第六話 松田蓮 VS ドラゴン
ガリックは暗い洞窟の通路を先頭で駆け抜けていた。
彼らがまだ周囲を見渡せる唯一の理由は、それぞれが手に握っている小さな発光石のおかげだった。
すでに息を切らしながら、ガリックは巨大なドラゴンへと近づくにつれて速度を落とす。
「はぁ……はぁ……。さっきの叫び声は、この辺りから聞こえたはずだ……」
その時、彼の視界に再びあの巨大な竜の姿が映った。
ドラゴンは――目を開けていた。
ガリックは眉をひそめる。
(レンの一撃で、この洞窟全体が揺れたはずなのに……それでも動かずに寝そべったままか。くそ……目は完全に覚めている。)
その直後、背後から足音が近づいてくる。
振り返ると、レンとリセラがようやく追いついてきたところだった。
レンは深く息を整え、小声で言う。
「ごめん、少し遅れた。」
「シッ……起きてる。」
リセラは唇に指を当てて静かに制した。
レンは小さくうなずく。
「……わかった。」
三人は床に転がる大きな岩陰へ身を潜めながら、洞窟の内部を慎重に見渡した。
ガリックは発光石をゆっくり掲げ、小さくつぶやく。
「この場所……思っていたよりずっと広いな。」
視線は洞窟の天井へ向かう。
「天井の高さは……あのドラゴンの倍近くありそうだ。……俺たちの存在に気づいているのか?」
レンは、左右に目だけを動かしているドラゴンを見つめながら小声で言った。
「本当だ……眠ってるわけじゃないんだ。」
少し間を置き、
「……まさか、ミレリアを丸呑みにしたんじゃないよな?」
ガリックとリセラは同時にレンを振り向いた。
ガリックは苛立ちを抑えた囁き声で返す。
「縁起でもないことを言うな、レン。」
レンは肩をすくめた。
「でも、可能性はあるだろ。」
ドラゴンをそっと指差す。
「ほら、見てみろよ。」
リセラは腕を組んだ。
「……ミレリアの叫び声は、もっと奥から聞こえた。」
「だとすれば……ゴブリン。」
ガリックは彼女へ視線を向ける。
「本気で、あんな雑魚どもがミレリアを捕まえたと思っているのか?」
リセラは迷いなく答えた。
「ええ。」
「私はゴブリンが嫌い。」
「愚かそうに見えて……実際はそうでもない。」
一瞬だけ、ガリックは彼女の表情をじっと見つめた。
何かを尋ねようとした、その時――
レンが口を開いた。
「待って。」
彼は洞窟の壁を指差した。
「あの裂け目を見て。」
二人も視線を向ける。
岩壁の間に、人ひとりがようやく通れそうな細い隙間があった。
ガリックはドラゴンの視線を避けながら慎重に近づき、その隙間へ手を当てる。
大きさを確かめながらつぶやく。
「……人なら通れそうだな。」
レンがぼそりと言う。
「このドラゴン……耳が聞こえないんじゃないか?」
ガリックはゆっくりリセラへ視線を向けた。
彼女は眉をひそめる。
「……何?」
ガリックは自然な口調で言った。
「体の小さいお前なら、この隙間を通れそうだ。」
リセラはレンを見る。
レンは苦笑いを浮かべた。
「頼む……行ってくれないか?」
リセラは長く息を吐く。
「……わかった。」
「私が行く。」
彼女は慎重に身体を横向きにし、狭い岩の裂け目へと身を滑り込ませた。
数秒後、向こう側から声が聞こえる。
「よし……。」
「それで?」
さらに数歩進んだ、その時だった。
かすかなうめき声が耳に届く。
「……」
「ミレリア……?」
リセラは即座に二本の短剣を抜いた。
「《インビジブル》」
その瞬間、彼女の姿は完全に消えた。
続いて発光石を数メートル先へ放り投げる。
淡い光が狭い通路を照らし出した。
そして――見えた。
小部屋の奥。
一人の少女が縄で縛られている。
「……ミレリア?」
姿を消したまま、リセラはゆっくり近づく。
口には猿ぐつわが巻かれていた。
彼女は素早く膝をつき、その布を外す。
猿ぐつわが落ちた瞬間――
ミレリアは悲鳴を上げた。
「そこから逃げてぇっ!!」
リセラは思わず身を震わせる。
「ミ、ミレリア!」
「私よ!」
言い終えるより早く、彼女の瞳が大きく見開かれた。
ゆっくりと天井を見上げる。
小部屋の天井いっぱいに――
巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。
赤いルーン文字が激しく輝きを放つ。
「……罠?」
本能が警鐘を鳴らした。
考えるよりも先に、リセラはミレリアの腰を抱き寄せ、そのまま後方へ飛び退く。
次の瞬間――
ドォォォォォン!!
魔法陣は爆弾のような凄まじい爆発を起こした。
轟音とともに、小部屋全体が激しく揺れる。
砕けた岩石が四方八方へ飛び散り、衝撃波は狭い通路を突き抜けて大空洞にまで達した。
外では――
レンとガリックが同時にその爆発音を聞いた。
二人は同時に顔色を変える。
「今のは何だ!?」
「リセラ!」
ガリックは裂け目へ駆け寄る。
「ミレリア!」
「いるのか!?」
レンも身を乗り出した。
「何があった!?」
「返事をしてくれ!」
数秒間――
返事はなかった。
その時だった。
ガリックは足元に微かな振動を感じる。
顔から血の気が引いた。
ゆっくりとドラゴンへ視線を向ける。
「ドラゴンが……」
声はほとんど囁きだった。
「……動き始めた。」
レンも即座に振り向く。
目を見開く。
「くそ……。」
巨大な身体を見つめる。
洞窟中に散らばる発光石の淡い光を受け、ドラゴンの鱗が鈍く輝いていた。
一瞬、その鱗自体が発光しているようにも見える。
「……光ってる?」
ガリックは怪物から目を離さず答えた。
「違う。」
「鱗が、この僅かな光を反射しているだけだ。」
さらに何かを言おうとした、その時――
壁の裂け目の奥から、かすれた声が響いた。
「……助けて。」
リセラだった。
息は完全に乱れている。
「はぁ……」
「ミレリアが……」
「ミレリアが……」
ガリックはためらうことなく、細い裂け目へ腕を差し込んだ。
「俺の方へ渡せ!」
数秒後――
蓮はようやくライセラの姿を確認することができた。
彼女はほとんど一人でミレリアを支えていた。
魔導師であるミレリアの片腕はライセラの首に回され、ライセラは必死に彼女を立たせ続けていた。
苦労しながらミレリアの腕を自分の首から外すと、慎重に裂け目の方へ押し出す。
ガリックはしっかりとミレリアを受け止めた。
「受け取った。」
「ありがとう!」
その直後――
ライセラもなんとか隙間から這い出してきた。
ようやく体勢を立て直したところで、蓮が尋ねる。
「それで……」
「中で何があったんだ?」
彼女が答えるより先に、
ガリックが口を開いた。
「ここを出るぞ。」
その声色は、それまでとはまるで違っていた。
はるかに真剣だった。
「このドラゴンを見つけた時点で……」
「もうこれはランクCの依頼じゃない。」
ライセラは深く息を吸って続けた。
「それに、あのゴブリンたち……」
彼女は眉をひそめる。
「あまりにも統率が取れすぎていた……あの魔法も、あいつらが使ったものなの?」
蓮は気を失ったままのミレリアへ視線を向けた。
「まだ意識が戻ってない……」
ガリックは慎重に彼女を背負い直し、
位置を整える。
それから蓮とライセラを見つめた。
「ここからは、お前たちの力を借りる。」
「頼む。」
蓮はすぐにうなずいた。
「わかった。」
その時だった。
ライセラが突然、全身を硬直させる。
彼女はドラゴンを見つめたままだった。
その顔から血の気が引いていく。
「みんな……」
震える声で呟く。
「あいつ……」
ごくり、と唾を飲み込む。
「こっちを見てる……」
その瞬間――
三人の背筋を悪寒が駆け抜けた。
足先から――
首筋まで。
蓮とガリックはゆっくりと顔を向ける。
ドラゴンは今、
まっすぐ三人を見据えていた。
巨大な黄金色の瞳が、
完全に見開かれている。
そして、
その口がゆっくりと開き始めた。
巨大な牙の隙間から――
小さな炎がすでに生まれ始めている。
蓮の鼓動が一気に速くなる。
「くそっ……」
声が震えそうになる。
「どうする……?」
数秒間――
誰一人として動けなかった。
誰も息をしなかった。
ただ、
その怪物を見つめるだけだった。
やがて、
最初に沈黙を破ったのはライセラだった。
「に、逃げよう!」
ガリックは即座に答える。
「少しでも動けば――」
「グルルルルルォォォォォォォォォォォッ!!」
ドラゴンの咆哮が、
彼の言葉をかき消した。
洞窟全体が激しく揺れる。
天井から無数の岩が降り始めた。
ガリックは歯を食いしばる。
そして決断する。
蓮をまっすぐ見据えた。
「蓮!」
「ミレリアを連れて行け!」
「俺がドラゴンを引きつける!」
ライセラは目を見開いた。
「なっ!?」
信じられないという表情でガリックを見る。
「正気なの!?」
返事をすることなく、
ガリックは背中からミレリアを降ろし、
ほとんど投げるように蓮の腕へ預けた。
「受け取れ!」
蓮は慌てて両腕で受け止める。
「お、おい……!」
ガリックは剣を抜き放った。
薄暗い洞窟の中で、
刃が淡く輝く。
ドラゴンから目を逸らさぬまま、
力強く言い放つ。
「行け!」
「今だ!」
蓮は一瞬、その場から動けなかった。
「でも……お前は!?」
すでにガリックはドラゴンへ向かって駆け出していた。
「あとで追いつく!」
戦士は一直線に突進する。
その瞬間、
ドラゴンは巨大な前脚を振り下ろした。
ドゴォォォンッ!!
巨大な爪が、
一秒前までガリックがいた場所を粉砕する。
しかし彼は、
紙一重で回避していた。
蓮はその光景を見つめたまま、
指一本動かせなかった。
「ガリック……」
ライセラが彼の腕を掴む。
「行くよ!」
蓮は返事をしない。
ただ、
一人でドラゴンへ立ち向かうガリックを見つめ続けていた。
ライセラは強く腕を引っ張る。
「レン!!」
「早く!」
ようやく彼は我に返る。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
「で、でも……」
「ガリック!」
ライセラはほとんど彼を引きずるように走り出した。
「急いで!」
蓮はミレリアを胸に強く抱き寄せる。
深く息を吸い込んだ。
「くそっ……」
一瞬だけ目を閉じる。
「ごめん……ガリック。」
そして、
走り出した。
ライセラもすぐ後ろを駆ける。
数十メートル走った頃、
蓮はうつむいたまま走り続けていた。
(くそ……くそ……くそ……)
(ガリックを一人残してきた……)
その時――
一つの記憶が、
彼の脳裏をよぎった。
当時、
蓮は二十歳。
妹の灯花は十七歳だった。
蓮は街中を自転車で走りながら、
料理の配達をしていた。
数分後、
一軒のマンションの前で自転車を止める。
インターホンを押した。
「高梨様、お届けに参りました。」
低くしゃがれた声が返ってくる。
「上がってこい。もう遅いぞ。」
蓮は建物の中へ入り、
エレベーターの前で作業をしている数人の作業員に気付いた。
「エレベーター、動いてないんですか?」
一人の作業員が手を止めることなく答える。
「まだだ。階段で上がってくれ。」
蓮はしばらく階段を見つめた。
(でも……三十階だぞ……)
……
すべての階段を登り切った頃には――
蓮は完全に息が切れていた。
足は震え、
廊下を歩くたびによろめきそうになる。
荒い息を繰り返しながら、
ようやく部屋の前までたどり着く。
「はぁ……はぁ……やっとだ……」
深呼吸する。
「チャイムを……」
ピンポーン。
数秒後、
扉が開いた。
不機嫌そうな男が姿を現す。
「道にでも迷ったのか?」
眉をひそめる。
「ただでさえ遅れてたくせに、さらに遅くなるとはな。」
汗だくの蓮は、
小さく頭を下げた。
「あの……エレベーターが故障していて……階段で上がってきたので……」
男はすぐに遮る。
「そんなことはどうでもいい。」
手を差し出した。
「さっさと荷物を渡せ。」
蓮は袋を差し出す。
「本当に……申し訳――」
バァン!!
扉は彼の目の前で勢いよく閉められた。
蓮は数秒間、
その場に立ち尽くしていた。
やがて視線を落とす。
代金は床に投げ捨てられていた。
彼はゆっくりとかがみ、
それを拾い上げる。
鼻を軽くこすりながら、
小さく呟いた。
「仕事は……仕事だから。」
……
再び階段を下りている途中――
一人の少女が上ってくるのが見えた。
最初は特に気にも留めなかった。
だが――
よく見ると、
蓮は目を見開いた。
「み、美咲?」
少女も彼に気付く。
その表情が一瞬で明るくなる。
「あっ、蓮くん。」
微笑みながら尋ねる。
「こんなところで何してるの?」
蓮は保温バッグを軽く持ち上げた。
「仕事中なんだ。」
そして少し笑う。
「でも……美咲は?」
彼女が答える前に――
背後から二人の女性の声が聞こえてきた。
続いて、
二人の男性も姿を現す。
蓮はその小さなグループを見つめ、
微笑んだ。
「ああ……」
「友達と一緒なんだ?」
美咲は少しぎこちない笑顔を浮かべながら答えた。
「う、うん。」
額の汗をそっと拭う。
「大学の友達なの。」
そして尋ねた。
「日曜日、蓮くんの家で会えるよね?」
レンはうなずいた。
「う、うん。」
「日曜日に。」
四人は再び歩き始めた。
全員が蓮の横を通り過ぎていく。
その四人の後ろ姿を見つめながら、自然と一つの考えが頭に浮かんだ。
(あいつら……背が高いな……)
(それに、あの二人の女の子も感じが良さそうだ。)
その時――
声が聞こえた。
一人の男子学生が、からかうような口調で尋ねた。
「さっきのダサい奴、誰?」
蓮は凍りついた。
その場からまったく動けなかった。
そして、未咲の声が聞こえた。
「えっと……」
彼女は一瞬ためらった。
「わ、私の……彼氏。」
すると、別の男子が吹き出した。
「はははっ!」
仲間たちを見ながら笑う。
「マジで?」
「あれがお前の彼氏?」
笑いは止まらなかった。
「いつからそんな冗談言うようになったんだよ!」
「ははははは!」
その直後――
他のみんなも笑い始めた。
……
その中には――
未咲の笑い声もあった。
蓮は家までの道を、自転車をこぎながら終始無言だった。
ようやく家に着くと……
小さな家を見上げた。
リビングの明かりは、まだついていた。
(ああ……)
(また帰りが遅くなっちゃったな。)
(灯花はもう帰ってるはずだ。)
ドアを開ける。
「ただいま。」
灯花はすでにお風呂を済ませていた。
ソファに座っていた彼女は顔を上げ、にっこりと微笑む。
「おかえり。」
蓮は持っていた袋を持ち上げた。
「夕飯、買ってきた。」
彼女を指さす。
「頼むから、自分で料理してないよな?」
灯花は兄の方へ体を向けて笑った。
「もちろん。」
「昨日、お兄ちゃんが『何もしなくていい』って言ったでしょ。」
小さく笑う。
「えへへ。」
蓮はぎこちなく笑った。
「ああ……」
「そうだったな……」
「そうだよな……」
灯花はじっと兄を見つめていた。
「最近、すごく物忘れが多いよ。」
少しだけ表情が真剣になる。
「朝早くから仕事に行って……」
「そのあとも配達してるし……」
少しうつむいた。
「そんなに無理しなくていいんだよ、お兄ちゃん。」
蓮は椅子を引いて腰を下ろした。
しばらく食卓を見つめたあと、静かに答えた。
「灯花は高校三年生だろ。」
少しだけ笑う。
「俺はもう全部失敗しちゃったけど……」
妹を見つめる。
「お前だけは、同じ思いをさせたくない。」
灯花は黙っていた。
両手をぎゅっと握りしめている。
蓮は続けた。
「母さんは癌で亡くなって……」
声が少し震えた。
「父さんも……」
一瞬言葉を止める。
深く息を吸った。
「俺たちには、もう他に選択肢なんてないんだ、灯花。」
まっすぐ妹を見る。
「俺は二人に、お前を守るって約束したから。」
灯花の目に涙が浮かび始めた。
「お、お兄ちゃんがそう決めたなら……」
深く息をつく。
「……うん。」
そして、まるでお願いするような声で続けた。
「でも、自分の体まで壊しちゃうようなことはしないで。」
悲しそうに微笑む。
「お願い……」
「少しは休んでね、お兄ちゃん。」
蓮は小さくため息をついた。
それから笑った。
「寝る時はちゃんと休んでるよ。」
小さく笑う。
「へへ。」
すると、何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。」
「そういえば……」
「日曜日に未咲が来るんだ。」
灯花は少し微笑んだ。
「未咲さんが来るの、久しぶりだね。」
それから自然な口調で尋ねた。
「二人とも、うまくいってるの?」
蓮の脳裏に、あの階段で聞いた笑い声がよみがえった。
しばらく黙り込む。
そして答えた。
「うん……」
「大丈夫だよ。」
灯花はなおも兄を見つめていた。
そして優しく笑う。
「どうしてみんながお兄ちゃんを好きかわかる?」
蓮はゆっくりと顔を上げた。
何も言わない。
彼女は続けた。
「だって、お兄ちゃんは誰よりも頑張り屋さんだから。」
「どんなにつらいことがあっても、絶対に諦めない。」
蓮は目を閉じた。
小さな笑みが浮かぶ。
「その前向きなところは好きだけどさ……」
「失敗ばかりの人間を好きになる人なんていないよ。」
「未咲だって……いや、なんでもない。」
灯花は思わず声を張り上げた。
「そんなこと言わないで!! お兄ちゃんのことを好きな人は、たくさんいるんだから!」
そして――
まっすぐ兄を見つめた。
「それに……」
「お兄ちゃんは、一度だって友達を見捨てたことがないでしょ。」
その記憶は消え去った。
蓮は目を開く。
再び洞窟の出口へ向かって走っていた。
深く息を吸い、ライセラを見る。
「ライセラ!」
彼女は顔を向けた。
「え?」
蓮は拳を強く握る。
「君に頼みたいことがある。」
その頃――
ギャリックは、ドラゴンの口から吐き出される小さな炎を次々とかわしていた。
爆発のたびに、洞窟の床が燃え上がる。
それでも――
彼は前へ進み続ける。
ドラゴンが一瞬だけ首を持ち上げた、その隙を逃さず。
ギャリックは跳躍した。
そのままドラゴンの首元まで一気に飛び上がる。
剣を振り下ろす体勢に入りながら、小さくつぶやいた。
「俺の剣で……この鱗を貫けるのか……?」
迷うことなく。
渾身の一撃を振り下ろした。
キィィィン!!
剣は鱗の表面をかすめただけだった。
まったく貫くことができない。
ギャリックは目を見開いた。
「くそっ!」
「弾かれた……俺の剣が!?」
ドラゴンは勢いよく首を振る。
ギャリックは直撃を避けるため、後方へ飛び退いた。
着地すると、そのまま数メートル後退する。
荒く息をついた。
そして再び剣を構える。
「強化。」
真紅のオーラが剣身全体を包み込んだ。
刃がわずかに震え始める。
ギャリックは剣先をドラゴンへ向けた。
その視線は揺るがない。
「俺がお前を引きつける……」
深く息を吸う。
「たとえ……それが俺の最後になっても。」
そう言うと、再び駆け出した。
ドラゴンも同時に動き出す。
両者の距離はみるみる縮まっていく。
巨大なドラゴンは再び口を開いた。
喉の奥で橙色の光が膨れ上がる。
炎が凝縮されていく。
ギャリックは速度を落とさない。
一直線に突っ込んでいく。
「うおおおおおおおおっ!!」
歯を食いしばりながら叫ぶ。
反射的に目を閉じた。
(熱い……)
(ミレリア……)
(君だけは死なせない……)
(すまない……)
ついにドラゴンは巨大な火炎を放った。
まるで炎の海が、ギャリックへ押し寄せる。
だが――
炎が彼に届く、その直前。
ドゴォォォォォォォォォン!!!
洞窟全体に、とてつもない轟音が響き渡った。
衝撃はあまりにも激しく、大地までもが震えた。
ギャリックはゆっくりと目を開ける。
炎は消えていた。
ドラゴンは――
洞窟の反対側へ吹き飛ばされていた。
その巨大な身体は岩壁へ叩きつけられている。
そして、その前に立っていたのは――
蓮だった。
肩で息をしている。
片腕を前へ突き出したまま。
服の袖は完全に焼け落ちていた。
拳からは、まだ白い煙がゆっくりと立ち上っている。
ギャリックは完全に目を見開いた。
「……蓮?」
ドラゴンから目を離さないまま、蓮は息を切らしながら答えた。
「俺は……」
深く息を吸う。
「どうしても……」
かすかに笑う。
「……君を置いていけなかった。」
全身が限界だった。
それでも少しだけギャリックの方へ顔を向ける。
小さな笑みを浮かべた。
ギャリックも笑みを返す。
「蓮……」
「こ、これをやったのは……お前なのか? お前の力が強いことは分かっていたが……これは……」
その言葉は最後まで続かなかった。
ドサッ。
蓮の身体が重く地面へ倒れた。
まるで糸の切れた操り人形のように。
ギャリックは立ち尽くした。
何も反応できない。
「……蓮?」
返事はない。
青年はまったく動かなかった。
時間だけがゆっくりと流れる。
ギャリックはただ見つめ続けた。
何が起きたのか理解しようとしていた。
そしてようやく走り寄る。
蓮の隣へ膝をつく。
両肩をつかんだ。
「蓮!」
軽く身体を揺する。
「おい!」
「起きろ!」
蓮は反応しない。
起こそうとしていたその時、ギャリックは素早く顔を上げた。
そこで気づく。
ドラゴンの鱗が何枚も地面に散らばっていた。
彼はそれを見つめた。
(蓮が……)
(まさか……)
(拳でドラゴンを殴ったのか……?)
(それに……)
(俺はその動きすら追えなかった……気配さえ感じられなかった……)
理解できないまま、ギャリックは何枚かの鱗を拾い上げ、腰のポーチへしまう。
そして再び蓮を見る。
深くため息をついた。
「行こう……」
蓮の腕を自分の肩へ回す。
「必ずここから連れ出してやる。」
ドラゴンはなおも地面に倒れたまま、動かなかった。
しばらく歩き続けると――
ギャリックは前方に二つの人影を見つけた。
ミレリアは地面に横たわり、まだ意識を失っている。
その隣では――
ライセラが戦闘態勢を崩さず立っていた。
二本の短剣はすでに抜かれている。
足音を聞いた瞬間、彼女はすぐに振り向いた。
ギャリックだと分かると、
彼女の視線は別の人物を探した。
「……蓮は?」
ギャリックはゆっくり近づく。
息は乱れていた。
肩に担いだ蓮の重さが、少しずつ身体へ負担をかけている。
「彼は……」
深く息を吸う。
「完全に力を使い果たした。」
慎重に膝をつき、
蓮をミレリアの隣へ横たえる。
二人とも意識はない。
ライセラは黙ってその二人を見つめていた。
それから再びギャリックへ視線を向ける。
まだ、何が起きたのか理解できていないようだった。
沈黙を破ったのはギャリックだった。
「どうして……」
ミレリアを見る。
「あのゴブリンたちは、ドラゴンと同じ洞窟で生きていられたんだ?」
ライセラはゆっくり息を吐く。
「彼らは……」
少し間を置く。
「組織立ちすぎていた。」
一瞬目を伏せる。
「あの罠も……」
再びミレリアを見る。
「私が彼女に触れた瞬間に発動した。」
わずかに眉をひそめる。
「あんなもの……知性のない魔物に作れるとは思えない。」
ギャリックは数秒考え込んだ。
そして顔を上げる。
「直接あの老人に聞く。」
ライセラは彼を見る。
「ゴロに?」
彼はうなずいた。
「ああ。」
その眼差しは鋭くなる。
「あの人は、俺たちに話した以上のことを知っているはずだ。」
ライセラはゆっくり腕を組んだ。
「私もそう思う。」
二人はしばらく沈黙した。
その時――
遠くから音が響いた。
コツ……
コツ……
コツ……
足音だった。
洞窟の入口の方向から近づいてくる。
ギャリックは即座に剣を握る。
全身が緊張で張り詰める。
「二人を連れてここを出る。」
「今すぐだ。」
迷うことなく、ギャリックは再び蓮を肩へ担ぎ上げた。
ライセラはミレリアを抱き上げる。
二人は出口へ向かって走り出す。
数分後――
ようやく、降りてきた巨大な縦穴へたどり着いた。
ライセラは見上げる。
下から見ると、その穴はさらに高く感じられた。
深く息を吸う。
「どうやって……」
ギャリックを見る。
「二人を抱えたまま登るの?」
ギャリックは素早く状況を確認した。
そして答える。
「まず君が登れ。」
「そのあと、二人を順番に渡す。」
ライセラは再び上を見上げる。
そしてうなずいた。
「分かった。」
彼女は岩壁を登り始める。
身体は非常に軽い。
短剣しか持っていないため、足場を見つけるのも容易だった。
登りながら口を開く。
「よかった……」
小さく微笑む。
「あなたが私を信じてくれて。」
下では――
ギャリックが小さくため息をついた。
「完全に信じてるわけじゃない。」
ライセラは下を見下ろす。
「え?」
ギャリックは少しだけ笑った。
「でも……」
わずかに両腕を広げる。
「全員をここから連れ出す方法は、これしかない。」
ライセラはしばらく黙っていた。
そのまま登り続ける。
やがて穴の縁へたどり着くと、片膝をついて下を見下ろした。
「登れた。」
それからギャリックを見る。
「でも……」
眉をひそめる。
「あなたは、そのあとどうやって登るの?」
ギャリックは何でもないように答えた。
「最初にミレリアを投げる。」
「その次に蓮だ。」
「君が二人とも受け止めろ。」
ライセラは目を見開いた。
「えっ!?」
「投げるって、本気なの!?」
ギャリックはうなずく。
「一人ずつ受け止めればいい。」
「できるな?」
彼女はしばらく彼を見つめていた。
やがて少し目を細める。
「どうしてそんなに確信できるの……」
「……私が二人を落とさないって。」
ギャリックは静かに笑った。
気を失っている蓮を見る。
「それは……」
笑みが少し深くなる。
「もし君たちに何かあったら、蓮が本気で怒るからだ。」
ライセラは完全に動きを止めた。
その視線はゆっくりと蓮へ落ちる。
彼の眠るような横顔を、静かに見つめ続けた。
気づかないうちに――
リセラは、しばらくの間レンの顔を見つめていた。
やがて視線をそらした。
何も言わなかった。
二人の間に流れた沈黙は、ほんの数秒だった。
再び口を開いたのはギャリックだった。
「準備はいいか?」
上から、リセラは深く息を吸った。
穴の縁にしっかりと足を踏ん張る。
そして答えた。
「うん。」
ギャリックはミレリアのもとへ歩み寄った。
ゆっくりと身をかがめる。
慎重に彼女を抱き上げた。
そして目を閉じる。
深く息を吸った。
「強化。」
濃い赤色のオーラが、彼の全身を包み込んだ。
魔力が腕へと流れ込んでいく。
血管が浮かび上がる。
筋肉が限界まで張り詰めた。
足元の地面さえ軋み始める。
膝をわずかに曲げる。
全身の力を込めるために。
そして叫んだ。
「うおおおおおおおっ!!」
次の瞬間――
ミレリアを真上へと投げ上げた。
彼女の体は一気に穴を駆け上がっていく。
リセラはすぐに両腕を伸ばした。
「受け止めた!」
しっかりとミレリアを抱き留める。
衝撃を受けながらも、
なんとか体勢を崩さずに耐えた。
ゆっくりと膝をつき、
穴の縁から少し離れた場所へミレリアを寝かせる。
そして再び穴の縁へ戻った。
「よし!」
「次はレン!」
ギャリックは気を失ったレンへ視線を向けた。
小さく息を吐く。
「今度はお前だ。」
再び身をかがめ、
レンを抱え上げようとした。
しかし――
その瞬間、動きを止めた。
眉をひそめる。
洞窟の奥から、
今までとは違う音が響いていた。
カツ…
カツ…
カツ…
いくつもの足音。
こちらへ近づいてきている。
ギャリックはすぐに腰に下げていた光石を取り出した。
迷うことなく、
洞窟の奥へ向かって投げる。
小さな光石は空中で回転しながら飛び、
地面へ落ちた。
その光が、
闇の中に潜んでいたものを照らし出す。
――ゴブリンたちだった。
傷だらけの姿。
足を引きずっている者。
片腕を失っている者。
体中に深い傷を負っている者。
それでもなお――
ゆっくりとこちらへ歩いて来る。
ギャリックは目を細めた。
「……何が目的だ?」
返事はない。
ゴブリンたちは歩みを止めない。
ギャリックは再び剣を抜いた。
剣先をまっすぐ彼らへ向ける。
「そこまで傷ついていても……」
低く力強い声で言った。
「まだ戦うつもりか?」
それでもゴブリンたちは進み続ける。
恐れる様子はない。
ためらう様子もない。
まるで、
自分たちの痛みなど存在しないかのように。
ギャリックは剣の柄を強く握り締めた。
「お前たち……」
歯を食いしばる。
「死にたいのか?」
深く息を吐いた。
「もう、お前たちには興味はない。」
一匹のゴブリンが、
古びた木の棍棒をゆっくりと持ち上げた。
低く唸ると、
それを投げつける。
棍棒は数メートル飛んだが、
ギャリックまで届くことはなく、
手前で地面へ転がった。
ギャリックは転がる棍棒を静かに見つめ、
再びゴブリンたちへ視線を戻した。
その表情が変わる。
「……妙だな。」
なおも彼らを見据える。
「お前たち……」
さらに眉をひそめた。
「様子がおかしい。」
一匹一匹を観察する。
「まるで……」
わずかに間を置いた。
「……誰かに操られているみたいだ。」
その時、
穴の上からリセラが再び姿を見せた。
「ギャリック!」
彼女は洞窟の奥へ目を向ける。
「……っ!」
目を見開いた。
「ゴブリン!」
ギャリックは視線を逸らさず答える。
「見えてる。」
ゆっくり息を吸う。
そして再び剣を構えた。
「さて……」
真正面からゴブリンたちを見る。
「お前たちが選んだことだ。」
ゆっくりと剣を胸の前へ引き寄せる。
一瞬だけ目を閉じた。
「貫通。」
剣は再び濃い赤い光を放ち始めた。
次の瞬間――
ギャリックの姿が消えた。
四秒にも満たないうちに――
すべてのゴブリンが地面へ倒れていた。
その胸には、
一本ずつ、
心臓を正確に貫かれた傷が残されていた。
再び洞窟に静寂が戻った。
ギャリックはゆっくりと剣についた血を拭い、
鞘へと収める。
そして倒れたゴブリンたちをもう一度見渡した。
「……今まで一度も」
小さくため息をつく。
「こんなゴブリンは見たことがない。」
そう呟くと、
再びレンのほうへ向き直った。
ゆっくりとかがみ込み、
彼を抱え上げようとした――
その時だった。
……
レンの指先が、
わずかに動いた。
数秒後――
彼はゆっくりと目を開ける。
何度か瞬きをし、
洞窟の天井をぼんやりと見上げた。
「……」
「ここは……」
深く息を吸う。
「どこだ……?」
ギャリックはすぐに笑みを浮かべた。
「レン!」
そう言うなり、
再び彼を抱え上げようとする。
レンは思わず驚いた。
「お、おい!」
「離せよ、ギャリック!」
驚いたギャリックは、
慌ててレンを放した。
レンはそのまま地面に座り込む。
「いてっ!」
頭を軽くかく。
ギャリックは気まずそうに笑った。
「あぁ……」
「悪い。」
後頭部をかきながら続ける。
「急に目を覚ましたから、
ちょっと驚いてな。」
そしてもう一度手を差し出した。
「ほら。
運んでやる。」
レンは慌てて首を横に振る。
「いや!」
深く息を吸う。
「大丈夫だ。」
周囲を見回す。
まだ状況が飲み込めていない様子だった。
やがて再びギャリックを見る。
「待てよ……」
眉をひそめる。
「なんで俺を運ぼうとしてたんだ?」
ギャリックは、
まるで当たり前のことのように答えた。
「上に投げるつもりだった。」
レンは固まった。
「……」
「……は?」
ギャリックは穴の上を指差す。
「あそこにな。」
レンはゆっくりと上を見上げ、
再びギャリックへ視線を戻した。
「お前……」
自分を指差す。
「俺を……
あそこまで投げるつもりだったのか?」
「そうだ。」
レンは目を大きく見開いた。
「正気か!?」
もう一度穴を指差す。
「落ちたらどうするんだよ!?」
ギャリックは落ち着いた口調で答えた。
「リセラが受け止める。」
レンは上を見る。
ギャリックを見る。
もう一度上を見る。
「リセラが!?」
思わず乾いた笑いが漏れそうになる。
「いやいや、
あいつが男一人を受け止められるわけないだろ!」
ギャリックは腕を組み、
落ち着いたまま言った。
「彼女の覚悟を試せただろう。」
レンはしばらく完全に固まった。
何度か瞬きをする。
「……何を言ってるんだ?」
ギャリックはレンを一瞥し、
小さくため息をついてから口を開いた。
「何でもない、レン。」
「助けてくれてありがとう。」
「借りができた。」
そして表情を引き締める。
「さあ、ここを出よう。」
「あのくそジジイと話をつけなきゃならない。」




