば。
何かわかるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「あっ、隊長!」
「――?」
「おはようございます!」
「…………」
学校へ着いた直後。
知らない女子生徒に。
元気よく頭を下げられた。
「…………」
――隊長?
私は。
そっと後ろを振り返った。
「…………」
誰もいない。
「?」
もう一度。
前を見る。
相手は。
にこにこと。
私を見ている。
「…………」
――私?
いや。
まさか。
隊長なんて呼ばれる覚えはない。
「…………」
なんとなく不気味になって。
私はそそくさと校門をくぐった。
すると。
「隊長、おはようございます!」
「――!」
「おはようございます、隊長!」
「今日もよろしくお願いします!」
「…………」
右から。
左から。
次々と。
声をかけられる。
しかも。
みんな。
律儀に。
頭を下げる。
「…………」
――何これ。
軍隊?
「あっ! 糸崎隊長!」
「――!」
一人の女子生徒が。
こちらへ駆けてきた。
「遅いですよ!」
「え?」
「もうすぐ葛葉様がいらっしゃいますよ!」
「…………」
彼女は。
派手な法被を着ていた。
背中には。
大きく。
『クズハリスト』
の文字。
「…………」
顔には。
見覚えがある。
同じ学年の生徒だ。
でも。
話すのは。
たぶん。
初めて。
――だよね?
「ええと……」
戸惑っているうちに。
腕を掴まれた。
「さあ、隊長!」
「ちょ、ちょっと――」
ずるずる。
連れていかれる。
その先には。
「…………」
集団。
女子。
女子。
女子。
そして。
全員。
法被。
「…………」
――間違いない。
クズハリストだ。
大村葛葉。
私より一学年上の先輩。
つまり。
今は三年生のはず。
彫りの深い顔立ちで。
一見するとハーフにも見える。
けれど。
実際は純粋な日本人らしい。
高校生とは思えないほど妙な色気があって。
唇の端を少し持ち上げただけで。
女子の悲鳴が上がる。
そんな。
学校一の有名人。
私が入学したころには、すでに。
『クズハリスト』
という呼び名まで定着していた。
要するに。
大村葛葉の熱狂的ファン。
そして。
その中でも特に熱心な一団が。
親衛隊だった。
ちなみに。
クズハリストの掟は。
三十六か条。
もあるらしい。
ただし。
一般生徒が覚えておけばいいのは。
だいたい。
二つ。
一。
むやみに葛葉様へ近づかない。
二。
葛葉様へ近づく場合は、親衛隊を通すこと。
「…………」
この二つさえ守っていれば。
平和な学校生活を送れる。
そういう。
暗黙の了解だった。
そして。
透明人間として生きてきた私には。
当然。
クズハリストなんて。
何の関係もない。
――はず。
だった。
「…………」
その瞬間。
今朝見た。
自分の部屋を。
思い出す。
壁一面。
埋め尽くされていた。
写真。
ポスター。
全部。
大村葛葉。
「…………」
――七か月間のあたし。
何をした!?
「隊長」
「は、はい!」
「本日のご挨拶を」
「…………」
法被の少女が。
真剣な顔で。
私を見る。
そして。
彼女の後ろ。
ずらりと並んだ。
クズハリストたち。
「…………」
全員。
目が。
ちょっと。
血走っている。
「…………」
――怖い。
記憶がなくて。
なんて。
言い出せる空気ではない。
「…………」
仕方がない。
「お……」
一拍。
「おはようございます」
恐る恐る。
挨拶してみる。
「「「おはようございます!!」」」
「――!」
びりびり。
校門が震えたような気がした。
「…………」
――だから。
軍隊なの!?
「きょ、今日も」
一拍。
「頑張りましょう」
「「「はい!!」」」
「…………」
すごい。
統率されている。
「今日は」
隣の法被少女が。
少し驚いた顔をした。
「ずいぶん、あっさりとしたご挨拶ですね」
「……そう?」
「はい」
「…………」
「いつもなら」
「いつもなら?」
「まず葛葉様の本日の見どころをたっぷり語られます」
「…………」
「そのあと、本日の活動方針」
「…………」
「最後に気合いの言葉で締めくくられます」
「…………」
ぞくっ。
背筋に。
寒気が走った。
――七か月間のあたし。
本当に。
何をした!?
「なるほど……」
法被少女が。
感心したように頷く。
「今日はあえて、隊員一人一人に考えさせるということですね」
「え?」
「さすが隊長です!」
「いや!」
「勉強になります!」
「違――」
「素晴らしいです!」
「あの!」
きらきら。
尊敬に満ちた目を向けられる。
「そんな立派な考えじゃ――」
そのとき。
「キャ――――――ッ!!」
「――!」
地響きのような。
歓声。
クズハリストたちが。
一斉に。
校門へ振り返る。
「葛葉様!」
「…………」
私も。
つられて。
振り向いた。
校門をくぐってきたのは。
大村葛葉。
「隊長!」
「え?」
「行きましょう!」
「どこに!?」
「葛葉様のところです!」
「――ちょっと!」
背中を押される。
そして。
気づけば。
私は。
クズハリストたちの。
先頭に立っていた。
「…………」
――待って。
待って。
待って。
無理。
絶対無理。
大村葛葉が。
こちらへ。
歩いてくる。
一歩。
また。
一歩。
「…………」
そして。
ゆっくりと。
顔を上げた。
視線が。
私を捉える。
「――」
「おはよう」
葛葉が。
足を止めた。
「今日も朝から大変だね」
「…………」
――しゃべった。
私に。
大村葛葉が。
普通に。
話しかけた。
「…………」
私は。
びくっと。
身体を震わせた。
一年生のとき。
私は。
遠くから彼を見かける程度。
話したことなんて。
一度もない。
接点も。
なかった。
はず。
なのに。
今。
葛葉は。
まるで。
いつものことみたいに。
私へ声をかけた。
「…………」
――七か月。
何があったの。
「お……」
一拍。
「おはようございます」
おどおどと。
頭を下げる。
「…………」
葛葉が。
わずかに。
眉を寄せた。
「……杏?」
「――」
一瞬。
名前を呼ばれたような。
気がした。
けれど。
葛葉は。
何も言わなかった。
何かを口にしかけ。
薄く開いた唇を。
そのまま閉じる。
そして。
私から視線を外した。
「おはよう」
「「「おはようございます、葛葉様!!」」」
後ろのクズハリストたちにも。
律儀に挨拶をする。
それから。
葛葉は。
そのまま校舎へ入っていった。
「…………」
私は。
その背中を。
ぼんやり見送る。
「やっぱり」
隣で。
法被少女が。
うっとりと呟いた。
「今日も格好いいですね、葛葉様……」
「…………」
私は。
くるり。
彼女へ向き直った。
「あの」
「はい、隊長!」
「一つ」
「何でしょう?」
私は。
かなり真剣に。
訊いた。
「あたしの教室って」
一拍。
「どこですか?」
「…………」
「…………」
法被少女の目が。
点になった。
「はい?」
その日。
私の失われた七か月は。
思っていたより。
ずっと。
大変なことになっているらしいと。
ようやく。
気づき始めた。
■女王様のお茶会■
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■NOTEにてエッセイ、制作秘話など
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